8話 灯籠
ああ、何日振りかわかんないけど帰ってきたのか。
玄関へと繋がる通路で父親とすれ違う。
挨拶なんてものはない。
ここはただの寝泊まりしている拠点なだけだ。家族という名目があっても、特別な情は今更湧いてこない。
「美奈、明後日にはこの家を出ていけ。それ以降はもう二度と戻ってくるな。いいな?」
不意に後ろから投げかけるにしては重い話題だ。
でも、私はこの言葉の意味を理解できているつもりだ。きっとここは安全じゃなくなる。
というか、最初から安全ではないんだけど。
まったく、クソみたいな環境だ。
でも、こいつにできる最大限の私への配慮がこれだということは分かってる。
どんな形であれ、こいつはこいつなりに私を創り出した事に対して考えを持っているということだ。
「そうするよ」
一瞬立ち止まって、振り返りもせずに、最大限の皮肉を込めた。少しの憎しみに沢山の諦めの念を抱えた、私にできる最後の抵抗だったかもしれない。
この問いはYesやNoで答えられる物じゃない。というかそもそも問いですらなくて、僅かに残っていた血の繋がりを示す現実的な在り方を完全に切り捨てたいという、向こうからのお気持ち表明だ。
人によっては言い過ぎだなんて思うだろう。
でもそれは、この環境に直面していないからこそ生まれている良識でしかない。育つ環境を変えれば、人はどこまでも分かり合えない人間の相互を生み出すことができる。
時間もギリギリだったので足早に玄関へ向かった。
ここに居ても気まずいだけだし、何度復唱しても現実味を帯びない今後の境遇に、この2日間で対処しなきゃならない。
扉を開けると、先程まで室内で感じていた寒さとは比にならない冷風が、私を襲ってくる。
まるで、落ち着けと言って来てるみたいにね。
『頭を動かす前に、口を動かしなよ。たーくさん考えるのは美奈のいい所だけど、たまには考え無しに変なとこまで突っ切って行きなよ。後悔なんて後からいくらでもすればいいよ』
千夏が私に反論した、数少ないうちの1つの言葉だ。
あれはどんな時だっただろうか。詳しくは覚えていない。でも、少なくとも私がこの言葉で行動を変えて、良い方向へ状況が変遷して行ったのは覚えてる。
たまには無鉄砲に動くのも悪くない。
私の物語の行く末にはどうせ死が待っている。その過程がどうとか、どうにでもなれ。
ぜんぶぜーんぶ、どうだっていい。
困ったら死んでやれ。
生きる理由とか、死ねない理由とか、そういうの、探すのはもうやめだ。
死なない要因を作って、それを食い繋げていこう。
その1つ目は、千夏が笑った理由を知ること。
そんな感じでいい。
何も知らないまま死ぬのは早計すぎる。
昨日まで寒さにはかなり苛立っていたけど、その寒さは私の思考を鈍らせてくれたみたいだ。朝から感情の起伏が激しすぎて、一日の始まりとして学校にすら着いていないのに、どっと疲れた。
◇ ◇ ◇
「おはよ」
私始動で挨拶をするのは、一体いつぶりかな。
「お、おはよ?」
華鶴は分かりやすく驚いたような顔で返事をした。
「ねー、今って一人暮らしなの?」
脈絡とか、こいつにはどうでもいい。一先ず情報収集優先。使える人間は使う。以上。
「え? あー……、まあ、一応?」
「明日から泊まりで遊びに行きたいって言ったら?」
「え!? あー……部屋……めっちゃ汚いし、事故物件だからなー……」
だいぶ感情が忙しそう。
何かを隠そうという感情と、私が急にデレてることに対する嬉しさでぐちゃぐちゃみたいだ。
本当は、汚くてもいいし事故物件でも気にしないから行かせてよって言いたい所だけど、どうせ嘘だしこれ以上詰めても向こうがやりづらくなるだけだから、諦める。
花園華鶴はある程度の潔癖持ちで、几帳面だ。
嘘を見抜くのは得意だけど、それはあくまで憶測の域を出ない。琉花から貰った数少ない情報が役に立つなんてね。
とは言え、さぐりは済んだ。
後は適当にあしらいつつ、授業なんかはやり過ごした。
昼休みはまた付いて来ようとしたので、鍵を渡して先に屋上へ行っておいてもらうことにした。
日があまり出ていないせいか、廊下をほっつき歩くだけでも昨日までの数倍は寒い。
風は朝だけだったので幾分かはマシなはずだけど。
扉をコンコンと叩いて、返事を待つ。
中から物音がして、すぐに扉が開く。
「ここはトイレじゃな――え? 」
うわー、気まずい。ノックの回数にしきたりとか用意するな。紛らわしい。
「ああ、ちょうど良かった。あなたに用があって。長くなるかもだから、放課後時間ありますか」
「まあ、あるけど。大まかな要件だけ聞いていい?」
