第七十話 北平陥落 高覧、不定の狂気発症
――郭嘉
文則の消息が途絶えるのと同時刻、先駆していた郭嘉と田豫が鮮于輔と接触を果たしていた。
接近することに苦労はしたが、味方と分かった後の烏桓族は実に丁重であった。
「おめ、肉食うか? ほれ、遠慮はいらんど」
「これも食え。狼の臓物だ」
ニッチャニッチャと生臭い肉を噛み締める異民族。ここで断ってしまうと関係性が悪化するかもしれないという懸念から、郭嘉は手を震わせながら食物を口に運んだ。
「はは……コレ食ったら死にませんかね。まあ、未知のものに飛び込んでこそッス」
口に入れると、それは獣臭さを十分に漂わせながらも、野趣あふるる深い味わいだった。
「意外とイケるじゃん……。顎がバカになりそうなほど固いのもあるッスが、これはこれでうめえなぁ」
「だろー。北方の蛮族とか言われてるけど、意外と豊かな食事をしてんのよ、これがさー」
田豫は食べなれているらしく、次から次へと肉を口に放り込んでいた。
現代風に言うとジビエになるのだが、中華ではその概念がない。
食べられるものは何でも口に入れる。それが三国時代を生き抜く知恵なのだ。
「南皮で売りに出せば、お客が付くかもしれねーッス。いや、実に驚いた」
「はははー。気に入ってくれて何よりだーよー」
馬上で食事を摂っていると、一騎の武者が手を振りながら近づいて来た。
「おーい、国譲! 良かった、生きてたのか!」
「鮮ちゃん、おいっすー。この通りピンピンしてるぜー」
「朗報に尽きる話だ。ここに来たってことは、公孫の阿呆を見限ったってことで良いんだな?」
親しき仲にも礼儀ありという。
戦場においては、旗印を確認し、命を無為に散らすことが無いように気を付けるのは、武人として当然の習慣だった。
「そだよー。俺は袁家に降った身さー。ついでに言えば、伯珪殿は既に死んだぞー」
「誠か! うーむ、公孫の頭領が斯くも早く落ちるとは……。袁家の勢いは本物のようだな」
「ああ。おもしれーところだぜー。どうだい、鮮ちゃん。一緒に袁家で活躍するってのは」
うなり声をあげる鮮于輔を見やり、笑顔で田豫は語り掛ける。
親友と言えど、身の置き場所を決める大事な一言になるだろう。もし鮮于輔が断れば、田豫はこの場で友を斬ることになっていたかもしれない。
「国譲が入れ込むのであれば、きっと面白き場所なのだろう。それに隣にいる人物の威容を見るだけでも分かる。徒に力のみで対抗出来るほど、袁家の懐は浅くはないだろう」
「それは恐縮ッスね。申し遅れましたわ、某は郭嘉。字を奉孝。北平攻略の総大将、袁顕奕様の副軍師をしてるッス」
鮮于輔は眉根を寄せ、しばし逡巡する。彼の脳内にある情報では、袁煕なる人物は凡将であり、間違っても軍を率いて攻めることなど出来ないものだった。
「袁紹殿はいかがなされたのだろうか。風の噂によれば、袁家の本隊が動いているそうだが」
訝し気な問いに、郭嘉はさらりと返答する。
「御館様から臨時の総大将として権限を委任されたんスよ。殿――顕奕様は間違いなく乱世を渡り切れる快男児であると保証しますぜ」
「それほどの傑物だったか……この鮮于輔もお会いしてみたいものよ」
「是非とも。きっとおもしれーことをやってくれるッスよ」
その一言で、鮮于輔が袁家に付いたことを確信する。
郭嘉は袁煕から託された書状を、そっと胸元から取り出すのだった。
「鮮于輔将軍ならそうおっしゃってくださると、殿が言っておりました。これを読んで欲しいッス」
「離れた場所にいながらも、私の動向を予見されるとは……」
鮮于輔は手紙を読みながら、額に汗が噴き出るのを感じていた。
曰く、北平太守に任じる故、烏桓と調和を保ちながら民を安んじること。
曰く、田豫と協力し、公孫の残党を始末すること。
曰く、鮮于輔を牙門将軍に任じ、十分な俸禄を与えること。
等々……。
「北平を……私にお任せ下さるとは……なんという寛大なご処置か」
「はははー。殿はきっと、現地に詳しい人物を重用したいんだろうねー。一応俺も北平で働くことになったんさー」
「国譲と共にあることが出来るのは心強い。奉孝殿、この厚遇は必ずや倍にして袁家にお返しするとお伝えくだされ」
