13
「わきが甘い!」
「はい!」
中庭でギルフォードとイヴァンが木剣で打ち合っている。
素人のエメリアの目から見ても、数日でイヴァンはめきめきと腕を上げているのがわかった。
もともとセンスがいいのか、ギルフォードの教え方がうまいのかその両方か。
――原作でも、フレンのピンチに颯爽と現れるし。
それを思い出して頬に手を当てると、背後で火柱があがった。
「ようせいさん、おねがいします!」
ギルフォードとの基礎体力訓練を終えたフレンが叫ぶ。
それに呼応して妖精たちが炎に向かって水の弾を一斉に打ち出した。
いくつかは中庭の木に当たって……火が消えると同時にめりめりと音を立てて木が倒れた。
「ほっほっ、その調子です皇女様」
その様子をにこにこ笑って見ていた妖精学の教授が髭を撫でながら褒める。
「ありがとうございます!」
フレンが言うと、それを見ていたイヴァンが、近くにある木に剣を叩きこんだ。
「――えい!」
一刀で木が真っ二つになって倒れる。ギルフォードがうなずいた。
「その調子だ。気が練れるようになってきたな」
「ありがとうございます! 師匠!」
今度はそれを見ていたフレンが手を握りしめる。
「……まけられない……!」
お互いがお互いに対抗心を燃やしているようだ。
いい傾向ではある。ある意味仲良しと言えなくもない。
それにしても……と思う。
フレンは妖精の愛し子。
ギルフォードとイヴァンは剣の達人。
継母メレディスは悪い妖精。
場違い感がひどい。途中退場キャラには、やはり主役級は眩しすぎる。
――私も一緒に訓練しようかしら。
腕を曲げて力こぶを作ってみた。
「おかあさま!」
「皇妃殿下、どうかしましたか」
「……どうした」
訓練が一段落したのか、三人がそんなエメリアの座るテーブルに近づく。
「な、なんでもないわ。おつかれさま」
彼らにタオルを渡して、エメリアは用意していた特製レモネードをふるまった。
イヴァンは剣以外にも日々ギルフォードについて回り、政を学んでいた。
本来は五日ほどの滞在の予定を、本国と連絡をとって、二週間に伸ばしている。
賢く敏く、勉強熱心な彼は王宮ですぐに人気者になった。
フレンも勉強に一層熱心に取り組んでいて、教師陣からは目を見張るほどだと聞いている。
そして宣言通り、ギルフォードはこの間毎夜やってきた。
部屋でフレンたちからその日のことを聞いたり、本を読んだり温かいお茶を飲んだりしているとギルフォードが姿を現す。
仕事で遅くなりそうなときは侍従から連絡を受けた。
寝室には四人でも寝られるベッドが置かれて、エメリア、フレン、イヴァン、ギルフォードの順で横になった。
「狭くありません?」
それにしても皇帝陛下を端にしていいのだろうか。
とはいえ先日の抱きしめられて寝た件もあるので、エメリアとしても離れているほうがありがたい。……ギルフォードは気にしていないようだが。
しかしそうなると、むしろ気を遣うのはイヴァンだ。
「あの、やっぱり僕は部屋に……家族の団欒を邪魔するわけにもいきませんし……」
「構わない、気にするな」
「気にしないほうが無理な気がします……!」
「師匠命令だ」
「ぐっ」
ベッドの端で何か二人がひそひそ話しているのを、寝ているフレンを抱きしめながらエメリアが見る。
――そりゃあ隣国の皇帝の隣に寝るのは気が引けるわよね。
確かにイヴァンが自室で寝るのであれば、ギルフォードも寝室に来ないだろう。しかしイヴァンをそんな理由で帰すことは流儀に反する。
ということで、これが妥協点だ。自分にそう言い聞かせる。
「もう火を消しますよ」
枕元のランプに手を伸ばした。
ふっと明かりが消えれば部屋の中はほとんど真っ暗だ。
「……おやすみなさいませ」
ごそごそと布団の中に潜り込む音の後に、小さなイヴァンの声が響く。
「おやすみなさい」
「……おやすみ」
「すう……」
そんな当たり前の挨拶をして、エメリアは目を閉じた。
◇
エメリアは昔の――前世の夢を見た。
両親は幼い頃に離婚して、母は仕事に忙しく小学生に入る前からいつも一人で眠っていた。
