18
ギルフォードとともに温室に行き、授業を終えたばかりのフレンに埃の妖精のことを聞いてみた。(もちろんエヴァン公爵の件は隠した)
「しらない子です」
フレンは首を振る。
周りを飛ぶ妖精に、フレンが問いかけるように視線を向けると、彼らは少し戸惑った顔になった。
「……それは、悪い妖精の一種ですね」
口を開いたのは、妖精学の教授だ。
「悪い、妖精」
「きょうちょうど習いました!」
フレンが持っている本を開いて見せてくれる。
そこには、深くおどろおどろしい森とともに異形の妖精たちの姿が描かれていた。
一般常識として、この世界には人に良いことをもたらす善い妖精と、害をもたらす悪い妖精がいるとされている。
フレンを愛し子としているのは善い妖精だ。そしてこれから登場する継母メレディスは悪い妖精。
悪い妖精は例えば心を操ったり、病を引き起こしたりする恐ろしい存在だ。
だが。
「その妖精に助けてもらったのです。それに敵意は微塵も感じませんでした」
むしろもっともふもふしたかった。
同意を求めるようにギルフォードに視線を向けると、彼も頷く。
「……ああ。それに、王宮には悪い妖精や妖魔が入って来られないように呪いが張られているはずだ」
「妖精の中でも高位のものは、呪いの穴を破ってきますからなぁ」
教授が髭を撫でながら眉をひそめた。
悪い妖精と聞いて一瞬メレディスを思い浮かべたが、あの可愛い埃妖精はどうしても悪い子に思えない。
そう考えていると、フレンがエメリアの足にしがみついた。探るような目でこちらを見る。
「……おかあさま、ようせいさんに助けられるようなじょうきょうだったのですか?」
しまった、うっかり口が滑った。
「た、大したことじゃないのよ。滑って転んでしまいそうなところを助けてもらったの」
とりつくろうようにフレンを抱き上げる。
彼女はぎゅっと抱きしめ返した。
「おかあさまを助けてくれたのなら、わるくてもいいようせいさんです」
「ふふ、そうね」
そんなエメリアたちを教授がじっと眺めていた。心の底まで見透かされそうな目がキラキラ光っている。
しばらくして満足そうに教授は笑った。
「ふぉっふぉ、さすが皇妃様。これは未来が楽しみですなぁ」
そう言葉を残して、教授は帰っていった。
浮世離れしている人だと思っていたが、やはりつかみどころがない。
――ああいう登場人物がいた気がするけど……。
小説本編とすでに内容が違っているせいか、これとはっきり断言できない。
教授の小さな背を見送って、ギルフォードは言った。
「呪いを強化するように通達はしておく。それより二人に話しておきたいことがあってな」
彼はそんな前置きで、爆弾を投下した。
「イヴァン殿下が、わが国に長期留学したいと申し出ている」
「――」
思わぬことにエメリアは目を見開いた。
数ヶ月前に別れた愛らしい少年を思い出す。
もちろん折に触れて、フレンの妖精を通じて会話をしていたが、そんな話は初耳だ。
エメリアに抱っこされているフレンは頬を膨らませていた。
「まさか本当にくるつもりなんて……」
「もしかしてフレンは知っていたの?」
「ようせいさんがそういう動きがあることをおしえてくれました」
「そう……」
「君はどう思う」
ギルフォードに聞かれて、エメリアは即答した。
「また会えるのは嬉しいです」
しかし、とエメリアは首を傾げた。
「王太子が長期で国を空けてもいいのでしょうか」
「いない間に、地位を奪われるかもしれないのは覚悟の上だろう」
確かに。だが留学名目のイヴァンを切るのは、さすがに向こうの国王も外聞が悪いだろう。
イヴァン以外の王子王女は確かまだ三歳以下だ。大きくなれば勢力争いは苛烈になる。これがラストチャンスだと、あの聡いイヴァンは考えたのかもしれない。
「陛下は申し出を受けるおつもりなのですか?」
「そうだな。イヴァン殿下との繋がりは我が国に有益だ。それに寝……、っんん」
「?」
咳払いをしたギルフォードは首を振った。
「なんでもない。向こうには了承の返事をする」
これはまた不測の事態だ。
一体物語はどうなるのか。
「……頭が痛い……」
とはいえエメリアとしては断る理由はない。
フレンと共に甘やかすと決めたし……フレンも、頬を膨らませているが拒否はしないようだ。
――うん、まぁ、幼馴染設定もいいよね!
そう自分を無理やり納得させた。
そこでふわりと身体が浮いた。
「え」
フレンを抱いたエメリアを、まるごとギルフォードが抱き上げたのだ。
「風邪か、先日も寒そうにしていたし」
「あっ、違います! さっきのは慣用句というか」
「おいしゃさまはどこですか!」
「フレン、気にしなくていいのよ。陛下、降ろしてください!」
医者を探して妖精を王宮中に飛び回らせるフレンと、フレンとエメリアを抱き上げて廊下を駆けるギルフォードの姿はしばらく宮廷の話題にのぼることとなった。