【短編】捨て駒聖女は裏切りの果て、最愛を知る
「ベルナデット。平凡聖女だった君と違い、義妹のセリーヌは治癒魔法の加護を得た。この二年、聖女として国に大した貢献もせずにいた君が王族の末席に加わるのは、我慢ならない。我が国のためになるセリーヌこそ、私の伴侶にふさわしい」
久しぶりに王城の執務室に呼び出されて、第二王子オーギュスト様は酷く疲れた目をしていた。灰褐色の髪に赤紫色の瞳の彼は、異端の髪と瞳のせいで王家の中でも厳しい立場にある。それを払拭するため、国に貢献することに心血を注いでいた。聖女と婚約を選んだのも民衆の支持を得るためであり、そこに甘酸っぱい感情は欠片もない。
「君の義妹はね、君と違って私の立場のことを理解してくれて、資金援助もしっかりしてくれるし、治癒魔法を使って病や疫病から人々を守った。女神だと思うんだ。それに比べて君の生活魔法は、後方支援のみ……なんと情けない。私の評価にも響くというのに、君はいつだって自由気ままで、私の苦しみに寄り添いもせずいる」
「申し訳ありません」
資金援助をしているのはセリーヌに貢ぐ貴族令息たちで、治癒魔法で癒やすのも有力貴族優先で高い報酬をより得るため。平民は重病人でなければ他の治癒師に回す。
加護は教会が管理し、聖女認定も教会が主導で行うのだから、殿下に聖女を剥奪する権利はなかったはず……。
私の生活魔法は、ずっと前から「治癒魔法とは在り方が違う」と散々お伝えしたことを覚えていないようだ。
平民の私が伯爵家の養子になって、殿下の役に立とうと面会を求めても「聖女の役目を果たせ」と言って会うことすら適わなかったのに、どう寄り添えと?
貴族としての礼儀作法をたたき込まれ、仕事も掛け持ち。今までの努力はオーギュスト様には見えていなかったのですね。
「君には北の国境にある最前線に行ってもらう。君は後方支援が希望だったから、ちょうど良いと思ってな。婚約も生活聖女としての称号も暫定的に残すとしよう。私に少しでも感謝して、婚約者として最後の役目をしっかり果たしてくれ」
「──っ、それはつまり最前線で死ねと?」
「……君は思っていた以上に、悲観的な考えなんだな。それとも王弟殿下が敗北するとでも?」
思わず声に出てしまったが、もう遅い。オーギュスト様にとって王弟殿下であるダニエル様は、昔から敵視していた。つまり私が戦場に送られる理由は、ダニエル様の名声を汚せということなのでしょうね。だからこそ婚約と聖女の名を返上せず、ダニエル様のためと私を送り出して現地で殺し、悲劇の王子の役割を得た後セリーヌと婚約を結び直す。
整えられた盤上。采配もすべて準備された中で、私の役回りを逸脱することを許さない。平凡聖女は死ぬ、その未来を変えられないのなら──私のやるべきことは一つだわ。
「失言です。申し訳ありません」
「君はどうしてこんなに愚鈍なのか。察しが悪くて頭が痛くなるよ。……それで、返事は?」
「そのお役目、承りました」
「うん。それなら今すぐに現地に向かってくれ」
「かしこまりました」
オーギュスト様は書類に視線を戻した。これが婚約者として尽くした末路。出会った時に困った顔で笑うオーギュスト様は、王子の重責と戦いながら奮闘していた。そんな姿を見ていたから傍で支えたくて、私なりに頑張ってきたけれど平民出身の私に、後ろ盾も貴族のパイプもない。
仕事は大変だったけれど、何でも無かった私に生きる術を与えてくださったことは感謝します。
「今までお世話になりました、オーギュスト様。どうかご武運を」
***
生活魔法。そうオーギュスト様は言うけれど、正式名称は【無機質創生魔法】の加護だ。私が無機質と断定するものを作り出すもので、その創生範囲が生活関係までだということで物が溢れている王都ではあまり役に立たない。
包帯やベットのシーツを一つ創生するよりも、買ったほうが早いので大量に創生しない限りは費用対効果が悪い。
そう、物が溢れている王都では無用な長物だ。でも最前線なら──。
最前線北の要塞ベルリオン。
常に物質が不足していたため兵士たちの士気は低く、魔物との攻防は終わりがない。常に襲撃に備えて守り続ける。
降り続ける雪は兵士たちから体力だけではなく気力も奪っていた。
「なるほど。それでわざわざ死ぬため、この最果ての土地に聖女様が来られたのですな」
「死ぬ気はありません」
「ほお、この戦況を見て、この盤面を覆せる何かが聖女殿にはあると?」
