【番外編3】 その後の二人・後編
結婚式まで、もう1週間を切っていた。
この日、私は後見人となってくれたという貴族と会うことになっていた。
待ち合わせ場所は、街の繁華街にある喫茶店。
質のいい紅茶を出すと有名で、茶葉もその場で買い求めることができるため、人気が高い。
個室に案内された私の前に現れたのは、ヤイチさんだった。
「えっと、ヤイチさん?」
「こんにちは。ヴィルトの王の騎士就任パーティ以来ですね」
ふわりとヤイチさんが目を細めた。
席を勧められて、椅子に座ると、よい香りのする翠色のお茶が運ばれてくる。
「これ緑茶ですか?」
「はい。この店のオリジナルで、私が作らせたものです。本来この世界には紅茶しかなかったんですけど、やはりこの味が懐かしくて」
どうやらこの店は、ヤイチさんの御用達の店らしく、飲んだ緑茶はとても優しい味がした。
一息ついてから、私の後見人を買って出てくれたのが、ヤイチさんなのだと知らされる。
「えっといいんですか。私なんかを養子にして。ヤイチさんまだ若いのに」
「面白いことを言いますね。私はトキビトですから、歳はとりません。よく知っているでしょう?」
私の質問に、ヤイチさんが笑った。
そうだった。
ヤイチさんは一見、20代半ばくらいのお兄さんだ。
黒髪に、すっとした目元。
私と同じ日本の、違う時代からきたトキビト。
けれど、もうずっと長い間この世界で生きているのだと聞いていた。
私も最近まで、ヤイチさんと同じトキビトという存在で、歳を取らなかった。
現実世界で失恋した私の前に、謎のお兄さんが現れて。
「君の望む世界へ連れて行ってあげよう」
そう言って、懐中時計を渡されて、気がつけばこの異世界にいた。
ここでの私は、来た時と同じ18歳のまま、歳を取らなかった。
戻ろうと思えば、元来た世界の、元いた時間に戻れる。
そう感覚でわかっていたのに、私は戻りたくなくてこの世界で15年も過ごしていたのだった。
「ヤイチさん、私トキビトではなくなってしまったみたいなんです」
「えぇ、どうやらそのようですね。なんとなくわかります」
ヤイチさんは、ゆっくりと席から立ち上がる。
「私はあなたに謝らなければならないことがあります。もうお気づきでしょうが、ヴィルトにあなたが帰ることを告げたのは、私です。お節介だとは知っていましたが、すいませんでした」
「そんな頭をあげてください。そのおかげで、私は後悔せずに済んだんですから」
ふかぶかと頭を垂れるヤイチさんに、私は慌てた。
謝られるどころか、私がお礼を言わなくちゃいけない立場だった。
ヤイチさんから、私がいなくなった後の話を聞く。
ヴィルトはいきなりパーティ会場に現れたかと思うと、王の騎士をやめると宣言したらしい。
どうにかヤイチさんがその場を納め、パーティはお開きとなったものの、ヴィルトは手のつけようがないほどに荒れていたとのことだ。
「最終的には、わざわざ教えてあげた私が、ミサキさんをたぶらかしたのだと八つ当たりされまして。気絶させるのに苦労しました」
「本当、すいません」
一見細身で温厚そうなヤイチさんだけど、割と力に訴えるタイプなのかもしれない。
以前、幼いヴィルトの相手をしている時も、そんな感じだったと思う。
「そういえば、どうやってヴィルトは私の世界に行ったんですか。ヤイチさんが手助けしたんですよね」
「私は今まで長く生きてきて、色んなトキビトに出会ってきましたからね。ちょっとした裏技みたいなものを知っていただけです。ただ、本当にミサキさんの元へヴィルトが辿りつけるのかは、賭けみたいなものでしたが。あれは特別で、限られた方法です。もう二度と使えはしませんよ」
私の質問に、ヤイチさんはぼかして答える。
その詳しい方法を、教えてくれるつもりはないようだった。
私が元の世界にまだ戻れる方法があるんだと、希望を持たないように。
そういう、心使いなのかもしれない。
「それで、一旦は元の世界に戻ったのですよね。どれくらい時は過ぎていました?」
「3カ月くらいです。私てっきり、こっちに来たときと同じ時間に戻れると思っていたから、びっくりしました。失踪人扱いになっていましたし」
チサト兄は取り乱すし、警察に行ったりで、かなり大変だった。
「あなたの時計は動き出していましたから、そうなったのでしょう」
ヤイチさんの言葉に、パーティの時の事を思い出す。
