第六十七話 攻略、易京城砦④ 後方に迫る悪夢
――陳羣
兵は神速を貴ぶ。
古来より苛烈なる攻めこそが勝利の秘訣であり、援軍の無い籠城は必敗であるという。故に常に相手を上回る攻撃を仕掛けることが大切とされていた。
後世、司馬懿が諸葛亮を持久戦で打ち負かしたことにより、この理は崩れるのだが、それはまだ見ぬ歴史の彼方だ。
攻撃に移るにも、必要な戦略資源がある。
令和の世界で言うと、ヒト・モノ・カネ・シゲンになるが、三国時代でもそのあたりの事情は大きく変わらない。
「陳先生、前線より届いた飼料増加の書類が――」
しゅばっ。
「陳先生、矢玉の生産量が――」
しゅばっ。
袁煕不在の間、物資補給を担っている陳羣だが、その処理速度は神速であった。
主であれば頭をかきむしって、悩んだ末に結論を下す案件を、一瞬のうちに判断しては決裁していく。
ハンコマシーン・バージョン2にアップグレードされた南皮は、まさに怒涛の勢いで物資が回り始めていた。
戦場に送るべきもの。市中に流すべきもの。募兵と訓練。貨幣流通。
物資の安定化のため、打てる手立てを全てこなす男、陳羣。
後の世で『九品官人法』を制定し、魏王朝の礎となる官吏登用方法となったのは有名な話である。
科挙制度が実施されるまで、実に三百年近くも運用されていた法律だ。
「ふう。他に書類はないのかね。吾輩は今まさに筆が乗ってきたところなのだが」
「……陳先生、まだ中天前ですよ。それなのに千件近くの決裁をこなされております。微細なものに至るまで、全て終えられてしまうとは……」
「そうであるか。ふう、それでは南皮の発展と改善を進言すべく、論文でも書くとするか」
良く働くものを『眠らない男』などと称するが、陳羣は常に快眠している。
寧ろ人よりも多く睡眠をとっているくらいだ。
彼の頭脳は内政に特化しており、事が政務的なものであれば瞬時に最適解を導き出す能力を持っている。
「荀家の小坊主は下水工事をしていると聞くが。ふう、まだまだ無駄が多すぎるぞい。吾輩が差配するべきか……いや、後任を育てなければ先細りしてしまうの」
人材育成の重要さを熟知している陳羣は、若く経験の浅い者でも積極的に活用して内政に当たっている。
男子三日会わざれば……と呂蒙がのたまうことになるのだが、既に陳羣は事の本質を見抜いている。
すなわち、国家とは人が形成しており、人をいかに活躍させるかによって発展度合いが異なってくるということだ。
そんな陳羣だが、戦場への支援も抜かりない。
漢の名宰相蕭何の如く、常に易京周辺に設置された物資集積所に荷駄隊が送られていた。数万の兵を養う兵糧だけでも膨大な数の馬車が必要になるのだが、それらの手配まで完璧にこなしている。
「ふう、本日の補給物資の発送ヨシ。明日もヨシ。次の日もヨシ。ヨシ!」
愛猫を撫でながら、陳羣は論文を書きつつ、手配書を再確認していた。
ハチワレ猫の『梅』は細腕で背中を触られ、気持ちよさそうに目を細めている。
「しかし不安だ……吾輩にはまだ出来ることがあるのではなかろうか」
袁煕が聞けば卒倒しそうなほどのワーカホリックぶりである。
陳羣は睡眠と食事と猫以外は、脳をフル回転させて、新しい制度や法律を考えているのであった。
「のう梅よ。吾輩はこのままでは殿に見捨てられてしまうのではなかろうか。聞き及ぶところによれば、現場の将兵は碌に眠ることなく、忠を尽くしているという」
「にゃーん」
「そうじゃろう? ふう、流石にこのままでは文官としての決まりが悪い。潤沢な資金と人材、そして環境を用意されているのだ。吾輩に期待が集まっているうちに、なにがしかの業績を打ち立てたいものよ」
「なおーん」
なお、この時。陳羣は物資管理と、登用制度の論文執筆、そして耕作地拡大案に新村落の建設案を同時にこなしている。
マグロは常に泳いでいないと死んでしまう生き物だが、恐らくは陳羣も同じ部類だろう。常に手を動かしていないと不安になってしまうに違いない。
「よし、出来たぞ。次はこれだの」
一つの作業を終え、陳羣は更にタスクを増やす。
「物資の品質の均一化は必須。これからの時代は誰が使用しても同じ結果が出るものを用いるのが効率的であろう」
彼が手掛けているのは『共通規格』『品質管理』の概念だった。
現代で言うと、ISOという認定にも該当する。
時代の混迷か、それとも袁煕による歴史の改竄によるものか。
