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第五話 ~ 始められたゲーム

 隆哉は暗がりが包み込む空虚をぼんやりと眺めていた。

 …これが隆哉の家族。

 その言葉を口にすることなく、夏海は円卓を囲む面々を見渡していった。思えば隆哉が彼の自宅に招いてくれたことは一度としてなかった。

 そもそも、他の男とは違う雰囲気を買って付き合い出した相手だった。絵画を掲げ、それに違和感を与えないように選んだと言う家具、その棚の一つに収められているポトフォリオの数々。アパートは安普請だったが、中に入ると彼の部屋はそんなお洒落な空間に仕上がっていた。そのセンスは育ちの良さに成り立っていると夏海は思い込んでいた。勝手に想像していた彼の半生に関するイメージはごくありきたりな家族風景の前に脆く崩れ去っていった。

 夏海は無意識のうちに親指の爪を口元に添えていた。

 比肩する者が居ないほどの美貌に翳りが射していた。

その影に言い知れない苛立ちが混ざっていたのが彼女自身にも分かっていた。それ故か、テレビ画面に広がるリビングのドアが閉まる音にも彼女は気づかなかった。

 テーブルの前を黒い影が横切っていった。その人影は学生姿の女の子と老人の間を割ってテーブル中央に何かを置いた。何かが始まる合図だった。


 一体どんな家族ごっこを始めようっていうの?何考えてるわけ?


 頭の中を駆け巡る疑問が苛立ちを増長させ、彼女の前歯に伝わっていった。指先に痛みが走った。それでも彼女は親指の爪を噛んだまま画面を食い入るように見つめて動かなかった。待ち構えていた様に重く輪郭が聞き取りづらい声がスピーカーを通して夏海の居るリビングに忍び寄った。

 『それでは先程もお話したようにフェアプレーでお願いします』

 フェアプレー?

 夏海は爪を噛むのを止めた。どうも話の行き先が変わってきている。これは隆哉の家族じゃない?そもそもこんな家族風景に黒いスーツを着た男が傍らに立っていること自体がおかしいじゃない?

夏海は戸惑いながらも頭の中を整理した。

 そう、これは彼氏ののんびりとした家族との団欒を記録したものではない。何の変わり映えもしないリビングのテーブルに集まっているのはただの他人同士ではないのか?

 夏海は画面を睨むように見つめた。

 老人が皆の視線が集まるところに置かれたものに手を伸ばした。

 女子学生の虚ろな瞳が夏海を見つめ返していた。その瞳には若さというものが感じられなかった。その視線を直視できず、助けを求めるように夏海は画面に映る隆哉の方へ視線を逸らした。だが、それも束の間のことで、夏海は再び少女の方へ注意を惹かれた。

 短いスカートの裾が組んだ足の上で捲れそうになっていた。

そのまま足を上下させる女学生に訳も分からず辱められたような気がして、夏海は目を覆いそうになった。だが、その斜め後ろに構える隆哉の顔を見ると、彼女は全ての動きを止めてしまった。

 隆哉の顔は恐らく対面の同じ高さの位置に置かれたバッグの中から覗いている筈のヴューファインダーに向けられていた。微動だにしない隆哉は大きく目を見開き、口をこじ開けようとする罵声をすんでのところで堪えているように見えた。時間さえも凍りつくリビングで、夏海は震えながら息を飲んだ。隆哉が見せた表情は彼女がまだ見たことのないものだった。

 リビングに彼は隠しカメラを仕掛けた。カメラの方に身体を向けた少女を睨み付ける彼の姿がそのことを物語っていた。

 『なんかさぁ、眩しいんだけど?』

 口火を切ったのは女子学生だった。

 『蝋燭とかないの?雰囲気ぶち壊しじゃん?』

 頬杖をついた横顔が斜め上を向いた。照明を睨んでいる様に見える。

 『あなた、いくつ?』

 体格のいい婦人が身体を折り曲げて対面の女の子に問い掛けた。少女は婦人から身体の向きを逸らした。

 『高校生?どこの学校?』

 画面の中に囚われた少女と夏海がその無神経な恵比須顔を睨みつけたのはほぼ同時だった。その先の成り行きを決めるのは劇中で演じる者の仕事だった。少女は開いた手をテーブルに打ち付けた。乾いた音がテーブルの上に跳ねた。