懐中時計の蓋を久々に開けたら、秒針が動いていた。
「あの日から3カ月前に、元の世界へ戻ろうと決めたのではありませんか?」
言われて考えてみる。
ヴィルトが帰ってきたのが、パーティの1カ月前くらい。
それからさらに2カ月前となると……。
「そういえば、そのときヴィルトから部屋の改築依頼が来てました。私の部屋を潰されて、ヴィルトは本気で結婚する気でいるんだと思い知って。もう潮時だなと思いました」
「トキビトの時計は、心と連動しています。現状維持を望んだままだと時計は停まったまま。その時点で時計を食べれば、来た時と同じ時間に戻れますが、この世界の人に心動かされ、前に進もうとしたり元の世界への未練が薄れると、元の世界で止まっていた時は動き出します」
ヤイチさんは自分の懐中時計を、私に見せてくれた。
くすんだ鈍色の、年代を感じさせる懐中時計で、その秒針は時を刻んでいる。
「あなたがヴィルトに心を動かされ時を刻みだしたように、私の時計も想い人によって動くようになりました。けれど私は彼女を選ばなかったし、日本にも戻らなかった。だから時計は壊れず、トキビトのままなんです」
それが間違った選択をした、自分への罰だというように、苦しそうな顔でヤイチさんは時計を胸元にしまった。
「日本に大切なものや未練があって、帰りたいけれど、帰りたくないといった人が、トキビトに選ばれる傾向にあるようです。私達の出会った残酷な神様にしてみれば、親切のつもりなのでしょう」
色んなトキビトを見てきましたと、ヤイチさんは言う。
ヤイチさんは王の騎士ではあるのだけど、王の護衛というより、それ以外の任務についている方が多いらしい。
その中でも、トキビトを保護することにヤイチさんは力を注いでいるようだった。
「この世界で誰か1人を決めて、一緒に歩むことを決めれば時計は消滅し、トキビトではなくなります。ミサキさんは、ヴィルトとこの世界で生きていくことを選んだ。だから必要のなくなった時計は壊れ、トキビトではなくなったのです」
「どうして最初に教えてくれないんですか。同じ時をヴィルトと過ごせないんじゃないかって、私……悩んでたのに」
時計が壊れれば、ヴィルトと同じように歳を重ねていける。
先に知っていれば、私の悩みの半分は消えてなくなったはずだ。
「トキビトは後ろ向きな人が多いので、それを教えると逆効果になることもあるんです。だから言いませんでした」
時計が壊れれば、日本に戻れなくなる。
それを恐れて、最初からこの世界の人たちと関わらないようにしようしたり、前に進めなくなる人もいるのだと、ヤイチさんは言う。
「元の世界を捨ててきたという罪悪感がある人が多いですからね。この世界で幸せになる自分を許せない人が多い。頑なになってしまうんです」
そんなことはないと、私は言い切れなかった。
しかし、どれだけ面倒な性格なんだろうと、我ながら嫌になる。
「こんな根暗なのが、この世界にはゴロゴロしてるんですね」
「そんなに数はいませんよ。ですが、トキビトは大抵根暗です。私も含めてね」
私の言葉が面白かったのか、ヤイチさんは笑った。
「ヤ、ヤイチさんのことを言ってるんじゃないですよ!」
「そんなに慌てなくても大丈夫ですよ。私、根暗という自覚はありますから」
そういって、ヤイチさんは両手でカップを持って、お茶を口にはこぶ。
「あるトキビトのは、時計を受け取る時にこう言われたそうです。優しい異世界で生きるか、辛くも想い入れのある世界で生きるか、時間あげるから好きな方を選ぶといいと。あなたはきちんと選べた。この世界の戸籍上の義父としても、友人としても祝福しますよ」
ヤイチさんの言葉に、ほんのりと胸が温かくなる。
「あっ、そういえばヤイチさんの苗字って何ですか? 私知らないです」
ふと気づいて尋ねる。
「そうでしたね。あと1週間くらいで変わってしまうモノですが、カザミといいます。風を見ると書いて、風見です」
ヤイチさんの返答に、私は目をぱちくりと瞬かせた。
「どうかしましたか?」
「いや、元の世界の私の苗字と同じだなぁって」
これには、ヤイチさんの方が驚いた顔になる。
「あぁ、もしかしたら、ミサキさんは私の血縁なのかもしれませんね。最初見たときから、元の世界の兄妹達に、面影が似ていると思っていたのです」