そもそも中世のトレブシェットが戦場で使用されているのが異常である。物品が異様な発達を遂げたのであれば、それらに関わる人間も刺激を受けるものだ。
陳羣の脳内には、未知のフレーバーが舞い降り、今まさに千年先のアイディアを開花させようとしつつあった。
そんな折、陳羣の小姓が主にそっと耳打ちをする。
「ふう、なるほど。すぐに赴く故、安んじてお待ちあれとお伝えするのだ」
小姓が報告したのは、守将である呂威璜の相談案件であった。
先触れとして伺う旨を伝え、陳羣は衣冠を正して先方へと向かう。頭の中に浮かんでいる様々な考えを一度上書き保存し、一路指揮官の部屋へ。
「呂将軍、陳先生がお見えになられました」
「うむ、早速お入りいただこう。これ、茶の準備をいたせ」
「はっ!」
ようこそ、と定型文に近い挨拶を交わし、呂威璜は己の元に舞い込んだ難題を陳羣に相談する。実際のところ呂威璜や陳羣の裁量を大きく超えた内容なのだが、一人で抱え込むのは不可能な問題が発生したのだ。
「陳先生、実はご相談がございます。まずはこの書状をご覧くださいませ」
「ふう、かしこまりましたぞ。吾輩でよろしければなんなりと」
陳羣が手紙に目を通す。一度、二度。そして数度。
滅多に動揺しない冷静な男だが、あまりにも突飛な内容につき、冷や汗が背中を伝うのを禁じえなかった。
「劉備……玄徳ですか。あの大耳長腕の侠客が……袁家に……」
「左様。北海攻略を控えておられた、袁顕思様の元を頼ってらしたとのことで……顕思様はこれを快諾した故、是非とも御館様に御目通りをと」
重苦しい沈黙が場を支配する。
陳羣は知っている。
劉備なる大漢の末裔を名乗る男は、稀代のペテン師であることを。
理想論を口にするが、行いは野蛮にて不遜。義を重んずるが、切り捨てるのが早い。
この男を袁家の幕臣に加えて良いかと問われれば、陳羣個人では否と回答するだろう。しかし、長女である袁譚の支持を既に取り付けてしまっている。
――侮れない男よ。
陳羣は知らずに歯噛みしていた。
恐らく劉備は袁家に大きな波乱を呼びこむだろう。
既に曹操に敵視されている男を迎えるのは、河北に新たなる騒乱を呼び込むと同義である。しかし人に取り入るのが上手い故、無下には出来ない恐ろしさがあるのも事実だ。
「陳先生、彼の劉備なる人物は、数日で南皮に到着するそうです。先触れが申すには、会敵した公孫の将を伴っているとか……」
「由々しき事態であること、是明白でござるな。至急早馬を用い、御館様の決断を仰ぐのがよろしいかと」
「入城させてしまってもよろしいのでしょうか。公孫の伏兵では、と危惧しているのですが」
「……ふう、その心配は薄いかと。南皮への攻撃であれば、兵を多数必要とします。仮に暗殺によって城内を押さえたとしても、鄴都から制圧するための軍が出ましょう」
劉備玄徳、何をしに来た。
底冷えするほどの悪寒を感じつつ、陳羣と呂威璜は防備を備えて到来を待つ。
外は強風が吹き荒れている。
袁家の旗が一つ、竿が折れて地に落ちていった。
◇
――劉備
「玄徳公、私は先日まで袁紹と戦っていた身です。同道するのは御身に危険が及ぶのではと……」
「よいのです、よいのです。昇り竜殿は私の友人として新たに道を歩まれております故、全責任はこの玄徳めが取りましょう」
「……しかし、それでは」
「よいのです、よいのです」
(陶謙の基盤は脆弱に過ぎた。曹孟徳を打倒するには、相応の兵力を借用するのが得策だな)
劉備は柔和な笑顔を向け、付き従う兵士を鼓舞する。
「皆の者、心優しき袁家のゆかりを得て、我らは南皮で体を休めようぞ。この大恩に報いるためにも、先ずは鋭気を養うのが肝要です」
「おお、流石玄徳様。あの名門袁家からも信頼されているとは……」
「ありがてえありがてえ……」
「はっはっは、よいのです、よいのです」
敗残兵の集団は一路南皮を目指して歩む。
(袁譚は情に脆いと聞いていたが、あれは赤子の手をひねるほどであったな。腹芸も出来ぬ凡愚は、早々にくたばるだろうよ)
ふふ、これでいい。
関羽や張飛と再会するには、兵力が必要。今は甘んじて汚名を受けよう。
使えるものを使い、袁家をしゃぶりつくしてみせよう。
これでいい、これでいいぞ。
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