「ここに来た以上、私は私にできることをさせていただこうと考えています」
無精ひげを摩りながらダニエル王弟殿下は甲冑姿で、客間のソファに腰を下ろしていた。鳶色の髪に、青い瞳、彫刻のように整った顔立ちはオーギュスト様とは全く似ていない。王族というよりも軍人気質が強いのか武将の雰囲気が近いだろう。年齢は三十手前だったけれど、その貫禄は只者ではないことをヒシヒシと感じさせた。
「王都で役に立たなかったから、こんな場所に追放されたと報告を受けているが、聖女様は何ができる? 男の相手などとは言いますまい?」
「そうですね。調理器具を一式揃え直して、魔導具ポット数台、洗濯用魔導具機械、庭園に硝子の温室を作って野菜を育てることもできます。土と種もすぐに創生して……、ああ、ここに来るまでに軍服、シーツと包帯を50人分、大量のワインと食料も馬車で随時送ってもらっています」
「待て待て待て。聖女様は平民出身だろう? どこにそんな資金がある?」
「私の加護は【無機質創生魔法】です。私の魔力量によって生活関係に関わる物なら作れますわ」
「無機質……では、武器は?」
ダニエル様が前のめりになって聞いてくる。しかし残念ながら、その希望には応えられない。
「それは難しいです。ですが魔石や黒鋼鉄なら作れますが、こちらでは武具などに役に立ちますでしょうか?」
「待て待て待て。は? 聖女様、そのことを国王陛下に相談したのですか? いやしていたらこんな場所に送り込まれるよりも、国力を蓄えるほうに使うはず……あの馬鹿兄、何を考えている?」
頭の回転が速いようで、様々なことを考えているのだろう。申し訳ないけれど、今回の件は国王陛下は知らない。
なぜなら──。
「あの。魔石や黒鋼鉄が作れるようになった……というか、それらに価値があると分かったのは、ここに向かう途中の村で特産品として売っているのを見たからなのです」
「は? 黒鋼鉄……を創生?」
「はい。すでに加工されて魔導具となっている物を創生するには、魔力量が膨大にかかるのですが加工する前の鉱物であれば、少ない魔力消費で作れまして……」
「待て待て待て。加工した物ではなく、素材なら一日でどれだけ作れるんだ? 数日で一欠片、いや一週間かかるとかだろう?」
「一日ですと黒鋼鉄なら成人男性一人分の大きさ、魔石は小さな子どもほどです」
「は、はああああああああああああああ!? なんでお前のような金のガチョウがここに来たんだ!? は? 馬鹿なのかあいつら、馬鹿なんだな!!」
王族なのにビックリするぐらい口が悪い。王弟殿下は表裏がない素直な方なのかもしれないわ。
黒鋼鉄の価値を知った後は、鉱物を創生して路銀を稼ぎ必要な物資をつぎ込んで要塞ベルリオンに辿り着くことができたのだ。なので完全に偶然の産物だったりする。
その経緯も話したら、ダニエル様は爆笑された。
「あははははっ、我が甥ながら馬鹿だな。だがその馬鹿のおかげで、この北の復興も夢物語ではなくなりそうだ!」
ダニエル様は立ち上がり、突然片膝を突いた。それは絵物語で見た騎士が姫にするような仕草だ。最初に私を値踏みするような色はない。ただまっすぐに空色の瞳が私に向けられる。
「失礼。聖女ベルナデット、改めて我ら北に住む者を助けていただけないだろうか」
「元よりそのつもりですが、ダニエル様が歓迎していただけるなら私も助かります。ただ一つだけ、お願いがあります」
「聞こう。自分が叶えられることなら」
「オーギュスト様との約束は守りたいので、聖女としての私を殺していただけますでしょうか?」
***
最前線北の要塞ベルリオン。
雪に覆われ、曲がりくねった道や森を抜けてたどり着く場所のため、物質の運搬などが困難。何より魔物に拮抗するだけの兵力はなく、食料は少ない。軍資金も足りない。怪我をしても治療も満足にできない。
北の鉱山はすでに掘り尽くしたせいで、資源や特産品はない──それが一年前までの認識だった。
しかし要塞を含む集落までの歩道整備、魔物を簡単に退けるだけの高々とした黒鋼鉄堅い門。武装する兵士たちの武具や武器もどれも土精霊族の力作によって一新したことで士気が上がり、今では魔物狩りをする日々。
あっという間に魔物の狩り場として、冒険者ギルド支部もできるほど人が集まった。その人気の一つとして、土精霊族の作る武器が手に入りやすいことだ。また職人たちは工房環境に喜び、王都から移り住む者が増えた。