そしてそのうちに新しい恋人ができたと、母は自分を施設に入れた。
参観も運動会にも、母は来たことはない。
楽しそうにしている皆を横目に、教室で一人でパンを食べるのが当たり前だった。
転機があったのは、就職してから。
仕事をすればするほど認めてもらえる。それは……不思議な感覚だった。
与えられなかった愛情に飢えるように。頑張って頑張って、感謝されて、初めて自分がここにいていいと認められた気がした。
『――さん、これもよろしく』
『おかげで助かるわぁ』
皆から仕事を振られて、帰る時間どころか眠る暇もない。
眠るのはただの作業だ。忙しくしていれば、何も考えずに済む。
そんなある日、自分を捨てた母が金を借りにきた。もう二度と顔も見たくないと思っていたのに、頼まれれば断らずに貯金を少しだけ渡した。
その後も何度も母は金の無心に来た。
さらに忙しく仕事をして、とある夜のこと。
日頃の睡眠不足がたたり、足元がおぼつかないまま家に帰るところで、青信号で突っ込んできたトラックを避けきれず――
◇
朝の光に目が覚める。
隣には、すよすよと眠っているフレン。
その向こうにあどけなく眠るイヴァン。さらに向こうにギルフォード。
どこまでも平和な、当たり前の光景を前にエメリアは頬に手を当てた。
――なにか、夢を見ていたような……?
だが思い出せないということは、もう気にすることもないのだろう。
ベッドの上で伸びをする。
今日もいい天気になりそうだ。
「お世話になりました!」
予定より少し長く逗留して、イヴァンは帰国の途についた。
「訓練したことを忘れないように」
「はい!」
傍から見てエメリアがはらはらするような訓練を無事終えたイヴァンは晴れやかな表情をしている。
その彼に、ギルフォードは一振りの剣を渡した。
「餞別だ」
「……ありがとう、ございます」
その様子を、フレンはエメリアの横で見ていた。
ギルフォードとの挨拶を終えて、イヴァンがこちらに来る。
「お世話になりました、とても……楽しかったです」
「身体に気を付けて、何かあればすぐに連絡をください。いえ何もなくても構いませんので」
「皇妃殿下は心配性ですね」
イヴァンが微笑む。そして彼がフレンを見た。
フレンはふいと顔を背けた。
「いなくなってせいせいします」
「まぁ君にはそうだよね」
「……」
そんな相変わらずの言葉を交わして、フレンが手のひらを差し出した。
そこに、ちょこんと一人の妖精が乗る。
「……かしてあげます、きょうじゅの、かだいなので」
「え?」
「ようせいさんどうしで連絡がとれるようになるくんれんです。あなたにわたすのはふほんいなのですが、おかあさまが心配しているので」
教授からの課題。
イヴァンとエメリアが目をぱちくりさせていると、フレンの手に乗っていた妖精が、彼のまわりを回った。
「……いいの?」
「かすだけです」
そんな幼子のやりとりを、口に手を当てて震えながらエメリアが見ていた。
――尊い!
しつこいようだが原作で読んだ。
隣国で発生した魔獣討伐に向かうイヴァンに、フレンが妖精を渡す。離れ離れになる二人のとても盛り上がるシーンだ。まさかこの目で見られるとは。
セリフは多少――だいぶ違うが問題はない。
「風と水のまほうをつかえます。あなたといっしょでおかしが好きなので、いっしょにたべるといいでしょう」
「お菓子好きは皇女殿下も大概……失礼」
イヴァンの言葉にフレンがじろりと睨む。
おそるおそるイヴァンが宙に手を伸ばすと、妖精はふわりとその指先に腰をおろした。
「……ありがとう、大事にする」
「かすだけです」
同じことを言って、フレンがぷいっと顔を背ける。
その横顔は少し寂しそうだ。それは、妖精だけでなくイヴァンともお別れするからだと思うことにする。
なんだかんだ喧嘩しながら、楽しそうにしていたし。
次会う時には、イヴァンはどんな少年になっているだろうか。
その日を楽しみに、エメリアは妖精をともなった小さな背中を見送った。