第七十八話 髭を剃る そして女子大徳を拾う
――顔良
勝敗は決した。
趙雲の槍は関羽の左肩に食い込み、もはや勇を奮う隙すらも与えない。
関羽本人ももはやここまでこの身が追い詰められるとは思ってもいなかった。
それでも偃月刀を手放さないのは、遥か過去にある生涯の誓いのため。
「髭殿、もはやこれ以上は……」
「まだだ。拙者はまだ果てぬ。終生忘れ得ぬ契りと共に、姉弟となった桃園に賭けても、まだ倒れるわけにはいかぬ」
槍を引き抜いた趙雲は、依然闘志を漲らせている関羽を睥睨する。それは一縷の望み。何かふとした拍子に心を変え、願わくば共に歩んでほしいという友の夢だった。
「武人に対して問答を重ねるのは矜持を穢すことになる故、これで最後に致す。関雲長殿、投降の意志はありや否や」
「男に二言はない。我が主君以外にどうして降ることが出来ようか!」
「……本当にご事情を知らないのですな」
「なにっ」
趙雲の槍の穂先から、急激に殺気が抜けていくのが分かる。関羽は疑問に思いながらも、生き延びる機会を得たのではないかと、必死に窮余の一策を講じようとしていた。
未確定ながらも、生きて戻れるかもしれない。我が一身を賭して守るべき大徳の下へ。一縷の希望が分厚い胸板を透過し、心臓へと至る。
「おう、趙の字よ。こいつ生かしておいていいんかよ。とっとと首を刎ねて、殿に献上した方が得策だと思うんだがな」
「……顔将軍のご意見も御尤も。しかし、髭殿はもはや戦うことも逃げることもままならない身だ。であるならば、殿とお引き合わせした方がよいと愚考する次第で」
「へっ、お前さんがいなかったら死んでたしな。この場の功を称えて、言う通りにしようじゃねえか」
かたじけない、と趙雲は一礼する。再び目を合わせた顔良は、彼がある種の確信を抱いていることに気づく。その正体までは分からない。しかし、少なくとも袁煕に危害が加わらなければそれでいいとも思えるほどに。
やがて後方から砂埃が巻き上がり始めたのを確認する。
負傷した関羽は、もはや打つ手はあるまい。ならば顔良は最後の盾は自分であるべきと覚悟を決め、伝令兵を後陣にいるであろう主に飛ばした。
――袁煕
間にっあったっ!
顔良から送られてきた伝令の報告を聞くまで、俺は恐らくゾンビみたいなツラをしていたに違いない。
だからあの関羽を捕縛したという内容に、白目を剥いて上ずってしまう。
「ま、間違いないんだな。顔良も趙雲も無事……なのか?」
「はい。両将軍ともご健在であらせられまする。敵将は負傷した由にあれば」
「ふおぉぉぉぉっ、マジかよ。えぇ、あの関羽だぞ」
「三者の戦いはまさに鬼神同士のものでありました。あれはそう、まるで――」
最後はあんまり耳に入ってこなかったんすよ。
しゃあねえじゃん。だって官渡の戦いにおける大一番を、いきなりぶっ壊したんだからさぁ。
こりゃあほんま勃起モンやでぇ……。
俺が一人ソロ絶頂を迎えようとしていると、後ろからちょいちょいと直垂を引っ張られた。
くいくいくい。
おう、何ぞ。
今俺は劉備を地獄に落とした時並みのエクスタシーをだな……。
「ねえブサ男。今戦場がどうなってるのか教えなさいよ。さっきの小汚い兵士、アンタんとこのでしょ」
あ、俺が落とした女だ。意味は別だが。
「はぁ、ねっむ。私お腹すいたんだから、とっとと説明なさいよ」
「……そうだな」
すまん、今ちょっとグーで殴りそうになったわ。
男尊女卑の儒教世界で、何を躊躇ってんだって話だが、そこはしゃーない。
流石にクールジャパンに生きてきた身としては、女性にダイレクトアタックは出来んのよ。
「我が軍の将である顔良と、玄徳公の将である趙子龍殿が大敵を破ったとの報ですよ」
「へぇ、流石、やるじゃん子龍。私に仕えるだけの価値はあるわね」
「……そうッスね」
次の爆弾を投下したら、一体このメスガキはどんな反応を示すのだろうか。
マジで興味がそそられるのが一つ。そして鬼畜な言動はせんだろうという淡い期待が二つだ。
「捕縛した将の名前をお伝えしておかなくてはなりません」
「なーにー? 勝ったんならもういーじゃん」
「いいから聞けっつの。関羽だよ、関羽。捕らえたのは関羽雲長だ」
「なにそれ、草生える。あれ、教えてもらった使い方あってるっけ。こう、くだらない冗談を聞いたときに使うんだよね、草って」
生い茂ってる場合じゃねえから。
お前んとこの義弟やぞ。
下手したら顔良んとこの兵士に斬られてもおかしくないんだからな。
「鬱蒼と生やしてるところ恐縮なんだがね。残念ながら確認情報だ。玄徳公の義弟殿は負傷もしているそうだぞ」
しょろろろろろろろ。
あ、やりおった。
そういやクライマックス場面において、排尿率100%にしといたんだっけ。
「うううううう嘘でしょしょしょしょ。ああああああの、うううう雲長ががが」
「嘘をついているように見えるかな」
「う……」
目に見えて動揺してる。何事も笑顔で、腹黒い劉備も、こうなっては形無しよな。
「うわー---ん! なんてことすんのよ、ばかー-っ! うええええええん」
キーンとした、キーンって。
こいつどんだけ高いキーで泣きやがるんだよ。
人前だっつーのに、地面に寝そべってじたばたと昆虫みたいに暴れまわっては、ギャン泣きしてる。実に見苦しい。
「落ち着いてください、玄徳公。まだ処断したわけではありませぬよ」
ガバッ。
うおっ、キョンシーかな?
