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第三話 ~ 轟音

 ドアが大きな音を立てて閉まった。リビングからのざわつきがいつしか一際大きくなり、そしてしぼんでいった。夏海は廊下の方を肩越しに見た後、コンパートメントに置かれているCDケースの方へ歩いていった。

 白いケースは照明の光に白く輝いていた。細く透き通る手がその白いカバーに影を落とした。長い爪と同じようにすらっと伸びた指が小刻みに震える。その振動は微かに洩れる吐息に伝わっていた。指の先が震えながらもその距離を縮めていく。

 「何してんすか?こんなところで」

 夏海は振り返り、センターキャビネットに思わず腰をぶつけた。指先がケースに当たり、正方形の軽い物体は回転しながら滑っていった。そしてケースはキャビネットの隅で動きを止めた。だが、夏海はケースがどこに移動したかよりも、キッチンに進入してきた克巳の方に気を取られていた。

 「何してるの?」

 「何って、酒きらしちゃったんすよ」

 克己はむすっとした表情で答え、ワインラックに手を伸ばした。夏海は鼻息を荒げると、キッチンフロアを横断していく。その途中、彼女は調理台に置きっぱなしだったワインボトルを掴んだ。

 「どうせだったらこれを開けてくれる?」

 克己は肩越しに彼女を見ると、驚きの表情を浮かべていた。そして突然吹き出した。

 「なんだ、そっちもワイン開けようとしてたんじゃないですか?」

 背の高い後輩はボトルに手をかけ、奪うようにしてボトル手にするとセンターキャビネットの方へ戻って行った。夏海は腕を組むと、ステンレス製の調理台に背を預けた。

 「ずいぶんご機嫌じゃないの?」

 「へへ、狙い通りでしたよ」

 克己はにやけた面を夏海の方に向けた。夏海は眉をひそめ、身体を起こした。克己はコルクが乱暴に抜かれる時に放つ耳障りな音にも構わず、栓を引き抜こうと躍起になっていた。夏海の手が上着の襟に伸びた。

 上着が引っ張られ、ネクタイが解けたシャツが肌蹴た。その首周りには真新しい口紅の痕が付いていた。

 「あなた、私の家で一体何してたの?」

 「いや何って…」

 克巳はべっとりとついた口紅をシャツの襟で隠そうとしながら言い澱んだ。夏海はいかがわしいものを隠そうとしている手を掴んで更に詰め寄った。

 「まさか寝室でやってたんじゃないんでしょうね?」

 「そんなことしてないっすよ!」

 夏海は踵を返すと廊下へ飛び出た。克巳は廊下の壁に手をかけて夏海の背中に声をかけた。

 「どこ行くんすか?」

 夏海は肩越しに突き刺すような冷たい言葉を残した。

 「私の家でアンタにいちいちどこ行くか教える義務なんてないでしょ!」

 その言葉を彼が反芻する間に、夏海は玄関に面した階段を駈け上がっていた。克巳は天井を仰ぎ、壁を強く叩いた。彼はキッチンに戻り、コルクを抜きにかかった。だが、ボトルに手をかける前に、彼はタイル張りのコンパートメントにキッチンには普通置いてある筈のないものを見つけた。彼は放置されたCDケースの方へ足を向けた。

 

 階段を上りきって右手に見えるのは客用の寝室だった。

夏海の部屋はその奥にあった。夏海は使っていない客室の前を通り過ぎたが、一度引き返した。普段は閉じている筈のドアから光が漏れている。夏海は中の様子を覗き見ながらドアを少し押した。

 衣擦れの音が聞こえた。

ベッドに腰掛けたままドレスのストラップを直した女性が咄嗟に振り向いた。克巳と一緒にいた女性だった。名前は思い出せない。夏海はドアを荒々しく閉めると、自分の部屋へと駆け込んだ。

 ベッドの脇のキャビネットに置いてあった自分の携帯を引っ手繰るように掴むと、電話帳を開いてリダイアル履歴から一つの電話番号を選んだ。インタフェースを耳にあてがった時、開け放しの入り口から廊下に慌てた足音が鈍く響いた。

 夏海は短く鼻を鳴らした。電話越しには呼び出し音が何度も何度も鳴っていた。夏海は電話を切って、履歴から同じ番号を選んだ。

 呼び出し音が再度鳴る。四回、五回と、呼出音に全神経を集中させる。ようやく、ブツッという通話状態に切り替わる音が聞こえた。間髪を入れずに声が喉元を飛び出そうとしたその時だった。

 レースカーテンに覆われた窓は何かが弾ける音に従って微かに揺れた。

だが、その音は窓を通り越して聞こえてきたにはやけに鮮明すぎた。その音は余韻をもう片方の鼓膜に残して消えた。通話中の携帯からはどこともいえない都会の雑多が溢れ出していた。そこに悲鳴や叫び声が木霊してきた。そこにもう一度、その異様な衝撃音が飛び込んできた。

 音がどこから聞こえたのか、夏海には分からなくなった。その音は部屋中を埋め尽くしていた。

 夏海はベッドから腰を上げ、窓の方に近づいた。携帯はベッドの上に置いたままだった。窓を覆うカーテンを少し開けてみる。二階から見える景色はいつもと変わらない街灯の白い光を疎らに照らし返す夜景が広がっているだけだった。

 窓際へ寄った彼女の背に下の階から涌いてくるざわめきが圧し掛かってきた。夏海は振り返り、自分の部屋を後にした。

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