北の要塞都市は国で三本に入る商業の中心になりつつある。その中心にいるのは銀髪、赤銅色の瞳の女性で、辺境伯令嬢ブランシュ・ナイトメアリスと呼ばれている。私の新しい名だ。
まあ、その髪の色も瞳も王子の指示で変えていただけで、本来の私の髪と瞳はオーギュスト様の持つ色に似ている。「聖女になるのだから、髪の色を変えるように」と殿下に誓約を立てさせられていた。
半年前に栗色の髪の聖女ベルナデットは死んだのだから、本来の私の髪と瞳の色を返してもらったのだ。誓約もベルナデットの名で縛っていたから、聖女ベルナデットの死によって呪縛は解かれる。
ただ加護はあくまで教会が把握するためであって、その力を封じるだけの効力は無い。ただリストから生活魔法の文字が消えるだけ。その後に養子に入った辺境伯の名義で教会に【無機質創生魔法】の加護の申請を行う。
加護を持つこと自体は稀だが、必ずしも聖女というわけではない。教会の決定権があるのだ。
迂闊だったのは髪の色だ。本来の髪の色を取り戻せたことが嬉しくて、髪や目が珍しい色だというのをすっかり忘れていた。
髪色を変えようと思うも既にブランシュの容姿や髪、瞳の色は、周囲にバレている。であれば加護も伯爵家に打ち明けず、有耶無耶にすべきだったと猛省する。
「失態だわ……。気を許しすぎたわね」
真新しくなった要塞の廊下を歩きながら窓の外を眺めていた。最初に来た頃は窓硝子はカタカタと揺れて、床の絨毯は黒くなって外と変わらないぐらい寒かった。でも今は違う。ふかふかの絨毯に、魔石で作られた暖房魔導具を設置しているので、廊下でもかなり温かい。兵士たちの服装も新調し、装備もかなり力を入れている。
魔物が要塞を襲撃することもなく、むしろ血気盛んな冒険者たちが《魔裂きの森》で魔物狩りに勤しんでいるくらいだ。人々に笑顔が戻った。城内を歩いて回れば誰もが挨拶をしてくれるし、話しかけてくれる。
町に降りても笑顔で声をかけて、色んなものを持って行ってと渡して……変な人たちだ。私はダニエル様が望んだから、私が生きるためにやっただけなのに、どうして優しい言葉をかけてくれるのだろう。
愛着、と呼べるものができた。でも、そんなのは幻想なのだろう。
「……あとどのくらいここに居られるかしら。聖女が亡くなれば少なくとも祝い事は一年は空けるはず、聖女が亡くなって半年が経ったとしたら残り時間は、あと半年……」
半年後、私の予想通りならたぶん、ここには居られなくなる。ああ、本当に失敗したわ。名残惜しいなんて気持ち、知らなければよかった。
**ダニエルの視点**
王位継承権争い。
それが面倒で全てを丸投げして、北の領地を拠点に好き勝手やることにした。それが十年前で、見通しが甘かったと今では反省している。
俺を完全に消したい王妃、甥もそのあたりの教育を受けているらしく、面倒な聖女を送ってきた。
生かしても役に立たないし、殺せば聖女殺しの汚名を俺が被る。さてどうするかと思案していたら、彼女は思いのほか有能だった。いや有能どころではない。現状の盤面が大きくひっくり返るだけの力を持っている。
痛快で、愉快で、俺は聖女を利用することにした。彼女もそれを望んだから、都合が良かったのだ。
彼女、聖女ベルナデットは他の令嬢とは違い、俺に何かを求めることも、惚れることもなく淡々と仕事をこなしていく。そのひたむきさに、気づけば目で追うようになったし、声をかけることも増えた。
時々困った顔で「それは命令ですか?」と聞き返す。素を見せてくれたことが嬉しくて、俺は「そうだ」と答える。
彼女をからかうのは楽しいし、新鮮だった。ベタベタすることも、金切り声をあげることも強請ることもない。気楽な関係だった。
それが変わったのは聖女ベルナデットが来て半年が経った頃。
彼女はあっさりと自分の髪を一房切って俺に渡した後、城壁から落ちたのだ。魔物が襲撃して、オーギュストの刺客が現れたタイミングで、だ。
彼女は初めて俺を頼って、縋った。「聖女ベルナデットをこのタイミングで殺したい」と。だから力を貸した。彼女の新しい名前や身元も用意してベルナデット──ブランシュを守りたいと。
そこで初めて失いたくないとも。
思えば俺は王位継承権争いから、誰かに心を開いたことが無かった。俺が近づこうとすると、ブランシュは無意識かあるいは知っていてか、俺の思いを軽く受け流す。
冗談だと。
本気ではない。
気まぐれだと。