私から直接会いに来たという事実に、驚きを隠せない様子だった。
「お腹が減りました。では」
去り際、中にいた人達が、告白!? と騒ぎ立てているのが聞こえてくる。思春期男子たちははちゃめちゃに面倒くさいけど、多分それはあいつも同様に思ってるだろう。なんならそれ以上に面倒くさそう。
とは言え、向こうもファーストコンタクトで立ち話を拒んだのだから、私にもそうする権利があると思うの。
まあ、食べるご飯なんて持ってこれてないし、本心はあの部屋にいた数人に話を聞かれるとまずいから、それを避けたかったというだけだ。
屋上の扉を開けると、大の字になって地面に寝転がっている華鶴が居た。
私の足音に気付いて、そのまま遠くから少し声を張り上げて、問いかけてくる。
「どういう風の吹き回し?」
無言で傍まで近付いて、仰向けになる。
「大した理由じゃないよ。君を利用するために仲良くした方がいいかなって」
「そう」
えらくしみじみとした空間だ。
屋上にも関わらず、朝感じたような冷風はほとんど吹いていなかった。
「美奈は優しいね」
こいつの発言は、妙に真意を捉えられない。
「お前に自分の何が分かるんだって思われるかもだけど、なんとなく。まあ、美奈の好きなように私のことは利用しなよ」
「じゃあ明日から泊めてよ」
「あ、それだけはむり!」
花園華鶴の解像度が低すぎて、何も分からない。
ただ一つ言えるのは、こんな無邪気な笑顔を見せつけてくる花園華鶴は、馬鹿でも何でもない。どちらかと言えば、他人の深層心理を理解しようとできる側の人間だ。
このNGサインには彼女なりのちゃんとした裏の理由がある。本当はそれを聞き出してみたいが、無理に詮索するべきじゃない。
それ抜きでも案外信用できる人間だと思った。
お腹が鳴る。
「ご飯は?」
「ちょっと忙しくて」
彼女は鞄を漁って、見つけたそれを私の腹目掛けて投げつけてくる。
「あげるよ。それがお近づきの印ってことで」
屈託の無い笑顔で、私の目をしっかりと見ている。
「ん、ありがと」
ここは素直に受け取っておくことにした。そんでもって、好きでも嫌いでも無い鮭おにぎりを頬張った。
◇ ◇ ◇
「そんで、要件ってのは入る気になったってこと?」
教室に入ってくるや否や、開口一番に彼は聞いてきた。
「うん。そうだよ」
華鶴の席に座って、まるで続きを促してくる。
「対価は?」
「私を寝泊まりさせてくれる人を探してる」
「ごめん、意味がわからない」
まあ無理もない。
「君が私の境遇を知っていると仮定して話すと、その状況が悪い方向に進行したってこと」
「あー……。うん、何となくわかった」
少し戸惑って、言葉を選ぶように続けた。
「あんまし探りたくはないけど、本当にそんな決断の仕方で良かったの? 一応大丈夫な人は探してみるけど……」
「こうするしかないの」
限界まで哀愁を漂わせて言ってみる。
笑いそうになる。
なんて惨めな少女なのかしら。
「ん、分かった。あてが見つかる前に事務処理をするのもあれだし、今から聞きに行こう」
やけにとんとん拍子で話が進む。
んー。少し面倒だ。
でも、こっちにそんな権利があるかは分かんないけど、できれば泊めてもらう人は選びたいのも事実だ。だから黙ってついて行く。
どこに向かっているのかは分からないが、その道中で入門は5、6件程の通話を入れていた。
どうやら緊急招集をかけてるみたいで、一旦この話を生徒会内で済ませたいようだった。
ある棟の2階の端っこの部屋について、入門はポケットから鍵を取り出し、解錠した。
ガラガラと音を立てて扉は開き、普段の教室の2倍ほどある部屋に案内された。
部屋の隅は何ヶ所か物が散乱しているが、基本的には片付いていた。おそらく作業途中なだけだろう。
「ここが今使ってる生徒会室的なやつ。これからは選挙で忙しいから、毎日来てもらうことになるかもね」
「まだ入るとは決まってないですけどね」
「あー、その敬語外せる?なんかやだ。」
「いやです」
「なんか勘違いされてるかもだけど、俺一応同い年だからね。気ぃ使う必要ないよ」
「知ってます」
面倒くさいと言わんばかりの表情。最初に出会った時は何も読めなかったけど、案外遊び甲斐がある。
「まあいずれでいいよ、んじゃ、俺はちょっと行ってくるから皆のこと待ってて。本題はまだ話さなくていいからー」
声は段々フェイドアウトしていった。
話してる最中に出ていくな。せっかちさんめ。
とは言え怒涛の一日でちょっと疲れた。物音が聞こえて来るまでは目を瞑って伏せておこう。




