27、皇妃エメリア
「……大丈夫です」
皆の顔を見回して、『エメリア』が口を開いた。
そして彼女はそのまま、目の前のギルフォードに抱きついた。
――ええええ!?
半透明なままエメリアは悲鳴をあげる。
「エメリア?」
「……怖かった」
戸惑う声を上げるギルフォードに、『エメリア』がか細い声で言う。
腕の中で安堵の息をつく彼女を、無言でギルフォードは抱きしめ返した。
――な、なななななにを!
すがりつく『エメリア』を引き剥がそうと必死で手を伸ばすが、虚しく宙を掴むばかりだ。
その間にもフレンが『エメリア』の服を引く。
「おかあさま、大丈夫ですか、どこかいたいのですか!」
「……」
心配そうなフレンを見て、にっこり笑った『エメリア』は彼女の頭を優しく撫でた。
「痛くはないわ。ただ、村人に襲われたのがとても怖くて……」
そこでギルフォードが『エメリア』を抱き上げた。騎士の隊長と侍従を呼んで言う。
「近くに休める場所はあるか」
「すぐに手配いたします!」
他の騎士たちは、村人を速やかに移送している。
ギルフォードが『エメリア』の身体を馬車に運び、フレンとイヴァンはその後ろを心配そうについていった。
――待って!
慌てて皆を追うが、まるで水の中をもがくようにうまく進めない。というよりも……半透明のまま身体が縮んでいた。
行き交う騎士や女官も誰一人、エメリアには気づかない。
そして、皆を乗せた馬車はそのまま走り去ってしまった。
半透明の身体はどんどん縮んでいる。
すでに生えている草よりも低くなっていた。
視界が効かない中、先程自分にぶつかった黒い蛙の姿を探すが、どこにもいない。
――確か彼は『身体を乗っ取ろうとしたのに』と言っていた。
エメリアの身体に、魂が二つあるとも。――だとしたら、もしかして自分は身体から魂だけ追い出されてしまったのだろうか。
――どうしよう、っ。
そこで身体を持ち上げられた。
びっくりして上を見ると、そこにはメレディスがいた。薄く笑いを浮かべる彼女が言う。
「あらあら、こんなに小さくなって……これなら予定通り一口で食べられてしまえそう……」
ほう、と息を吐いたメレディスにエメリアは聞いた。
「メレディス、無事でよかった。黒い影を追っていったけどそちらは何もなかった?」
問いかけると、彼女は口をへの字にした。
「渾身の悪演技がむなしい……これでも半分、本気なのですけど」
軽く空中で指を回したメレディスの手に、手のひらサイズの瓶が現れる。
小さくなったエメリアはその中にそっと入れられて、コルクの蓋をされた。
「ここから出ないでくださいませ。さらに小さくなれば、存在自体が消えてしまいます」
ビンは密閉はされているが、苦しくはない。
改めて自分の手を見れば、形がはっきりしていて小さくなるのも止まっていた。
「さて」
メレディスが瓶を覗き込んだ。
「どうしてこんなことに?」
「私にもよくわからないのだけど……」
メレディスがこの場を離れた後の話をする。
背中に何かがぶつかった感触と、逃げていく黒い蛙。そして彼が悔しがっていたことも。
「なるほど……」
メレディスはビンを持って周りを見る。
「妖精たちはあちらの世界に逃げたので、これ以上追いかけても時間がかかります。ひとまずフレン様たちと合流したほうがよろしいかと」
「……ええ」
ギルフォードたちは、少し戻ったところにある貴族の屋敷に身を寄せていた。
メレディスとともに部屋に入ると、ベッドに座る『エメリア』をフレンたちが囲んでいた。
控えるメレディスの手にあるビンの中から、それを眺める。
『あれは、村の人たちみたいに、操られているとかでは……』
「いえ、あれは、間違いなくエメリア様自身です」
メレディスが断言する。
身体を乗っ取る悪い妖精たちの思惑は失敗した。
エメリアの中にもう一つ、魂があったから。
儚くかよわい公爵令嬢。あれは……おそらく本来の『エメリア』だ。
――じゃあ、『私』は……?
ぞくりとする。
少し考えていたのだ。自分には公爵令嬢の記憶も、前世の記憶もあるけれど、ではそれは何者なのかと。
もともとこの物語に紛れ込んだ異物だ。あっさりと身体を追い出されたのがその証に思える。
「少し状況を確認してくる」
「いってらっしゃいませ」
『エメリア』に声をかけて、ギルフォードが騎士とともに部屋を出た。
イヴァンも、異変を察知して自分の馬車を飛び出してきたようで、連れの者を呼びに行っているようだ。
ベッドに座る『エメリア』はどこかぼんやりした表情をしている。
ビンの中でエメリアは顔をうつむかせた。
――私……いる必要はあるのかな。
自分がいなくとも、身体はちゃんと機能している。
ギルフォードもフレンも心配ない。
これが本来の形なのだとしたら……。
そこでフレンが心配そうに『エメリア』に声をかけた。
「おかあさま、あのね」
――フレンにとっても、本物の母親のほうが……。
パン、とふいに叩く音がしてエメリアは顔を上げた。
「……おかあ、さま?」
フレンが『エメリア』を前に硬直していた。
その愛らしい白い頬が、じわりと赤くなっていく。フレンの頬を叩いた『エメリア』が、冷ややかに彼女を見る。
「――いちいち、うるさい子」
「え……」
呆然としているフレンに、『エメリア』が微笑んだ。
「静かにして。今、お母様は考え事をしているのよ。それくらいわかるでしょう」
「……ご、……ごめんなさいっ」
フレンが謝る。震える彼女の目に涙があふれてまばたきで床に落ちた。
ベッドの上の『エメリア』はそれを一瞥して、興味がなさそうに窓の外に視線を向けた。
――はああああああああああ!?
一瞬で怒りが沸点を超えた。
瓶の中からエメリアは自分を指さした。
「メレディス、あいつ! フレンを泣かせたあいつギッタギタにしましょう!」
「落ち着いてください。一応、自分の身体ですよ!」