俺の言葉は霧散して消えて、ブランシュに届かない。
今まで寄ってくる令嬢は多かったけれど、自分が相手に好意を向けることはなかった。どうすれば彼女に俺の声が届くだろうか。
時間をかけて、ゆっくり関係を築いていけば──そう暢気に構えていた。ブランシュの気持ちに踏み込もうとせず、好いている気持ちを冗談めかして口にする。真剣に言うには照れくさくて、上手い言葉が出てこなかったからもある。
でも、そうだな。それは言い訳で、逃げていた。俺は彼女がここに至るまでどのような生き方をしてきたのか、それすら何も知らないのだから。それなのに俺はブランシュと心の距離が縮んでいると勘違いして、そして後悔する羽目になる。
****
「ブランシュ!」
向かう予定だった執務室からダニエル様が新聞を片手に、飛び出して来た。
「ダニエル様。今から執務室に向かう予定でしたが、どうされたのですか?」
「王都からの記事だ。オーギュストが聖女セリーヌと婚約したそうだ」
「聖女ベルナデット様が亡くなって七ヵ月、……あと数ヶ月も待てなかったのですね」
七ヶ月前に聖女の死を偽装するのは、大変だった。オーギュスト様の感覚では、聖女ベルナデットが半年も経たずに死ぬことを想定して、セリーヌとの婚約を水面下で進めていたのだろう。でもそうはならなかったことに苛立った王子は、刺客を差し向けて来た。そう来るとは思っていたから、このタイミングで聖女ベルナデットという存在は消えてもらった。
あの時は魔物襲撃も激しく、大変だったわ。でも大混乱だったからこそ、上手く偽装できたのよね。加護や髪の毛や瞳の色に気をつけていれば、なお良かったのだけれど。解放感のせいで、浮かれすぎていた。
「……髪を一房渡した直後、魔物の群れに突っ込むのを見ているだけとか、俺は金輪際絶対に引き受けないからな。あと敬語」
「本当にお手数をおかけして」
「敬語」
「ごめん」
「──で、どうする? 北の領地が復興して立て直しも終わった。今こそあの馬鹿甥に復讐するチャンスだと思うんだが?」
第二王子オーギュスト様と聖女セリーヌの婚約は、教会側と結束するためだけではなく伯爵家を含む第二王子派の勢力拡大に繋がる。
王族の派閥争いは本当に厄介なもので、王弟殿下であるダニエル様は、そういった面倒ごとが嫌で早々に兄に丸投げして北の領地に引っ込んだという。それでも王妃含む国王派のチクチクした嫌がらせはあったのだとか。
「……楽しそう──ね、ダニエル様は」
「これまで散々言いたい放題だったからな。ここいらで長年の鬱憤を払うのも悪くないと思うのだが悪くないだろう?」
ああ、とても楽しそうな顔をしている。この方は裏表がないとかではなく、何考えているか分からないぐらい腹黒なのだと、この一年で実感した。
聖女でなくなってから、何かと世話を焼いてくれることが多かったけれど、半分はからかって私の反応を見て楽しんでいるのだから、質が悪い。
「そんなんだから、30過ぎにもなって結婚できないのでは?」
「俺はまだ28だからな、四捨五入するのはやめろ。あと結婚できないのではなく、したい相手が今まで居なかっただけだ」
「はいはい」
ダニエル様と二人で話すときは、かなり打ち解けたとは思う。口調も砕けた感じで、私が敬語を使うとすると不機嫌になるので面倒くさい。
何かと私を壁役にしたいのか、婚約の話を持ちかけてくることが多くなった。そんなに気になる人が居るのなら、さっさと告白なんなりしてしまえばいいのに。
「……ダニエル様。私は王都への意趣返しも、オーギュスト様への復讐も考えてはいません。下手に動いて面倒に巻き込まれるのはごめんですからね。もう王家とは関わりたくないですし、北の復興も軌道に乗って魔石や鉱石が育つようにするまで後数ヵ月はかかるでしょうが、それが終わったら」
「出て行くのか?」
ダニエル様はいつもの「敬語」と突っ込むことはせず、ただ一言尋ねた。いずれはここを離れるのは元々計画していたのだ。義妹であるセリーヌが婚約者になった今、この先の未来は大体想像がつく。そしてオーギュスト様がどう動くかも。けれど早々にこの土地を離れるとダニエル様に言えば、監禁するかもしれないわね。ここはお茶を濁しておきましょう。
