第九十一話 Knockin' on heaven's door
――袁煕
ここだ。
今この場で張遼へ未来の展望を抱かせなければ俺は死ぬ。
会話にはついてこれていなそうだが、呂玲綺も単なるアホの子ではないだろう。野生の勘というべきか、正邪を見分け、肉片に食らいつくだけの凄味はある。
「連邦制なるものはどのような形態を指すのか。それ次第では貴公の世迷言と断ぜざるを得ない」
「これは俺の――俺だけの知識ではない。だなんて言い訳ですね、流してください。張将軍に伝わるよう、例を出してご説明しましょう。すまんが、誰か床几を持ってきてくれないか」
声をかけると、戦場のど真ん中であるにも関わらず、簡素な机と椅子が用意された。両軍は槍の穂先を構え、俺たちの会談、あるいは怪談を見守っている。
一つ間違えば、躯がこの場に野ざらしとなるだろう。
「かつて殷を滅ぼした周王朝、そして七つの大国へと時代は移り変わっていきました」
「大陸が大いなる戦乱に覆われた、暗く悲しい時期であるな。二度とそのような悲劇は繰り返してはならぬ」
「然り、です。ですが張将軍、私はこの七国制度がそこまで間違っていたとは思えないのです」
「……正気か?」
房つきの帽子を机に置いた張遼。彼は髻を見せることにより、こちらへの誠意を表している。古来より、公人が面前で冠を脱ぐことは恥とされていた。
だが張遼は古き慣習を踏みつけてでも、この場で真贋を定めようと努力してくれている。ならば俺も脱ごう。
「殿……それはあまりにも礼を失するのでは」
「よい、許先生。俺がこの冠を再びつけることが出来なかった場合、不勉強な小僧が一人死ぬだけだ。張将軍の熱意に応えるには同じ振る舞いをするべきであろう」
冠を机に置き、俺は汗で茹った頭を晒す。
クソ、これ早くシャンプー開発しないと、そのうちハゲるんじゃねーかな。
「さて、お待たせした。周という国は偉大な国家であったことは紛れもない事実。そして続く秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓の七国が互いに『周を尊重』しながらも、争いを繰り広げておりました」
「左様。故に強力な統一王朝を万民は欲しがったのだ」
そこだよ、張遼殿。
このクッソ広い中華に、多くの諸部族や習慣、そして文化がある。
それらを無理に合一しても、内乱の火種になるのではないのかね。
「然る後、秦が統一し、あっという間に滅んだのもご存知のはず。その後の漢王朝は王莽の乱あれど、概ね順調に統治しておりました」
「であれば証明済みだな。統一王朝は必須だ」
「盛者必衰の理。生きる者は必ず死にます。それは王朝も同じかと」
「ならばその後に、より強固な国を建てればよかろう。何を迷うのか拙者にはわからん」
張遼は純粋な軍人だ。
戦うことで誉れを得、戦功を立てて名を馳せる。
故に一歩目を損なう。
「秦が滅んだのはその強権故。漢が滅びつつあるのは、その弱体化故」
「貴公の理に沿うものではあるな」
「はい。互いに理念の異なる国ではありますが、俺はいくつかの提案を出して並べてみようと思います。将軍がご判断される材料になるかと」
ふむ、と張遼は頤に手を当て、こちらを睨む。早く料理を出せと言わんばかりに、知識への空腹度が増しているようだ。
「王朝、必要ですか?」
「なんだ……と」
いきなりボンバーマン。
言毒ってのは、最初っから抉っていくのがスジだと、諸先生に教わった。
小説とかも同じよな。冒頭には死体を転がせってね。
「さらに踏み込めば、王とは誰が決めるのです? 漢の高祖はどこの出身でしょう」
「沛県の亭長であったと記憶している。そこで立志をなされ――」
「つまりは、平民ですよね」
張遼の顔が翳る。そらそうよ、自分たちの歴史に泥水ぶっかけられたようなもんだ。忠義の臣であればこの場でブチ殺されてもおかしくない。
「民衆の支持が必要なんです。権力と権威を持つためには。ですがそれだけでは国は成し得ない。周知のとおり、高祖・劉邦は統一後に功臣を多く処罰されました。狡兎死して走狗烹らると言えましょう」
「反乱の芽は摘み取っておくのが統治の基本だと拙者は思う。致し方のない処置だ」
「聡明な君主が暗君になったとき、これを変える手立てはなんでしょうか」
「ふむ……弑逆する者も出るやもしれぬな」
そうなんすよ。
この中華、大王が権力持ち過ぎてて上が腐ると末端まで壊死すんのよね。
それじゃあ庶民は生きていけないよ。
「その王座を合法的に挿げ替えられるとすれば、いかがでしょうか」
「そんな手段などありえない。一度手にした権力は死ぬまで……」
