12
子どもたちは互いに対抗意識を燃やしている。
そしてフレンに初めて「おとうさま」と呼ばれたギルフォードは――戸惑う表情で固まっていた。
動き出したのはしばらくしてからだ。
「…… ――――わかった」
ギルフォードは口の端を持ち上げて、嬉しそうに言う。
だがそれは微笑みでなく、強者の余裕だ。
「子どもだからといって手加減はしないぞ」
「はい、陛下」
「もちろんです」
フレンはあくまで真剣な表情でギルフォードを見ている。
――必要な手加減は、してほしいような……。
しかしやる気満々な三人を前に、それを言うのは野暮と思って黙る。
さすがにギルフォードも相手が三歳と五歳というのはわかっている、はずだ。
「皇女様、勉強のお時間です」
「はい! おかあさま、またあとで」
「ええ」
フレンが次の授業に向かうのを見送る。イヴァンも使節団の者に呼ばれて行ってしまった。
そうして、エメリアは中庭のテーブルにギルフォードと二人で残された。
――気まずい!
けれど、フレンが去っていった方向を見るギルフォードはいつもの威圧感はない。
珍しくやわらかな表情をしている。だからエメリアもすぐにその場を立ち去る気になれなかった。
――どうも調子が狂う。
すでにクッキーは空だ。
エメリアは自分の手元を見て、お茶を飲み干した。
その夜、エメリアは昨夜と同じように部屋にイヴァンを招き入れた。
今日は、絵本を用意した。
「フレンに読むので、殿下も一緒にどうでしょうか」
膝に二人を乗せて、読み聞かせる。
子どもに人気の、カエルの王子様とお姫様が一緒に冒険する話だ。フレンはこのシリーズが大好きで、何度読んでも目をキラキラさせる。
「むかしむかし、あるところに……」
そうしてページをめくり、最後まで読み終わる頃には二人ともすでに寝てしまっていた。
起こさないようにそっとベッドにおろす。
幸せそうに寝ている二人を見ていると、エメリアもふあ、と欠伸が出た。
――ちょっと、疲れてるかも。
村での農作業の疲れとはまた違う。
常に皇妃としてのふるまいを求められる王宮では、いつも気を抜けない。姿勢も言動も。
エメリアは公爵令嬢として、親の期待に応えて厳しく育てられたが、ここでのプレッシャーはレベルが違っていた。
――生まれた時から、そんな場所で生きているのよね。
二人の寝顔を見ながら、思い出したのは昼間のギルフォードの戸惑う表情だ。
もしかしたらあれは、初めて見る彼の素の表情かもしれない。
今までの義務と責務に忠実なギルフォードなら、イヴァンたちの申し出を決して引き受けなかっただろう。
フレンの『おとうさま』呼びといい、何かがまた変わってきているのを感じる。
それは好ましい変化のように感じた。エメリアの計画にとっても。
そこで少しだけ、胸が痛んだ。
――……いけない。ギルフォードに心を揺らしてはだめよ。
あくまで彼の婚姻は政略によるものだ。フレンのために自分はここにいる。
そう言い聞かせて、エメリアもベッドに横になった。
ぎし。
眠りについてどれくらい経ったのか、わずかなベッドの軋みを感じてエメリアの意識が浮上した。
とはいえまだ眠くて目が開けられない。
そこでそっと髪に触れる手を感じる。
ぼんやりと目を開けると、エメリアの近くに誰かが座っていた。
夜はまだ深い。明かりを消した部屋は暗すぎて、人影らしきものがわずかに見えるだけだ。
――フレン? イヴァン殿下……?
この時間に寝室にいるのは二人しかいない。夜中に起きてしまったのだろうか。
しかし「おなかがすいた」や「トイレ」の要求はないので、エメリアはかけている布団を持ち上げた。
「はい、どうぞ…….」
影がみじろぎして、ベッドが揺れた。
「早く、……寒いでしょう……?」
しゃべるのもおっくうだ。目を閉じてほとんど夢うつつで声をかけると、ようやくその人物が動いた。
ベッドに入った相手を、エメリアは抱きしめた。
――かたい……?
いつもの二人のようなやわらかさがないし、なんだか腕に入りきらない。
それにどれくらい布団から出ていたのかひやりとしている。
不思議に思いつつもう少し腕に力を入れたところで、また眠ってしまった。
――ん……?
次に目が覚めた時には、エメリアは誰かに抱きしめられていることに気づいた。
温かい腕の中で、逞しい胸元にもたれかかっている。
窓の外から鳥の声が聞こえる中、これは誰だろうと顔を上げて――……。
「ひ……っ、!」
エメリアは悲鳴を上げかけるのをなんとか止めた。
――陛下!
ギルフォードだ。エメリアを抱きしめた彼は、目をつむって静かに眠っている。
ぎこちなく首を動かして振り返ると、背中側にはイヴァンとフレンがすやすや健やかに寝ていた。
――と、とにかく、起きないと……!
しかしがっちりと抱きしめられて振りほどけない。起こさないよう静かに奮闘したが、しばらくしてエメリアは諦めた。
「はぁ……」
息を吐いてギルフォードを見る。
初夜の翌日、起きたときにはすでにいなかったので、彼の寝顔を見たのは初めてだ。
いつもは冷たい美貌だが、寝ると少し幼く感じる。さらりと、フレンと同じ銀髪が頬を滑った。
「……」
そっとその髪に手を伸ばしたところで――ギルフォードが起きた。
「……」
「……」
眠そうな顔のギルフォードと至近距離で、無言で見つめ合う。
わずかに彼の眉間にしわが寄った。
「なぜここにいる」
「それはこちらのセリフなのですが……!?」
人のベッドに入って言うセリフではない。ちなみにあくまで小声だ。
形式上は夫婦なので、彼が寝室に入ることも一緒に寝ていても警備的に問題はない。
「なぜここにいるのですか。というか離してください」
「……ああ、俺が抱きしめていたのか」
そこでようやく気づいたというように、力がゆるまる。
エメリアは慌てて起き上がった。お互い服は乱れていないのを思わず確認してしまう。
初夜で義務的に抱かれたことは朧げながら覚えている。それ以来、一緒に寝たことはなかったはずなのに。
少し遅れて、ギルフォードも身を起こした。
自分の手をじっと眺めていた彼は、エメリアを見た。
「解決方法を思いついた」
「?」
「昨日の話だ。君はいくら言っても、イヴァン殿下を寝室に招くのをやめないだろう」
「そうですね」
寝ているイヴァンをチラリと見たギルフォードが言葉を続ける。
「それなら俺も一緒に寝ればいいだけの話だった」
「え」
ギルフォードは、あくまで真面目な顔をしている。
「だが、そうなるとさすがに狭いな。今日中に四人寝られる新しいベッドを取り寄せよう」
「……なんでそうなるんですか!」
思わず小声で叫んでいた。