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第八話 ~ 第三の銃撃

 画面に再び黒い人影が行き交っていく。


 真っ黒な衣服の男達が言葉無く作業を始め、広げたビニールシートだけが囁くように音を立てた。その音が彼らの仕事の単調さを物語っていた。

 急に影が差した。電球を取り替えたのはいつだったかなどという疑問が脳裏を掠める間にも画面上ではスーツ姿の男が三発目の弾丸を装填したチェンバーを勢いよく回していた。

 「何の音なの?」

 カーテンを押し退けて、銀沢のドレスに身を包んだ女性がカーテンを押し退けた。それが誰なのか夏海には考える余裕すらなかった。

 「夏海?ちょっとしっかりしてよ!何があったの?」

 友人らしいその女性が夏海の肩を揺すった。上半身が左右に揺れる度に紡ぎ合わせようとしていた思考が音を立てて崩れていった。

 黒いスーツの背中が画面端に流れていった。三人はそれぞれの格好で静止したまま黒スーツの男を視線の端に追った。

 「恭子!どうしたの?」

 脇に置かれたリボルバーをそのままに隆哉の方を見据える男性。

 「ねぇ!」

 その男性を見つめ返す隆哉。

 「ねぇってばぁ!!」

 間に挟まれた老人は両手を膝の上に休ませたままうな垂れていた。

 「みんなどうしたのよ?!」

 その言葉と共に夏海の視界を細い二の腕が遮った。

 やり場の無い怒りは突然に彼女の理性を断ち切った。夏海はその腕を掴んで懐へ思いっきり引き寄せた。予期していなかった乱暴な力に彼女の友人は前によろめいた。その隙を逃さず、夏海は首筋にもう一方の手を走らせた。が、距離の合っていない彼女の掌はネックレスに絡みついた。お構いなしに夏海はその手を力一杯引き寄せた。

 止め具が跳ねて、フェイクパールが弾け飛んでフロアに音を立てた。

 何が起こったのか全く把握できていない友人は首を襲った鈍痛に耐え切れず、その場に両膝をついた。夏海は握り締めた拳から垂れ下がる鎖を一瞥してそれを友人が座り込んだその脇に投げつけた。その残骸は絨毯に長い痕を付けて暗がりへと転がり込んだ。

 友人は震えながら夏海を見つめていた。夏海は荒い息をついていた。

 「もし大事なとこ見逃したらあなたのこと許さない!絶対許さないから!!」

 友人は服従するかの如くしりもちをついた。

 惨めな格好を強いられたその女性に哀れみの言葉をかける者など誰も居なかった。恭子はしゃくりあげたままで、克己はそんな恭子を真下に組み敷いたままであった。辺りにはアルコールがまだ強く残る臭気が立ち込めていた。

 静けさが立ちこめる夜の空気を吸い込む窓からは物音一つ聞こえなかった。

 そして後戻りのない遊戯は三順目を迎えていた。

 空の弾倉を叩いたリボルバーを初老の男性はテーブルに置いた。隆哉はその仕草を納得いくまで眺めると、テーブルに身を乗り出した。

 『若いのに酷い人生を送ってきたんだな』

 一瞬、銃身に触れかけた手が動きを止めた。隆哉は初老の男性の方に顔を近づけた。照明を真上に、片方の眼窩に鋭い影を落とした彼の顔は悪意に満ちているように見えた。

 『のうのうと他人の人生の上に胡坐をかいて生きてきた人間にゃ分かんねぇだろうけどな』

 隆哉は勝敗の分かれ目を決める小道具を引っ手繰ると、それをこめかみに持っていき椅子に腰を落ち着けさせる前に引き金を引いた。そして、リボルバーをテーブルの上に滑らせた。

 目の前を通り過ぎて行ったリボルバーを見据えて老人は小刻みに震えていた。震えながら老人は少女が座っていた椅子に視線を投げ打った。

 『もし…』

 初老の男性は身体を椅子に預けながらそう言葉を紡ぎ始めた。

 『もし、あの子が一番先に死んでいたら、あの婦人はどう思っただろう?』

 隆哉は少女が座っていた椅子を見つめた。

 『何考えてるか分からない、いや、無理して何かを隠している我が子に向けて老い先短い自分が何かをしてあげられたらと考えていたとしたら?』

 ボトルの先から滴るマーロットがゆっくりとその染みを絨毯に広げていった。その間に撃鉄が再び空の弾倉を叩く音が聞こえた。

 『隠す?』

 老人は隣の椅子を見つめたまま口の両端をきつく締め上げた。テーブルを見ることなく、彼はリボルバーを手にした。

 『ありゃ単なる愚痴だろうが?』

 空虚を打つ音がひっそりと聞こえた。緊張が解けると老人の身体は萎んだように椅子へ沈んだ。

 夏海はそんな老人の姿に注意すら払っていなかった。

フロアの継ぎ目に食い込んだ彼女の長い爪に歪な亀裂が走った。啜り泣き、恐怖に蹂躙された吐息などは全てどうでも良かった。過去に埋もれた三人のやり取りだけが夏海の意識に深く刻まれていくだけだった。