「かもしれません。どのみちセリーヌが婚約者になったことで、色々と問題が出てくるでしょうし、私が死んだ風に偽装したことは、遅かれ速かれバレる可能性がある。だって元の髪と瞳をあの方は知っているのですから。今も『養子になった辺境伯令嬢ブランシュ・ナイトメアリスは、聖女ベルナデット様ではないか』そうオーギュスト様は考えているかもしれません。セリーヌとの仲が拗れれば、私を駒としての再利用を考えるのがオーギュスト様です。北の領地に遊行と称して訪れる可能性は高い。そうなった時、私は私の身を守らなければならないのですよ」
そうなった場合、すぐに私が聖女ベルナデット様だとバレるだろう。立場が危うくなったオーギュスト様は、私をまた利用しようと考える。本当に髪と加護の件は失態だった。どうしてあの時、普通の令嬢として生きていける──なんて夢見たいなことを思ってしまったのだろう。
オーギュスト様から逃れる手札は、今の私にはない。王族というのは、それぐらい厄介な相手なのだとよく分かっているつもりだ。
「そんなのは俺が」
「そうやって北の領地と王都で、軋轢を生むのですか? 私の存在を出汁にして、北の領地の利益を根こそぎ奪うかもしれない。私の加護を悪用される前に、私は身を隠さなければならないのです」
私は平民で、後ろ盾がないから。
辺境伯と夫人はいい人たちだったけれど、王命が下れば拒否はできない。ダニエル様に火の粉が掛かるのだけは避けたいし、ここに来てすでに返せないぐらいのことをして、守ってもらったのだ。これ以上、巻き込みたくはない。なによりダニエル様も王族なのだ、いざとなれば北の領地と私個人を天秤にかけてまで私を守ろうとはしないだろう。
ああ、やっぱり髪と瞳の色だけでも変えておけば良かった。偽っていれば──。
ここ一年で【無機質創生魔法】によって北の領地の生活水準がぐぐっと上がったけれど、それは最初の初期投資のみで、今は私なしで経済は回っている。鉱石が増えるというのも、そういう特性を持った鉱石を時間をかけて作った結果だ。いつか私がこの地を立ち去っても、やっていけるように考えてきた。
正確には私がいなくても困らないようにするため、だ。
駒として配役を与えられる生き方から脱却するため、ずっと練りに練っていた。私が聖女として死ぬことも、その先のことも。
何より王家とは関わり合いたくないという気持ちが一番大きいのだ。ダニエル様はそうじゃないかもしれないけれど、駒として扱われてきたからこそ、また切り捨てられる。そう疑念がつきまとう。
また髪や瞳、名前を変えて生きていく。いつものこと。
「俺のところに嫁ぐ気は?」
「令嬢の壁役は、もう懲り懲りなの」
「そんなつもりで俺は、お前に隣に居てほしいわけじゃない」
声を荒げるが、彼の気持ちには応えられない。王弟妃なんて柄じゃないもの。面倒なしがらみは、まとめて捨てる。
この人が王族じゃなかったら、ううん。たぶん、私は誰も信じられないから、信じることが怖くて、裏切られるのが嫌だから、何も期待しない。
「だとしても、答えは変わらない。ごめん」
「ブランシュ」
「ブランシュの名前……結構気に入っていたのですが、また新しい名前を考えなければいけなさそう。でも慣れているから平気よ」
「お前、……聖女ベルナデットが本名じゃないのか」
「ええ。聖女になる見込みがあるかどうか、施設で使える加護を得るまで何度も、名前が変わったわ。魔石を使って髪や目の色を変えるの。そうすると加護の付与が変わったのよ。詳しくはよくわからなかったけれど……。ウノ、デケム、ノウェム、セクス、トレス……。オーギュスト様に拾われるまでは酷かったけれど、拾われても駒として扱われ続けてきた。……だから、私はもう誰も信じないし、利用されるのも、使い潰されるのもうんざりなの」
「──っ」
それに聖女ベルナデット暗殺の刺客を見た瞬間、もういいやと思って死を覚悟したのも本当だ。またオーギュスト様の元に戻るくらいなら、追われ続けるぐらいなら死んだ方がいいと。でもそれをダニエル様は許さなかった。
だからダニエル様が生きやすいように環境を整え、領地を発展させる。それが私なりの恩返しだったのだけれど、まだ足りないのだろうか。
「それとも、まだ恩返しが足りなかった?」
「違う。そうじゃない」
「ああ、便利な駒や壁役が居ないと困るものね」
「そうじゃない! なんでだ、なんで……。俺はお前のことが気に入っている。好いているし、一緒に居たいと何度も、ここ一年ずっとお前を口説いてきた。それがどうして便利な駒や、壁役だって誤解する?」
悲痛な面持ちでダニエル様は私に問う。
口説いていた?
