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松子の夫は趣味として、若い頃から囲碁をたしなみ、新しい家に移ってからも近くにある碁会所に通っていた。夫が碁会所で意識を失って救急で病院に運ばれたのは、転居してから10年目のことだった。
碁会所から連絡を受けると松子は、とるものもとりあえず、夫が搬送されたという総合病院まで駆けつけた。そういうことが何度も繰り返され、入院する度に精密検査があり、病名が見つからぬままに退院した。
松子が病院に着替えを持って行った日、夫が、
「今日沙織さんが見舞いにきたよ」
と言った。その後夫が倒れて入院する度に、沙織さんが病院へ来て話して帰った、と言うようになった。
夫の会社では年に一度慰安旅行に行く行事が組まれていて、夫が責任者となった年は、日本海沿いの温泉地だった。
旅行には沙織も参加することになった、と夫が松子に何気に伝えた。会社からの募集で、沙織は参加するのだということだった。
二泊三日の旅行から帰ったあと、沙織は松子の家を訪ねて来ることはなくなった。それまで沙織には好意的な態度をとっていた夫だったが、沙織のことをおかしなことをする人だと批判するようになった。
松子はその後、時々沙織のことが懐かしくて電話をしてみたが、沙織のほうからは一切松子の家の敷居を踏むことはなかった。
松子は散歩の途中、時々沙織の家に立ち寄ることがあった。沙織はすっかり憔悴した顔つきになっていて、かつての面影は失くなっていた。若い頃には連れ合いと不仲だと盛んに愚痴っていたが、離婚することもなく暮らしている。
松子の夫はその後、何度かの発作を繰り返し、命と隣り合わせの生活を余儀なくされている。
男も女も若くて英気のある年代を通り過ぎると、情熱は冷め、やがては己の生死を気遣いながら生きることになるようだ。
完