狐につままれたような顔をしていた鮮于輔だった。それもそのはず、反乱軍の頭目から一転して北平太守へと成りあがったのだから。
勢いに乗じたのだが、行く末は不明であった身である。そこに転がり込んできた袁家からの誘いは、さぞ魅力的に映ったことだろう。
「北の地を反徒たる我らにお与えになるとは……。袁紹殿……いや、総大将は袁煕殿か。実に興味深い士であるな」
「そのうちひょっこり顔を出してくれるさー。俺らには俺らしか出来ないことがあるしなー。任されたのだから、ここらで本気になって、北平を発展させようじゃないか」
「そうだな。公孫瓚と同じ轍を踏まぬよう、民の暮らしを発展させねばならぬ。それに烏桓とも交流があることだ、北を鉄壁の守りで固めねばならん」
北平よりさらに北東に向かうと、襄平公孫氏の勢力圏である。
公孫瓚ほど拡張的な人物ではないが、現在の守護たる公孫度は有能な人物だ。
隙を見せれば領土を切り取るために、あの手この手で画策をしてくるだろう。
「さて、それじゃあ北平に入りますかね。お、ちょうど城門が開いたそうッスよ」
近づいて来た袁家の伝令が、郭嘉に朗報を告げた。
文醜軍、敵本隊を撃破せり。高覧軍、城内制圧中、と。
「くわばらくわばら。文醜クンの軍隊だけは敵にしたくねーッスなぁ」
「あれはなぁー。騎射で掃討出来る気がしねーよー」
「そんなに……強いのか……。ゴクリ」
三者三様の意見だが、概ね危険であることが共有できたというもの。
故事に倣えば、君子危うきに近寄らず、だ。
◇
――高覧
凄惨にして酸鼻を極める戦場を渡る。
高覧は一軍を投入し、城内の制圧を急いでいた。
「まだ本丸は落ちんのか。敵にまとまった機動戦力はなかろう」
「一部の高官が頑強に抵抗している模様でございます。援軍を送られてはいかがでしょうか」
「うむ……早くこんな場所から離れんと、こちらの頭がおかしくなりそうだ」
味方を襲ってくることはないが、文醜軍は敵兵を見るや否や、野猿の如く襲い掛かって、色々なものを引きちぎっている。
高覧の目の前に、逃げ遅れた敵兵が現れたのだが、一瞬にして足を掴まれ、路地裏に引きずりこまれていった。
「や、やめろぉ! たすけてくれえええっ!」
「もけけけ、もけ? もっけー!」
「そこは出る穴なのぉっ! らめええっ!」
「もけ♥」
既に人間同士の交流ではないのだが、深く考えると深淵を覗くことになるだろう。
高覧は心を石にして、ひたすらに指揮に集中した。
敵大将たる文則は戦死しており、全体の戦意は低い。平押しに押せば陥落するに至るだろう。
「高覧様ッ!」
矢が一本飛来し、高覧の頭部に刺さらんとしていた。
気づいたときには回避不能であり、迎撃すら出来ない状況だ。高覧は顔をこわばらせ、自らの不運を呪う。
「もけっ♪」
文醜軍の兵士が、矢を口で咥え、四つん這いで去って行った。
一陣の凶風に、皆一様に唖然としているのだが、高覧本人も何も理解できていない。あまりにも異様な光景に、言葉を失っていた。
「高覧様……お怪我はございませんか? その……色々と、アレでしたが……」
「う、うむ。大事無い。良いか皆の者、今見たことは口外するな。袁家の威風を損ねることを発すれば、打ち首とする」
「か、かしこまりました……」
言っても誰も信じないだろうな、と高覧は内心思っている。
あれで普段は住民に菓子を配って歩いたり、老人を背負ったり、子供をあやしたりしている連中だ。
「戦場は斯くも人を変えるものなのか。業が深いな……」
腸で縄跳びをしている兵士を横目に、高覧は攻撃の手を強める。
(これ以上ここにいると、俺が狂う。いかん、頭の中で賽が振られたような……)
心理的圧迫に耐え、半刻も経たぬ間に北平の制圧を成し遂げる。
高覧がまず向かったのは、胃液をぶちまけるための厠であったそうだ。
「町の清掃……か。何人の兵が倒れることやら……」
主命は果たしたが、精神の限界が近づいている。
城下を見やれば、心臓を投げ合って、肉合戦している文醜軍が目に入る。
再び高覧は厠へ走るのであった。
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