その言葉に口元が緩んだ。ああ、彼にはそのつもりだったのだろう。嘘か本当かは分からないけれど。
「『一緒に参加してくれ』とか『婚約者役を頼まれてくれないか』と、言う言葉はずっと命令だったのでは? そもそも私には王弟殿下の命令を断れるとでも? 『敬語するな』と強制したのも、殿下ではないですか」
「──っ、あれは」
「最初から私に選択肢を与えようとしなかったのに、今更好いていたと言われても、私には分かりません。私に声をかける人は、気にかけてくれる人は皆私の加護目当てですから。ただの私を望んだ人なんて、誰も居なかった」
「──っ」
そんなことはないと、誰もが口にしながら、誰もが私に何かしらを望む。望まれることは嬉しい。最初は嬉しかった。
オーギュスト様の時だって、そうだ。だから頑張って役に立とうと思ったけれど、結局役に立たなくなったからと捨てられた。
そしてダニエル様も私に──望まれたことは加護や魔法とは違った。変わった望み。でもそれも命令であり、それ以上でもそれ以下でもない。
ちょうどいい配役だから選ばれただけ。オーギュスト様と同じだと思った時に、絶望したのだ。
そうじゃないと思いたかったけれど、言葉にして聞いてみたらダニエル様は黙った。口説いていた。その言葉が本当だったら、幸せだけれど私の過去がそれを否定する。
どうせまた裏切られる。
「仲の良かった友達がいたの。オクトは私と同じくオーギュスト様に助けられた施設の一人で、一緒に殿下を支えようと誓い合ったけれど、私が聖女として選ばれた時に亡命したと教えられた」
約束も、誓いも、無価値だ。
どうせみんな裏切っていくのだから。
「私を助けようとしたオーギュスト様の近衛騎士キースもそう。その人が指定した待ち合わせ場所には来なかったわ。怖くなって一人で逃げたって」
「──っ、ブランシュ。どうすればお前の信頼を得られる? 俺の言葉を信じて貰えるんだ。どうすれば俺の声はお前に届く?」
ああ、また繰り返される。
分かっているけれど、どこかで期待してしまう。一年とちょっとだけれど、ダニエル様と一緒に行動していたのは、楽しかった。私のしたいことをできるだけ叶えてくれたし、失敗しても鞭打ちされることもなかったわ。
だから、信じかけていた。でも私は臆病で、怖がりだから。
「私、国を出ようと思うの。その時に、ダニエル様も付いてきてくれるのなら、全部私のために捨ててくれるのなら、信じても良い」
そんなことをする人はいない。
わかっている。
身分が高ければ高いほど、その地位を名誉を手放したくないもの。全てを捨てて私と旅をすることにメリットなんてない。
それなのに、どうしてこんなことを繰り返し言ってしまうのだろう。ううん、諦めは早いほうが良い。希望なんか捨ててしまえば楽だもの。
傷つくとしても浅いほうが──。
「それだけで良いのか?」
「え」
聞き間違いかと思うほど、ダニエル様はあっけらかんと承諾した。
「お前と一緒に国を出て当てのない旅をする。ほかに希望は?」
「え、あ、ない……けど」
「そうか。いますぐに俺の後任を見繕うのは骨が折れる。そうだな、三ヵ月待ってくれないか」
「三ヵ月……」
「あー、さすがそんなには待てないか。じゃあ、一ヵ月。それでなんとかするから、ブランシュは旅の行き先と準備をしておいてくれ」
ダニエル様は私を抱きしめた。その意図も意味も分からない。即答するなんてあり得ない。
何かの罠。
時間稼ぎ?
でも彼の目は嬉しさいっぱいで、何かを企んでいるような感じはしなかった。油断させて、その隙に、なにかする?
ちゅ、と頬にダニエル様の唇が触れた。
「ひゃ!?」
「お前を娶ることができるのなら、地位も名誉も喜んで全部捨ててやる。ブランシュ、愛している。お前に俺の気持ちを伝えてきたつもりだが、まあーーーーーったく伝わっていなかったことが分かったんだ。ここからは遠慮しない。お前をドロドロに甘やかして、愛して、愛でて、俺が本気だって分からせるからな」
その目はあまりにも真っ直ぐで、私の心をたやすく打ち抜く。眠っていた虎を起こしてしまった気分だわ。でもちょっぴり嬉しいと思う自分がいた。私は思っていた以上に現金なのかもしれない。
***
私が本音を吐露した日から、ダニエル様は変わった。いつも騎士服で常に甲冑を纏っていた方が、貴族服姿で、髭も剃って以前よりも身綺麗になり私に毎日声をかけてくる。
命令ではなく、世間話だ。
私の何が好きかとか。
どこかに行かないかとか誘うことが増えた。
「ブランシュはさ、どうしたい?」
「何かしたいことはあるのか?」
「ブランシュ、お前はどっちが好きだ? 俺は割と猫派だな。ほら触れてみるか?」
「お前は、どんなことがしたい?」
「何を望むんだ?」
命令でも、役割だからでもない。
ダニエル様は私に一つ一つ聞いてくれるようになった。「どうしたい?」と。
選択肢を増やして、私の望みを根気よく尋ねてくる。望みを口にすることを、世界は許さなかった。
望んでも、叶う訳もなく、ただ言葉が残るだけだった──今までは。
「何がしたい? どうしたい?」
その答えを私は持っていない。私の望み、私は幼い頃、どんな願いをしていた?
