第六十三話 君、後継者やってかない?
易京城砦への障害は取り払われた。
敵軍両翼の将のうち、公孫範は田豫に討たれ、他の諸将も散り散りとなっている。
物見の報告によれば、公孫瓚の一族である越・続の二将は城砦内へと退却することに成功したようだ。
俺が軍をまとめ、被害状況や補給、再編などを行っているときだった。
「顕奕! 顕奕はおるか!」
後詰めとして本隊が来たるとの報を受け、直後にデカ声で名前を叫ばれる。
この世で俺を敬称抜きで呼ぶ人間は、二人しかいない。
牛乳のおねーちゃんと、袁家の統領である袁紹パパンのみだ。
この重厚感があり、威厳を感じさせるボイスは後者であるのは明白なんだが。
「おお、顕奕。先手同士の戦では大勝を得たそうだな。それでこそ袁家の男よ」
「お褒めに与り恐縮です。しかし公孫瓚の一族を多く取り逃がしてしまいました。片手落ちとはまさにこのこと」
「イナゴどもを岩城内に押し込めただけでも上出来よ。貴様の軍略とやらに興味が湧いた。儂の帷幕に参れ」
「は……しかし……」
「ええい、よいから来るのだ。酒の振る舞いじゃ、遠慮するでないぞ!」
有無を言わさぬ名族パワー。
今超絶忙しいんだが、流石に君主の命令は無視できない。
俺は張郃と許攸に軍の再編成を任せ、そのまま御父上の相手としてドナドナされていく。
マジでこんなことやってる場合じゃねえんだけどな。
苦虫を二千匹くらい噛み潰しつつ、俺は勧められるままに席へとついた。
簡素な木製の丸椅子なのだが、鹿か何かの革が張られていて、どう考えても戦場に持ってくるようなもんじゃないってのは分かる。
「まあ飲め、顕奕。快勝の祝いだ」
「ありがたく頂戴いたします。おお、これは……」
驚くほど鮮烈で、コクがあるお茶だった。
聞けば江南からの交易ルートを増やし、様々なものを海路でも取り寄せているそうだ。やるじゃん、父上。
ていうか酒じゃないんだね。
……そうか。そういうことか。
「さて、顕奕。これから易京攻めに移るのだが、どのようにして寄せるつもりか」
「は、定石ですと破城槌にて大門を開け、騎馬の有利が働かぬ城砦内で決着をつけるのがよろしいでしょう」
なるほど。
流石に袁紹も長年河北に君臨してるわけじゃないね。
子煩悩で酒好き。場の空気を読まずに人を引っ掻き回す。
そんな印象を多くの者に見せたことだろう。それは当然、陣地内にいる敵の間者の目にもとまるわけで。
『袁紹は勝利の美酒に酔い、軍務を放り出している』
そのように報告されるはずだ。
当然公孫瓚は油断する。
もともと易京には十年分の食料が備えられており、食事をしながら袁紹軍が飢えていく様を見届けると豪語していたほどだ。
田豫や郭嘉からの情報によれば、後背地にして本拠地の北平は、今異民族による侵攻の気配があるという。
短期決戦しなくていいのかね? と敵ながら心配になってしまうほどだ。
「顕奕、門扉が固く閉ざされし要塞を、真正面から攻めるは愚策だ。いくら我が軍が名族たる威光を持っているとはいえ、田舎の武辺者を馬鹿正直に相手する必要なない」
「確かに……兵の犠牲も看過できませんね」
その辺はまあ、歴史の答え合わせってかね。どうやって易京を攻略したか知ってるから、あんまり心配してないんだ。
それよりもこうやって、真面目に不真面目さを演出するパパンの能力にビビったよ。生き馬の目を抜く貴族社会において、腹芸の十や二十はこなせないとイカンということか。
「つきましては父上。この顕奕めに策がございまする」
「ほう……面白い、言うてみよ」
酒を控え、毎日健康的な生活を送ったことで、袁紹パパンの肉体は大改造された。
一時期は瀕死の病人だったのだが、今では並み居る武将とまともに打ち合いをしても負けないほどに、逞しい身体を手に入れたのだ。
中年になって成長した袁紹の目が、鷹のように俺を睥睨している。
例え息子であっても、軍の大事においては些細なミスも許しはしないだろうね。
「その前に御父上、お人払いを」
「お前と共に帷幕へ来た際には、既に手はずは整っている。心配無用だ」