 『うっさいなぁ!いちいち声掛けんなよ』

 初めて婦人の瞳がくっきりと見えた。婦人は身を乗り出し、言葉を返そうとしたその時だった。

 何か詰まった音がした。

 それは金属が衝突した時に立てる音だった。

夏海は画面の左から右へ目を動かしていった。噛み合わない会話を続けようとしていた二人の視線が交わるところに老人の姿があった。

 老人は普段の生活で耳にすることのない金属音を響かせた物体をテーブルに置いた。少女は眉の吊り上った横顔を婦人の方に向けた。そのまま、少女はテーブルに置かれた物体を掴み、持ち上げていった。

 その険しい顔を直視することができなくなったのか、婦人は左隣にいるスーツ姿の男性に向かって明るく振舞ってみせた。だが、その目は笑っていなかった。

 『年頃になるとこうなるんですよね。だんだん親の言うこと聞かなくなって』

 『親でもないアンタが言うなよ』

 婦人は表情を曇らせながら口を噤んだ。

 追い討ちをかけるように、耳障りな金属音が円卓を突き抜けていった。

 音の余韻が微かに漂っていた。その余韻はいつまでも鼓膜に張り付くようで不快感を残した。少女は金属の塊をテーブル中央に叩きつけると、隣に座るスーツ姿の男の前にそれを押し退けた。

 夏海は圧縮ガラスの表面を指でなぞった。

 明るい色に包まれた卓上に輝く物体を凝視してみる。少女を睨み据えたまま指を組む隆哉の顔がどうしても彼女の注意を引き付けて離さなかった。こけた頬に、前に会った時にはなかった白いものが刈り込んだ黒髪に混じっていた。セーターに滲んでしまうような褐色の肌はつやを失い、どことなく土気色にさえ見えた。夏海は自分が選んだ男の顔立ちが憔悴して荒んで見えることがどうしても我慢ならなかった。

 胸の内に浮かぶ疑問を飛び越して熱いものがこみ上げて来た。

 『初対面のくせして、何で馴れ馴れしい口きくわけ?気持ち悪いんだけど』

 刺のある言葉が円卓の上に投げ出された。穏やかだが、どことなく諦めにも似た溜息がその場に長く尾を引いた。

 夏海は目許を人差し指で拭った。掌をオレンジ色の斜光に晒してみるが、張り付いた涙は肌の色と同化していて、熱いものが急激に冷えていく感覚しかそこには残っていなかった。

 『いつから分からなくなったのかしらね』

 夏海は顔を上げた。

 婦人は眉を顰めたまま、動かなかった。言葉を押し出すようについた吐息が静寂に吸い込まれていった。

 『勉強ばっかり押しつけて。「良いところに、良いところに」ってそればっかりで…』

 婦人は声を詰まらせていた。隣の男性が背広のポケットに手を回し、黒なのか紺なのか判別できない色合いのハンカチを差し出した。婦人は手を振って、両腿に預けておいたバッグかを開いて白いハンカチを取り出した。

 『ごめんなさいね、私の娘の話なんですけど、急にこんな話を切り出しても仕方がないですよね』

 目許にハンカチを添えながらそんな言葉が夫人の口から零れた。カメラに一番近い男性の後ろ頭が左右に揺れた。

 『根は良い子なんですよ』

 婦人は顔を上げていた。

 『家事も進んでやってくれて、誕生日はもちろん、母の日のプレゼントも欠かしたことなくって…』

 そして、笑顔は日が翳ったように沈んだ。顔を逸らし、ハンカチで口元を隠した婦人は堰を切ったように言葉を紡いだ。

 『親の欲目だって言われても良いんです。自慢の娘だけはもっと高いところを歩いて欲しかった。良い大学行って、良い会社に入って、ちゃんとした人見つけて結婚して。一生懸命働いてやっとって暮らしに捕まらないように、私みたいにあくせくしないでいいように今頑張ってって…』

 制服姿の女の子はまた肘をテーブルにつき、さっきとは逆方向に身体を捩った。軸足の踵を浮かせて始めた貧乏揺すりが直接、彼女の座る椅子に伝わっていった。

 これまで言葉らしいものを口にしていなかった老人が不意に咳払いをした。

 少女は頬杖をつきながら、テーブルの反対側へ視線を投げた。隆哉は既に少女から視線を逸らし、テーブルの縁を先程と変わらぬ険しい表情で見つめ続けていた。

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