***
夜が怖い。
真っ暗闇の中で一人だけ取り残された感覚が襲って、震えて縮こまるだけ。そんなある日、喉が渇いて真夜中に目が覚めた。
起きたくなかったけれど、喉がガラガラするので仕方なく魔導具のランタンに明かりを灯す。台所に向かうと、そこにはブランデーを片手に一杯やろうとしているダニエル様がいた。
「よお。眠れないのか?」
「いえ、喉が渇いて」
この時期だと見張り塔で魔物に動きが無いか、見に行っていたのだろう。以前は冬が来る前に魔物が餌を求めてうろついていたらしい。今でも昔の習慣なのか、見回りをしているのだろう。つくづく領主の鑑だ。
蛇口を捻ると貯水樽から新鮮な水が出てきた。そこにレモンと少しだけ蜂蜜を混ぜる。なんだか物欲しそうにしていたので、ダニエル様の分も作った。
「サンキュー。……と、そう言えば、お前が前に話してくれたオクトって、友達が居るって言っていたよな?」
「はい……」
「その子ども、国外逃亡する以前にオーギュストに殺されていたぞ」
「え?」
「お前を裏切った訳ではなく『お前を駒扱いするな』と直談判して殺されたらしい。それにお前が逃げられるように手配していた近衛騎士のキースだっけ。その男も計画がばれて殺されていた」
「なっ」
衝撃の事実に、喉がひりついて声が出ない。
どうしてダニエル様が知っているの?
「お前が誰も信じないのは、裏切られたという根本があるからだと考えた。そこで本当にそいつらがお前を裏切ったのか、確証が欲しかった。もし違っていたなら、それはお前が自分と向き合う切っ掛けになるんじゃないかって」
「だから……王都の、それも誰も知らないようなことを」
「そうだ。俺はお前の【魔法使い】になると決めたんだ。このぐらいやってやるさ」
「【魔法使い】?」
「お前が自分だけの【魔法使い】が、『味方がほしい』って言っていただろう」
ああ、そういえば書庫を整理していたときに見つけた絵本に、不幸な女の子に協力する【魔法使い】が出てきたのを見て「私には居なかったな」と呟いたのだ。
独り言で、近くで本の整理をしていたダニエル様に聞こえていたとは思ってもいなかった。それを覚えていたなんて……。
「お前がいつか、ほしいものができた時、なにをしたいのか望んだ時、俺はお前の願いを叶えてやりたい」
それは優しくて甘い毒。
ドロドロに私の心を溶かして、過去の私を呼び起こす。
裏切られていた訳じゃ無かった。その事実が私の中にあった棘を抜き取っていく。本当は約束を守ろうとして、失敗した。
私を大切にしようと、私のために動いて死んでしまった人たち。
果たせなかった約束。
それでも塗り潰された過去が浮き彫りになる。
「なんで……調べたの?」
「お前が好きだから。お前がどんな生き方をしてきたのか知りたくなった。お前に聞いても黙ったから勝手に調べたんだ」
「それだけ?」
「お前と同じく、俺も誰も信じていなかったし、今まで惰性で生きていた。俺は家族や身内に恨まれていたから、誰も信じられないという、お前の気持ちはわからなくはない。家族を持つつもりも、誰かを愛することもないと思っていたのにな。それでも俺はお前を好きになった」
ダニエル様も裏切られたという。家族に、兄弟に、親戚に。それはどんな地獄だったのだろうか。それでもダニエル様は、人を、私を好きになった。
好きになるとは、どんな気持ちなのだろう。
私の中に芽生えた感情の名前は、いつか見つけることができるのだろうか。もしできるのなら──。
***
「何がしたい? どうしたい?」
そう問われるたびに、胸がギュッと締め付けられる。幼い頃、たくさん願った思いが色鮮やかに息を吹き返す。
ドレスを着てみたい。
いろんな本を読んでみたい。
美味しいものを食べてみたい。
湖でボートに乗ってみたい。
猫を抱っこして、モフモフしてみたい。
夕暮れの赤と青が混じり合う空が好き。手を繋いで歩いてみたい。
買い食いというものをしてみたい。
人を好きになってみたい。恋をして大事にされたい。ただの私でも生きていいよと笑って許される世界がほしい。
生まれてきておめでとう、と祝われるような、誕生日がほしい。
「ブランシュ、お前は何がほしい?」
甘くて優しい声が、私の心を溶かしていく。
今日も日課のように私に尋ねてくる。世界樹祭りでバタバタしているけれど、休憩と言って見張り塔に誘われた。