 画面の向こう側で再びチェンバーが回る音が聞こえた。

 リボルバーのチェンバーに銃弾は六発しか装填できない。撃鉄が五回空振りすればその局面は自然とお流れになってしまう。ただ、夏海にとってそれはどうでもいいルールだった。彼女が願っているのは、このゲームが中止になってしまうこと、ただそれだけだった。

 初老の男性が再びリボルバーを手にした。

 『二人とも誰かに裏切られたんだろ?死んだ奴のことあれこれ言っても仕方ねぇだろ?』

 隆哉はそう言い捨てた。

 『君は…』

 老いの見え始めたその手はリボルバーを掲げた。

 夏海はその場から動けなかった。

 撃鉄は空虚を撃った。

 絨毯に染みこんだワインから伝わる湿気が夏海の膝を掴んで離さなかった。

 銀色のドレスを纏った女性は夏海の変わり果てた姿と現実には有り得ない筈の情景を見せつける画面に挟まれたまま呼吸以外の術を奪われたまま佇んでいた。

 『…老いを迎えて堕ちる奈落がどれほど深いか分かるか?』

 悲鳴がその言葉を遮った。

 夏海は画面から目を逸らし、涙で化粧が落ち、全てを奪われたその顔を隣にいる友人の方に向けた。その女性は耳を両手で覆っていた。恐怖に表情を奪われた女は顔を上げ、咄嗟にその両手を口元へ持っていった。

 夏海は身体の向きを友人の方へ合わせた。友人は瞳に涙を滲ませて首を横に激しく振った。その表情が消え去った顔を前に友人は力の入らない足を梃に後ろへ摺り下がった。

 突然、携帯の着信音が二人の間を割った。

 自然、視線は音のするソファーの方へ向いた。そんな夏海の背中に言葉がぶつかった。

 『私にも娘がいる。まだ何も知らされていない』

 その言葉が鼓膜に響き、思考に浸透するまでの間、夏海は力の抜けた両肩を見せる恭子の後姿をただ眺めてみた。時間は恐ろしくゆっくりと流れていた。全てがスローモーションで流れていく。

 恭子は何時の間にか克己の両腕をすり抜け、ソファーに放置されていたバッグに手を突っ込んでいた。

 『その日の朝もいつもみたく平和な一日になると信じて疑わなかったよ。その日、私は全てを失った』

 「もしもし」

 『血の気がすっと引いていくあの時の感じだ。自分が築き上げてきたものが羽が生えたように飛び去っていく瞬間、身体の中からも何か抜けていくんだ』

 「聞こえない。もう一度言って?」

 『羽が生えたって訳じゃないなぁ。ただ、私が堕ちていた…ただそれだけなんだよ』

 突然、携帯の終話ボタンを押した恭子の手が撓った。

 白い筐体は空を裂き、フロアに跳ねた。次の瞬間、コニファーの鉢植えが振動し、緑の広い葉が揺れる間に携帯がフロアに転がった。銀色のドレス姿の女性は再び耳を塞いで蹲った。恭子はその女性を肩越しに見下ろしていた。

 「忍出してって」

 忍と呼ばれた銀ドレスの女性は頭を一層深く静めた。

 克己は両腕で頭を抱えたままその場から動かなかった。フロアに、いやその場の空気に縛り付けられた克己の横を恭子は通り過ぎていった。その足音はやけに静かだった。

 恭子は額をフロアに摩り付けている忍の後ろに立つと、一気に飾り付けられた後ろ髪を鷲掴みにした。

 鋭い悲鳴が上がる。

 それに気がついていないかのように、恭子は無表情のまま忍の髪を引っ張り上げた。苦痛に歪む忍の顔が夏海の視界に飛びこんできた。が、夏海はそれを遥か彼方で起こっている出来事を眺めるような眼差しで見つめていた。

 恭子は抵抗する術さえ忘れてしまっている忍を引き摺り、リビングの方へと歩き出した。筋肉が弛緩してしまっている忍の両足はフロアに引っ掛かるごとに弛んで震えた。それも束の間、恭子の姿は書棚の背面と合わさる壁の向こうに回り込んで、消えて行った。