実はそういう理由もあって、私を養子にしたのだと、秘密を明かすような調子でヤイチさんは教えてくれた。
「幸せに、なってくださいね」
「もちろんです!」
元気よく答えれば、ヤイチさんは笑顔を見せてくれた。
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結婚式当日の、ラグナの日。
式は湖の近くで行われ、招待されたのは近しい人達ばかりだった。
「とてもよくお似合いですよ。あぁ、これはヴィルトが最初に言うべき台詞だったでしょうか」
ウェディングドレスを着た私を見て、ヤイチさんが目を細める。
式場までエスコートするのは、この世界での義父である、ヤイチさんの役目だった。
「よ、よろしくお願いします」
「そう緊張しないでください。さぁ、ヴィルトが待ってます」
馬車で式場まで移動し、ヤイチさんに導かれて赤い絨毯の上を歩いて移動する。
白と青の小ぶりな花々で彩られた湖。
それは、幼いヴィルトが指輪をくれたときに、たった1度だけ見た光景だった。
「これは……」
「今日は1年に1度、この花が咲く日なんですよ。ラグナの日に咲く花だから、ラグナティア。ティアには祝福という意味があるそうです」
耳元でヤイチさんが説明してくれた。
幼いヴィルトに、指輪を貰ったときと同じシチュエーション。
違うのは、周りに祝福してくれる人達がいることと、この絨毯の先にいるヴィルトが大人だということ。
ヤイチさんが立ち止まり、ここから先は私1人だ。
真っ直ぐ前を見て、足を前に踏み出して、差し出されたヴィルトの手を取った。
ヴェールの向こう側にいるヴィルトの表情までは、よく読み取れなかった。
でもその手が少し震えていて、私と同く緊張してるのが伝わってきた。
神父さんの言葉は、あまり耳に入ってこなかった。
けれど、私を幸せにすることを誓いますかと問われて、ヴィルトがはいと言ったのは聞こえた。
同じように私もはいと答え、宣誓書という書類にサインをした。
それから指輪の交換のために、ヴィルトと向かい合う。
緊張しながら互いに指輪を交換し、ベールがヴィルトの手によって捲られた。
「ミサキ、泣くの早すぎ」
ヴィルトの顔が、私を見て綻ぶ。
「しかたないでしょ。我慢できなかったんだから」
ヴィルトと夫婦になったんだと思ったら、じわじわと喜びがこみ上げてきた。
化粧が崩れてしまうから泣いては駄目だと思ったのに、無理だった。
指の腹で、ヴィルトが涙を拭ってくれる。
「ミサキを愛してる。ずっと昔から好きだった。これからもずっと俺の側にいて欲しい」
「うん。私もヴィルトを……愛してる」
恥ずかしすぎて最後の言葉は、小さくなってしまったけれど、ヴィルトにはちゃんと届いたようだった。
ヴィルトの唇が私と重なって。
みんなの祝福の中、私は幸せを噛み締める。
失恋して逃げてきたこの世界は、私には優しすぎた。
臆病者でその優しさからも逃げようとしたけれど、もう迷いはない。
ここには私を大切に、特別に想ってくれる人がいる。
そして私も、彼を――ヴィルトを特別に想っているのだから。
後ろ向きな私だから、これから先も悩むことはいっぱいあるだろう。
もう戻れない日本のことも、やっぱりまだ愛おしい。
それでも、私にとっての1番はヴィルトと一緒にいることだと、もうわかっていた。
祝福の花びらが頭上に降り注ぎ、横をみればヴィルトがいる。
ヴィルトは私に合わせ、ゆっくりと絨毯の上を歩く。
不安がないわけじゃない。
でも、ヴィルトがいれば大丈夫だと思えた。
私が悩んだって、迷ったって、何度だって連れ戻してくれるから。
彼にとっては異世界でしかない、私の現実の世界にまでやってきて、私を連れ去ってくれた。
育てて、守っていたのは私のつもりだったのに――いつの間に私が守られる側になっていたんだろうと思う。
「ヴィルト」
「なんだ、ミサキ」
皆に笑顔を振りまいていたヴィルトが、私の方を見た。
「大好き」
たった一言、心からの気持ちをそのまま伝える。
「……俺も大好きだ」
それだけで、ヴィルトは幸せそうに笑い、ぎゅっと抱きしめてくる。
皆に冷やかされるなか、私達は本日二度目の情熱的なキスを交わしたのだった。
トキビトの説明を織り込んで、本編の補足代わりの番外編をつくりました。
バカップルっぷりを楽しんでいただければ幸いです。
★2016/10/3 読みやすいよう、校正しました。