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悪い妖精お手製、古き良き仮死状態アイテム。
「どくりんご?」
「毒……」
「リンゴが毒なのですか?」
エメリアの言葉に、メレディス以外が首を傾げた。
「メレディス、人を仮死状態にするリンゴを作れないかしら」
「ええ、まぁできますが……さすがエメリア様、妖精の秘技を知っているなんて」
吐息をこぼしたメレディスが出した手に、つやつやの美味しそうなリンゴが現れる。
エメリアは机に置かれた、自分の背よりも高いそれを見上げた。
「意識がある状態では、あちらの力が強くて身体の中に入ることができません。寝ているときも試したのですが、ダメでした」
だが、仮死状態ならどうだろう。
それに、仮死状態を死んだものと判定して、運命から逃げられた物語はたくさんある。
白雪姫しかり、眠れる森の美女しかり。
愛する人とのキスで目覚めることも含めて、エメリアは作戦を簡潔に説明した。
「あとは『エメリア』が差し出されたリンゴを素直に食べてくれるかどうかですけど……」
「俺に任せてくれ」
口を開いたのは、ギルフォードだ。
「一口でも食べさせればいいのだろう」
「ええ、……まぁ」
そうしてギルフォードは偽の離縁状と切ったリンゴを持って、『エメリア』の待つ寝室へと赴いた。
そのポケットにそっとエメリアは身体を忍ばせている。子どもたちはメレディスにお願いした。
「入るぞ」
寝室に現れたギルフォードを見て、『エメリア』が嬉しそうに微笑んだ。
「陛下」
駆け寄って、躊躇なく抱きついた。
「ぐ……」
宣言通り、途端に動きがぎこちなくなるギルフォードをポケットから叩く。
――陛下、しっかりしてください。
それに、自分のそういう仕草はむず痒くて見ていられない。
「……夜食にどうだ」
気を取り直したギルフォードが言う。
『エメリア』は彼の持っているリンゴに視線を向けた。
「……ありがとうございます、でも私リンゴは嫌いで」
「そう言わず」
ギルフォードがひとつとって、自分の口元に持っていく。
一口、自分で食べた彼は『エメリア』の顎に手を置いて上を向かせ――口づけた。
――えええええ!!
目を見開いた『エメリア』の喉が動く。
次いで、ふらりと彼女の身体から力が抜けた。
気を失ったエメリアの身体を、ギルフォードが危なげなく支えてベッドに横たえた。
「これでいいか」
「な、なななぜそんな方法を」
真っ赤になって口に手を当てたエメリアに、ギルフォードがさらりと言う。
「確実に食べさせるには手っ取り早いだろう」
「そうかもしれませんが!」
多分これが初キスだ。ギルフォードは気づいているのだろうか。
いや、今は目を閉じる『エメリア』のほうが重要だ。
メレディスがかけてくれた呪いを素早く解く。もう見慣れた半透明の姿になれば、身体はさらに小さくなった。
これがおそらく最後の機会。
「ありがとうございます陛下! でも後でいろいろ言いたいことがありますからね」
「ああ、楽しみにしている」
ギルフォードがそう言って口元を持ち上げた。
目を閉じた自分の頬に触れてみる。確かに今までと違い、弾かれることはなさそうだ。
エメリアはそのまま、自分の中に入った。
ふと気づくと、暗くて濃い霧が漂っている場所にいた。
沼地のように足を絡めとろうとするその奥に、うずくまる『エメリア』がいた。
目覚める方法はわかっている。愛する者とのキスだ。
けれどその前に、したいことがあった。
「……ひどい」
近づくと、『エメリア』は顔を手で覆って泣き出した。髪は乱れて痩せている。
「どうして私ではだめなの……あなたばかり、愛されて」
愛する夫に振り向いてもらえなくて辛くて、娘にその鬱屈を向けた『エメリア』。
エメリアはその彼女の前に立った。
「こんな皇妃、おかしいのに、なんで……なんで」
『エメリア』は小さくなっていく。
そこで、ああ、これは別人ではないのだと悟る。
エメリアが前世の記憶を思い出したときに、無理に封じた自分だ。
箱入り娘で世間のことを何も知らなくて、ただの政治の道具として嫁いで――王宮から飛び出すことを思いつくことすらできなかったあの頃の。
その前に膝をついて、自分に問いかけた。
「ええ、皇妃としては失格ね。でも、楽しくなかった?」
「――楽しかったけどぉ」
「よかった」
あなたをこんなところに置きっぱなしにすることにならなくて。
「私はあなたで、あなたも私なんだから、仲良くしたいんだけどな」
エメリアは沼地から自分を引っ張った。
髪を乱した『エメリア』が、顔を上げるのに笑いかけたところで、ふと、温かい気配がした。
頬と、額だ。
◇
ベッドの上で目を閉じているエメリアを前に、イヴァンは息を吐いた。
まさかそんな大変な事態になっていたとは。
――でもきっと、皇妃様に任せておけば大丈夫。
問題は……。
ちらりと、イヴァンは寝ているエメリアを前にしている三人に視線を向けた。
部屋の中には妙な緊張感が漂っている。……誰が、エメリアを目覚めさせるかで。
「俺はエメリアの夫だぞ」
「毒をつくったのはわたくしです。お任せください」
「フレンも!」
親愛と感謝の気持ちとしてはイヴァンも参戦したいところだが、ぐっと堪えた。
「――わかりました。ではこうしましょう!」
イヴァンはまったく引かない三人に提案した。
そして折衷案として、右頬にフレンが、額にギルフォードがキスをすることになった。
「わたくしも……」
「メレディスさんは我慢してください。不測の事態が起きたときに頼れるのはあなただけです」
そして、エメリアは二人からの額と頬へのキスを受けた。
◇
目が覚めて、左手をギルフォードが、右手をフレンが握ってくれているのを知る。
毒リンゴの影響か、久しぶりのせいか身体が重い。けれど。
「おかあさま……?」
目があってフレンが眉を下げる。
身を起こしたエメリアは、彼女に両手を広げた。
「フレン、おいで」
「……っ」
ぎゅっと抱きついてきたやわらかい身体を、エメリアは力強く抱きしめた。