あれからダニエル様は「ついて来い」ではなく「行こうぜ」と誘う言い方にしてくれた。
宵闇が世界を覆う中、街灯の魔導具が明るく大地を照らす。
「ブランシュ、お前は何がほしい? なにを贈れば喜んでくれるんだ?」
「──っ、ダニエル様」
「俺か!? いくらでもくれてやるぞ! お前限定だがな!」
「……っ、私は誕生日がほしい」
ずっと聞かれても答えられなかったけれど、遥か昔に諦めて、手放した願いが口に出た。ダニエル様は暖かな眼差しを私に向ける。
「それじゃあ、明日なんてのはどうだ? 世界樹祭り当日は祝福に溢れて、北の領地全員から祝福して貰えるぞ」
「それは、贅沢だわ」
ダニエル様は私の頬に触れた。その手は働き者の手だ。私はこの手が気に入っている。
「……もし叶うのなら、恋もしてみたい」
そう答えたら、「誕生日よりも先に、今ならお前の絶対的味方な恋人ができるけれど、どうする?」とダニエル様は耳元で甘く囁いた。これは確信犯だわ。
茶化す言い方だけれど、抱きしめられて、彼の心臓の鼓動が私同じくらい速かったことに気づいて笑ってしまった。
ああ、彼と同じだと思うだけで、胸が苦しくなる。
「ほしい。……私の、私だけの【魔法使い】になって」
「ああ、俺はお前だけの【魔法使い】になろう」
***
「ここに聖女ベルナデットが居るはずだ。いやブランシュ・ナイトメアリスを出せ!」とオーギュスト様が怒鳴り込んできたのは、私とダニエル様が国外に出て二ヵ月後のことだったと言う。
私の推測通り、セリーヌは貢がせていた令息たちから結婚詐欺だと訴えられ、治癒魔法を行うにあたり多額の金品を請求していたことも発覚。それらの悪行があっという間にバレて、彼女は聖女の称号を剥奪され、伯爵家は断絶。あまりにも悪質だったため、貴族専用牢獄に入ることが決定したらしい。
さらっと私の居た施設は土砂崩れがあって壊滅したと付け加えた。情報量が半端ないわ。
オーギュスト様は北の領地に乗り込んできて、聖女ベルナデットもしくはブランシュ・ナイトメアリスを出すようにわめき散らした。その際、平民数人に暴行したことで、領地の騎士たちに取り押さえられる。
王都であればもみ消せただろうが、北の領地ではその領地の法が適応されることとなり、彼は王家の隔離された離宮に閉じ込められることとなった。
それらの報告を聞きながら、私とダニエルは魔導書迷宮での冒険を楽しんでいた。
私の【無機質創生魔法】があるので、ダンジョン内でも魔物の出現しないエリアで、悠々自適な生活ができている。そのおかげもあって、私たちは冒険者としてなかなかに知名度が上がったと思う。
「なあ、ブラン。この迷宮を抜けたら帝国に行って式を挙げないか?」
「まだ付き合って一年なのに?」
「一年だろうが、なんだろうが、最近お前にちょっかいを出してくるやつがいるだろう。婚約者という肩書きだけだと不安なんだ」
「だとしても、言い方が好きじゃない」
「待て待て待て。言い方を変えればいいのかよ!?」
「……うん」
髪を一つに結っている騎士服のダニエル様──ダニーは外見が若返り、今では二十代後半と年相応に見える。
王弟殿下であることを辞めた日、ダニエル様はどこか嬉しそうだった。王家という重責から脱却したかのような、清々しい顔を私は忘れない。
「なあ、ブラン。俺と結婚してくれないか。結婚したい。結婚してほしい」
ダニエル様はそう言って私に手を差し出した。私の答えは一年前に決まっている。
人を信じるのは怖い。裏切られるのは恐ろしい。それでも、一歩踏み出す勇気をくれたのはダニエル様だ。
ずっと私が答えを出すのを待ってくれたのも、諦めずに声をかけ続けてくれたのも、私に温もりと居場所をくれたのも、ダニエル様だった。
私にとってプロポーズの場所がダンジョン内だとか、シチュエーションだとかは気にしない。だって一番ほしかった言葉を用意してくれているから。
「私だけの【魔法使い】も継続してくれるのなら、……よろこんで」
end
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[日間] 異世界〔恋愛〕ランキング
短編✨64位✨→36位にランクインしました⸜(●˙꒳˙●)⸝
ありがとうございます♪
11/30 短編26位→23位に!!
12/1 短編21位に!
12/2 短編17位→14位