「それが現行許されている『法』だからですよね。ならば『法』を変えましょう。
「法律は王が決めるものだ。それを書き換えるなぞ大逆に問われてもおかしくな……待て、そうか……。王が決める、というその『当たり前』こそが間違っていると」
そらもちろん王様が全部乗せで自分で作ってるわけじゃなかろうよ。
多くの文官や法家が集まり、時代に合ったものを作成しているに違いない。
「中華には『朝令暮改』は悪とされる風潮があります。極論を申し上げればその通りなのですが、そこからは改善の芽が失われることに繋がるでしょうね。ならばどうするか」
「どうするのだ? まだ答えにほど遠く思えるが」
「七国制度を復活させ、そこには国王を立てません」
「妄言に過ぎる。ならば誰が統治するのか」
「民衆によって支持を得た、民の代表者です」
「一体何人が読み書きできると思っている。そのような思想を説いても、考えられる民がどれほどいるか」
「でしょうね。今のは到達地点のお話です。何も『明日からそうせよ』なんて思ってません。きっと俺や張将軍のひ孫くらいに出来ればいいなって感覚です」
「ふむ……続きを聞こうか」
「はい。であれば代替案として、七国制度に戻します。そこで民を導くのは最初は誰とは制限しません。ただし、世襲は認めない、と」
これこそが三国時代等々の害悪よ。
この大陸、氏族主義や縁故主義、血縁による繋がりが強すぎんだよね。
時には犯罪人を親族が庇うことすらある。それは決して人のためにはならない。
「名君の息子が名君であるとは限りません。仮にそうであっても、我慢してもらいましょう」
「それはあまりにも機会を逸しているように思えるが……ふむ、しかし」
「大多数の支持を得る人物が、法律に則り、適正に富を再分配する。しかしそれを行うには中華は広すぎますし、多様性あふれております。故に七国です」
「河北は袁家が取るのか。趙と斉が合邦したようなものか」
「場合によっては分割も必要でしょう。まず隗より始めよとも言いますしね」
「袁家の当主である、袁紹殿はご存知なのであろうか。顕奕殿の案はあまりにもお家の利益を損ねると思うのだが」
「知らないでしょうね。言ってませんから」
はいそこ、口をあんぐりと開けない。
分かってるさ、どんだけヤベーこと喋ってるかってのをさ。下手したら抹殺もありうるレベルの内容だよね。
けど、さ。
最初の一歩は誰かが行かなきゃならんのよ。そこに地雷があるってわかってても、踏み抜く勇気が必要なんだ。
「七国共通の法律と、地方分権による法律の並列化。そして民衆を教育し、大陸全体の力を底上げする。統一した国号を持ちつつも、それぞれの特色を活かす、と。まあ九割理想論ですけどね」
「拙者には不可能に思える」
「でしょうね。前例が前例なだけに、拒否感は強いのは分かります」
俺の中では強い結論がある。それは既に知っている歴史だ。
司馬一族による晋が建てられるが、その後七王の乱が起き、再び乱世になるのだ。
だったらさ、最初っから分割しておくよ。
もしかしたら三国時代においては危険思想かもしれんが、俺が思うに、この大陸を一つにするのはちっと人力じゃ無理じゃねっていう。
なので国自体の名前は同じでありつつも、大枠で決めた地方で代表を選出し、分権制度を導入しておいたほうが、破滅的カタストロフは避けられるのではなかろうか。
「国家が割れると、戦が起きる。それは如何なされるのか」
「そうですね、法で禁じてみるのはどうでしょうか」
「たかが文字列にそれほどの効力があるとは思えぬが」
それな。
その文字列に対する意識の低さが、この乱世を引き起こしてるんだ。
儒家思想は情に訴えすぎだし、法家思想は過激だ。
「顕奕殿、具体的にはどのようになされるおつもりか」
「国内における、戦争行為の禁止……なんて法は如何でしょうかね。稚児にもわかる内容ですし、かの高祖も法は三章のみとされたそうですから」
「人の欲望は必ず生まれると考えますが。高祖も武威をもって諸事に対応されたことでしょう」
そうだね。綺麗事じゃあ人は動かない。
じゃあどうするかって?
そりゃ決まってる。
「現に孟徳公と官渡にて軍を構えている有様。お口は達者ですが、現実が見えておられるのか怪しい限りですな」
「ではやってみせましょう。孟徳公を退け、そして攻め込まず。非戦行為を取り決めた和平交渉へと導いてみせます」
和平……か。
ぽつりと漏らした張遼の顔は、戦の高揚よりも何かもっと深い、霊峰の水を汲み取るかのように、なだらかになっていた。
お読みいただきありがとうございました!
面白いと思われましたら、★やブクマで応援いただけると嬉しいです!




