10
エメリアが部屋に戻ると、すでにフレンとイヴァンは起きていた。
だがベッドの上で睨みあう二人は険悪な雰囲気である。
一応、様子を見てもらうようにお願いした女官にこそりと聞いてみた。
「どうかしたの?」
「それが、……目が覚めてエメリア様がいないのを見てフレン様が泣き出してしまい……」
「まぁ」
「そのフレン様を、イヴァン殿下が優しく慰められまして、落ち着かれたのですが……」
その状況を頭に思い浮かべる。
――なんて尊い……見たかった…!
多少不謹慎ながらそう思う。人目がなければ身悶えていたくらいだ。
しかし、とエメリアは首を傾げた。
「ではなぜ、睨みあっているの?」
「それが……どちらが先にエメリア様に『おはよう』を言うかで喧嘩に」
思わぬ原因に目をぱちくりする。
二人がエメリアを見た。
「おかあさまおはようございます!」
「皇妃殿下、おはようございます」
同時だ。
「お、おはよう二人とも。よく寝られた?」
女官にお礼を言ってベッドに近づく。
すぐにフレンがくっついてきた。確かに泣いた涙の跡があって、それを指で拭う。
「今までにも、フレンが寝てる間に出掛けていたことはあったでしょう?」
「……ここはむらとはちがいます。どこに行っていたのですか!」
「ごめんなさい、ちょっと用事があって」
少し視線を逸らす。ギルフォードとの話はここでする必要はないだろう。
そしてエメリアはイヴァンを見た。
「フレンを慰めてくださってありがとうございます」
「……いえそれくらい……」
「では、うちの朝の挨拶です。はい、ぎゅー!」
「!」
フレンを抱いたまま、イヴァンも抱え込む。
たっぷり数秒そのままで、勢いよくエメリアは顔を上げた。
「では朝ごはんにしましょうか」
三人で朝食を取った後はフレンは妖精学の講義、イヴァンは視察に出掛けた。
それを見送ってエメリアが来たのは、城の厨房だ。
「殿下もフレンも妖精たちも、もちろん私もおいしくいただきました」
料理長に昨日のお菓子パーティーのお礼を伝える。大柄な料理長は豪快に笑った。
「パジャマパーティーにお菓子は欠かせませんからなぁ! またご用命ください」
すでに昼食の準備もほとんど終わっているらしく、厨房はのんびりした雰囲気だ。
「それで、お願いが……」
越権行為かと思いつつ、料理長にひとつお願いをすれば彼はこころよく頷いてくれた。
厨房の端の場所と材料を貸してもらう。
机には卵とバターと砂糖、小麦粉などが並んだ。
「よしっ」
腕まくりをして、エメリアはクッキーづくりに取りかかった。
これが朝ギルフォードに言った「すること」だ。
『そうです。とくにおかあさまのクッキーがすきです。フレンもだいすきです』
昨日部屋でフレンがそう言った時に、思いついたのだ。
そういえば村から戻ってきてから、いろいろありすぎて自分で料理をすることも忘れていた。
――手を動かしながら、ついでに、状況の整理をしよう。
そう思いながら、やわらかくなったバターと砂糖をボウルに入れた。
まず、ここは前世で読んでいた、フレンが主役の小説の世界。
辛い思いをしながらも健気に成長した不幸系ヒロインのフレンが、王太子に溺愛されながら、降りかかるさまざまな困難に立ち向かう話だ。
物語のヒーローはイヴァン。隣国の王太子である彼が、フレンをべたべたに甘やかしてくれる。
――はず。
手にくっつく生地を整形しながら、エメリアは自分に言い聞かせる。
二人の最大の敵は、継母メレディス。愛称メリー。
エメリアが死んだ後に皇妃になった彼女は、自分に夢中になった皇帝ギルフォードをいいことに王宮で好き放題する。
妖艶な、絶世の美女。そして……人を魅了する魔法を使える。
彼女は厳密には人間ではない。妖精王と対峙する『悪い妖精』だ。
眠り姫の、呪いをかけた妖精のような存在といえばいいのだろうか。
欲しいものはすべて手に入れないと気が済まない性質。彼女にとっては、妖精の愛し子の力を発現していないただの子どもであるフレンは取るに足らない存在だった。
王宮から追放されたフレンが、イヴァン王太子と結ばれたことで対抗心を燃やし邪魔をしてくるのだ。
――とはいえ、最後の結末まではわからないのよね。
エメリアが読むことができたのは、発表されているお話の途中までだ。
だが、イヴァンとともにフレンが彼女の野望を打ち砕くのは間違いないだろう。
まだ生まれていない継母メレディスの娘は、ひとまず置いておく。
――ということはあと、私が会っていないのは継母と、妖精王……。
妖精王はその名の通り妖精の王様だ。
フレンを愛し子として定め、可愛がり、ピンチのときには手助けしてくれるおじいちゃん的な存在である。
過去未来を見通す力を持っているとされるが、フレンに甘いのか厳しいのか、運命は自分で乗り越えるべきだという視点から見たことを言わないことも多い。
――私がまずやるべきは、継母メレディスが今どこにいるのか探ること。
生地を妖精の形の型でくり抜く。
次いで、人の形の型を手に取った。
――そして……ギルフォードに側妃を迎えさせること。
不測の事態があったときのために、メレディスが入る余地を少しでも減らしたい。
――あとはイヴァン殿下とフレンの仲をどうにかして、父に釘を刺して……。
ハートの型、手のひらの型、その他いろいろと型抜きをしていく。やることが……けっこう多い。
しかしためらわず手を動かし続けた。
出来上がったクッキー生地を、にこにこしながら料理長がオーブンに入れてくれた。
「これは、おいしいクッキーがたくさんできそうですな!」
そしてしばらくして、目の前にはどっさりと焼きたてクッキーが積み上がったのだった。