「左様でございましたか。では……」
俺が提唱するのは、最初の分岐となる二つの道。
持久論か、速戦速攻か。
持久戦は史実通りの袁紹軍だと、確かに持ちこたえることは出来ない。
支配地が多いとはいえ、寒冷気候な河北では穀物の収穫高が少なすぎる。故に大軍を維持し続けることは、他勢力から側面攻撃を受ける危険性が増すのだ。
だが状況は劇的に変わった。
口に出すのもうぜえが、郭図が南皮とその周辺で鬼のように米を収穫したことにより、糧秣問題に解決の糸口が見えてきてしまった。
単年度だけの収穫では心もとないが、この先袁紹軍の支配地で稲作と新米『されおとこ』が普及していくことだろう。
つまりは、他国をブチ抜いて、食料の大生産国へと変貌していく未来がある。
「ですが、御父上。私はあえてこの案は却下したいと考えております」
「ほう、申してみよ」
確かに堅実に兵を進めるには持久戦が一番だ。
黒山賊との連携も取れておらず、背後は蛮族フェスティバル。
ここで下手に時間を与えると、敵さんのライフラインが復旧してしまうかもしれない。
一番の問題は、来年には曹操が攻めてくるってトコなんよ。
河北最大のイベント、官渡の戦い。
史実に沿うのであれば、歴史から袁家が消滅する悲しいストーリーである。
そんな未来はまっぴらごめん被るのよな。
「敵総大将の公孫瓚は勇壮にして剛毅。なれど自らの身を重視しすぎる傾向がありまする。故に、先ずは攻勢に出て敵軍を釣りだすと、面白き結果になるかと」
「ふむ。先手必勝にして、敵中に不和をもたらすか」
「はい、そのうえで――」
よい、とばかりに手をあげられる。
気がつけば、袁紹の顔面は赤く染まり、まるでトマトのように紅潮していた。
血管は目に見えて浮き出ており、心なしか体が瘧のように震えている。
それは怒りか……それとも恐怖か。感情を測り知ることは出来ないのがやべーとこなんだが。
「お前は……本当に顕奕なのか? 儂は最近とみに思うのだ。何か貴様の中に、神仙の類が入り込んだのではないのかと、な」
「は、ははは……まさかそんな。私は周囲の者たちに学んでいるだけですよ。御父上がお気に病まれているとは、不覚にも知ることが適いませんでした」
「あくまでも、《《儂の知っている》》顕奕であると」
「は、はい」
一秒たりとも目を放さず、袁紹は俺を凝視している。
魂の奥底を見定めようとしているのか、それとも表面上、または形而上学のものにまで意識を向けていられるのか。
「そうか。そうであるならば、それでいい」
納得はしていなさそうだ。
押し黙っている時間を、ひやりと冷たいものがなぞっていく。
「話の腰を折ったな。さて、自給論は捨てるとすると、速攻案か。その骨子を聴かせてもらおうか」
「承知いたしました。では我が腹案をお話しましょう」
対公孫瓚の戦法は定まっている。
誘引と包囲、そして離反計が一の矢。
後背地の異民族へ目を向けさせる陽動が二の矢。
そして攻城兵器を見せ、穴を掘って坑道を進む三の矢。
史実よりもやや高性能の兵器を用いることになるが、まあ容赦することは出来ん。
そして作戦通りに行くのであれば、公孫の旗は次の一戦で折れることになるだろう。多くの血が流れるが、より多くの血を止めるために必要な措置だ。
そう言い聞かせなければ、俺は一歩も動けなくなってしまうだろうから。
「儂の肚も決まった。顕奕よ、貴様を臨時総大将に任ずる。己が培った人脈と兵法、そして戦の能力を示して見せよ!」
「ぬえっ、え、あ、はい。コホン、袁顕奕、謹んで拝命致します。必ずや袁家に勝利をもたらしてご覧に入れましょう」
「うむ。示してみよ、次代の袁家当主に相応しいか否かをな」
……マジ?
いや、袁譚ねーちゃんは……。顕甫ちゃんは?
俺は安楽な中立的存在ではなかったのか。
ギシリ、と軋む音を幻聴として感じる。
歴史の歯車に、決定的なズレが生じた瞬間を、俺の耳は聞き逃さなかったようだ。
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