「それを早く言いなさいよ、ブサ男! ほら早く雲長のところへ案内して。もう、あいつら私がいなくちゃダメなんだからっ!」
「……そうッスね」
なんかもうどうでもよくなってきた感がある。
知力を50残しておいたのは間違いだっただろうか。いっそ是か否だけ答えられる、観葉植物的な何かにした方が、俺の心理的負担が少なくて済んだかもしれない。
そんな姿では乱世においては秒殺されるのがオチだ。故にこの処置は仕方ない。
馬に乗ろうとして転げ落ちる劉備を捕まえ、俺は前線へと赴くことにした。
許攸の率いる近衛兵と共に、敵が築いた防塞を崩しつつ進む。
これは後で本格的に撤去しないとな、などと考えていると、件の戦闘現場に到着したようだ。
なんでわかったかって? そらそうよ、地面とかが抉れまくってて、なんかこう、隕石でも落ちたんじゃねえのってくらい荒れてるからね。
マジで何食ったらこんな芸当が出来るんだか。
「殿、この顔良、不覚を取りました。申し訳ありませぬ」
「将軍がご無事で何より。それに趙子龍殿もご壮健でよかった」
「厚恩に報いられたのであれば幸いです」
「うんちょー---! うんちょはどこ!? ねえ、うんちょ、うんちょ!」
うるっせぇガキだな、おい。
結局馬にも乗れず、自力でも降りられないので、俺が手伝ってやる羽目になった。このバカ、移動中にもそこはかとなくチビってたのか、何回も着替えしやがったしな。
「姉者……おおお、姉者! 拙者は無事ですぞ!」
「うんちょー---! よかったぁぁああ、ぶえええええええん!」
「姉者っ!!」
はいアウト。
ヒゲマッチョの赤ら顔オジサンと、十代のメスガキの抱き合いとか、三国初のパパ活だと思われても仕方ないよ、君ら。
それに一応まだ敵だからね。忘れないでくれ。
「貴殿がかの勇名を持つ御仁ですな。お初にお目にかかります。俺は袁家の嫡男で袁顕奕と言います。お会い出来て何よりですよ」
「まさか姉者、袁家におわしたのですか……? おお、拙者はなんという大罪を! 姉者が世話になっている大樹を斬り倒そうとしていたのか。なんという不忠! 不忠ッ!」
顔面に血管を漲らせ、地面にヘッドバンギングしてるヒゲ達磨が一匹いた。
そろそろやめない? 地面陥没してるよ。
「どうであろう、関雲長殿。玄徳公もこうして袁家に居ることです。共に羽を休ませていってはいかがか」
「……これほどの罪過に対し、何という寛大なお言葉。この関羽雲長、玄徳公の身許こそが我が家でございます。しかし……」
「しかし? 何かお気になられることはあるのですかな」
「厚恩を受けるにあたり、けじめはつけとうござる。しからば、御免ッ」
じょきん。
うっそだろ、おい。
ヒゲ、切りやがった。この時代、頭髪とか髭とかって、割と重要な身だしなみだったはずなんだが。
「美髭公などと持て囃されている間に、初心を忘れ申した。これは我が不明を恥じるための刻印でござる」
「左様でしたか。ではこの儀にて禊といたしましょう」
頷いた俺を突き飛ばし、劉備が関羽に再びへばりつく。
そして両人ともにおいおいと泣き始めたのだった。
ヒゲを剃る。そして女子大徳を拾う。
見てるこっちは疲労の極みだっつの。まったく。
かくして袁煕としての俺の下に、劉備・関羽・趙雲が加わったのだった。
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