 助けを懇願する忍の眼と視線が合わさった。だが、引き摺られた勢いで横顔を扉の支えに打ちつけると、忍は苦悶に表情を奪われたまま夏海の視界から引き摺り出されていった。

 『アンタ、そうなる前は大層な肩書き持ってたんだろ?下の連中に同じことやってきたんだろ?』

 夏海は肩越しにテレビを見やった。

 隆哉はリボルバーを弄びながら、やり場の無い妬みを声にして紡いだ。

 『俺の親父だってそうだった。体よくリストラされるまで、自分の息子のやること成すこと全てバカにするような奴だった。あいつもアンタも同じ穴の狢だ。自分の保身ばっかで、痛い目見た時しか周りを省みねぇ』

 銃口が隆哉の顎の下に潜った。

 『奈落に堕ちた?』

 隆哉は薄笑いを浮かべた。

 夏海の脳裏に口から血の塊を吐き出した中年婦人の顔がオーバーラップした。それと同時に撃鉄が縦に一閃した。

 『それが一発逆転狙ってる奴の吐く台詞か?』

 夏海は四つん這いのまま両膝を崩した。画面には銃を持ち直し、遊底を隣の老人に差し向けたまま、今にも笑い出しそうな隆哉の姿があった。

 リビングの外から食器がぶつかり割れる音が聞こえた。鈍い衝撃音や、テーブル、椅子の脚がフロアを擦る音が後を追い、最後に絹を裂くような悲鳴が沈黙を手繰り寄せていた。

 『傍目から見ればそうだろうな』

 『どこが違うっていうんだ?』

 隆哉が言い終わる前に、老人はリボルバーの遊底を掴んだ。しかし、その手は小刻みに震えていた。その振動から逃げるように隆哉はリボルバーの銃身から手を離した。

 その瞬間、玄関のドアが開き、ヒールが大理石を敷き詰めた土間に転がる音が聞こえた。その後を幾つもの足音が追ったが、「ちょっと、何あれ?」と、いう声と共に足音はバラバラと止まっていった。

 リビングに堰いた足音が先陣を切って雪崩れ込み、数人の男女が開け放しのドアから見える廊下を走り、リビングから見える景色を横断していった。

 声が潜まると同時に、弛んだ両腕を震わせながら、大学に入って以来の親友である三島千鶴子がリビングに駆け込んできた。力なく画面に釘付けにされたままの夏海に近寄り、千鶴子は夏海の両肩に手を置いた。そして、千鶴子は顔を下げて深い溜息をついた。生臭さと酒気の入り混じった息が夏海の鼻腔を掠めた。

 「あのね、夏海」

 生唾を飲み込む音が聞こえた。

 「夏海、落ち着いて聞いて…」

 その今にも途切れそうな言葉を怒号にも似た悲鳴が遮っていった。

 「邪魔しないでよ!」

 その悲鳴を媒体に戦慄が空気に伝わり、リビングを横断していった。夏海は千鶴子の顔を正面に、ストッキングとドレスの裾が絨毯の上に擦れる音を確かに聞いた。

 千鶴子は一瞬廊下の方を見やって、そして夏海の方に向き直った。その顔には既に驚愕が滲み出ていた。そこに表情の無い隆哉の声が響いた。

 『娘が居て、テメェはこんなゲームに首突っ込んでる。おかしいと思わねぇのか?』

 「何であなたの彼氏が映ってるの?」

 千鶴子はテレビ画面と夏海の顔を交互に見比べた。

 夏海は千鶴子に肩を強く揺さぶられながら、ただ押し黙っていた。そして、彼女の腕を掴む千鶴子の握力が不意に消え失せた。

 それと同時に、老人は指紋で輝きを失ったリボルバーを両手で握り、口の中に突っ込んだ。

 夏海の右腕はようやく千鶴子から開放された。千鶴子がその手をどこに持っていき、どんな表情でこの光景を見つめているのか、夏海には全く想像できなかった。

 『大人を敵視しているようが、君は一体どんな裏切りを受けたんだ?』

 廊下の方で再び悲鳴が上がった。

 間髪を入れずに遠ざかる足音が幾重にもリズムもテンポも無く重なり合って消えた。言葉にならない声がその足音達の合間に浮かんでは消えた。その後を追って、男性の短く切れる吐息が言うことの効かない下半身を引き摺る音と共にリビングへ迷い込んできた。

 人を死へと誘う瞬間はタイミングを選ばない。

 硝煙がチェンバーから吐き出され、老人の顔が後ろへ吹き飛んだ。

 銃口から飛び出た銃弾が回転運動を増し、頭皮を引き裂きながら後頭部を貫通したのは数秒にも満たない出来事であった。乱れそよぐ白髪に黒々とした血液が纏わりつき、口端から小さな血塊が飛び出した時、老人は顎を胸元に付け、椅子から滑り落ちた。

 緩んだ口元から更に大きな血塊が糸を引いて滴り落ちた時、老人は椅子から転げ落ちた。もしかしたら、何か喋ろうとしたのかもしれなかった。だが、数秒の合間に起きた一連の動作には全て推測しか付け足すことができなかった。

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