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第九話 ~ 第四発目の銃撃

 第三の惨劇が映し出され、リビングに残った者、居合わせた者から言葉を奪っていった。

 千鶴子のぽかんと開いた口から胸中に燻っている不安を引き摺り出し、テーブルに散乱するゴミが放つ異臭がその隙間に潜り込んで行った。夏海は千鶴子の方に顔を向けた。言葉の無い間隙を濃厚な無気味さが支配していった。

 「何の話?」

 千鶴子は両手で口を覆った。

 頬に長い爪を立てたその瞬間、指の間から赤みがかった液体が迸った。千鶴子はドレスを汚す吐瀉物をどうにも出来ないまま立ち上がった。その足がフロアに撒き散らされる饐えた液体に滑り、ぽっちゃりとした身体が夏海の目の前で横倒しになった。千鶴子は身体を更にくの字に折ると消化しきれていなかった鴨のソテーの欠片をシャルドネーの成れの果てと共に吐き出した。

 …あのシャルドネー、高かったのに…

 下らないことに夏海の意識が殺がれるその傍らで、頭部が取り返しのつかないほど損傷した老体が始末される音が途切れなく続いていた。夏海が無表情のままその醜態を見つめる中、千鶴子は四肢を震わす獣さながらに身体を起こし、口元を拭った。

 音も無くカーテンが翻った。

 肌を刺す外の空気が一段とその冷たさを増した。だが、夏海は鳥肌の立つ腕を庇おうともしなかった。

 千鶴子の腕は止めど無く震えていた。

 それが温度の無い外気のせいなのか、内から火照る恥辱のせいなのか、夏海はおろか、他の誰にも分からなかっただろう。

 キャビネットを彩る花々、インセンスの役割も担うキャンドル、豪奢な家具のそれぞれが広がり続ける悪臭にその存在意義を否定され、輝きを失っていった。

 千鶴子は重そうな腰をふらつかせ、歩き出した。

 一休みして廊下に身を乗り出した千鶴子の動きが止まった。斜交いに見える何かに目を瞠り、顔をくしゃくしゃにして千鶴子はいきなり駈けた。そして子供のような泣き声が慌ててその後を追っていった。

 その泣き声が起爆剤になったのか、今まで石のように黙りこくっていた克己が蹲ったまま再び念仏を唱えるように何かを繰り返し呟き始めた。

 『笑っちまうよなぁ。俺が一番嫌ってる典型的な金持ちと二人居残っちまうなんてな』

 初老の男性は今一度銃口をこめかみに当てた。

 『そう急くなよ』

 忘れてしまいたいあの金属音が一閃した。積み上げたもの全てが崩れ落ちそうな気分に縛れる夏海の目の前で、照かりがまた揺らいだ。

 初老の男性がリボルバーをゆっくりと置く。

 『そう、じっくり楽しもうじゃないか』

 その男性はチェンバーの辺りに添えていた掌に力を入れ、スナップを効かせてリボルバーをテーブルに滑らせた。

 螺旋を描く銀の銃身がテーブルを横断し、隆哉の掌に収まった。

 『たった数枚の紙切れと一時間程度の尋問で人をひよこの仕分けみたいに「優良」、「不良」って仕分けしやがる』

 背広の角張った肩が左右に揺れた。その向こうで、指を組んで語り出す他やかの顔にまた翳が走った。

 『思い入れのある作品をざっと目を通してアイツら笑いやがった。「才能ねぇよ」って言わんばかりに…』

 夏海は目尻の辺りが弾けたような感覚も敢えて無視した。

 『俺の彼女もそうだった。労力を注ぎ込んだモノを見て「他に無いの?」って言いやがった。理解してねぇのバレバレじゃねぇか。育ちの良い環境で見慣れたルノール、ダリ、ピカソなんかを混ぜくって見てりゃ良いんだろ?くらいの気持ちですましやがって…』

 出かかった声を夏海は両手で必死に押さえた。目許がついに痙攣してきた。撃鉄がすかさず空を撃った。

 『嫌んなっちまってよ。そんなところにリストラであの野郎が俺に泣きつきやがった。毎日愚痴ばかり並べたてやがってどうしようもねぇ』

 夏海は口を押さえながら首を振った。厚い水滴がドレスの裾に染みを作り、跡を残した。

 『それで、君はどうしたいんだ?』

 隆哉がテーブル中央に残された銀色の凶器に手を伸ばした。チェンバーが回転し、撃鉄が再び空虚を叩いた。老いが窺える溜息が零れた。

 『一体君はどうしたいんだ?』

 冷たい声が今一度対の空間に響いた。唇の線がS字に歪んだまま、隆哉は手にした銃を顔の傍で遊ばせた。

 『女に全て送りつける。遺書と作品皆ひっくるめてな』

 初老の男性の翳が初めて右に傾いだ。頬杖をついていた。

 『それをやったとして君は何が起こること望んでいるんだ?』

 夏海は敗北したかのように俯いた。両手で耳を塞いだ。止める術もなく大粒の涙と嗚咽が零れ落ちた。そして、その涙は膝元に落ちて弾けた。その様はスローモーションが掛かった雨粒が自分の膝元に降り落ちる様はいつか見た映画のワンシーンさながらであった。

 隆哉は肩頬に笑みを残した。

 『俺の値打ちを知ってもらうんだよ』

 彼は撃鉄を引いた。余韻を、彼の浮かべる含み笑いが機先を制そうとした。

 『悪いが…』

 その言葉と共に、節くれだった手がその笑みに水を差した。

 『教えてもらえるかな?どこのお嬢さんがそんな酷い目に遭うのか』

 『仁科…仁科夏海』

 間を置いて高笑いが画面中に舞った。

 『そうか、私の娘も大変な目に遭ったな』

 夏海は前髪を掻き乱し、瞳を覆った。

 隆哉が真顔のまま片頬を歪めた。それが合図だった。撃鉄は再びチェンバーへ振り下ろされた。

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