第六十二話 昇り竜と大徳
「殿、奉孝先生の調略、無事に成功との報が!」
「よしよしよし。それで戦線はどうなってるんだ?」
伝令のもたらした情報によれば、敵左翼の公孫範は討ち死に。先手大将の田豫は袁家に寝返り、大回りをして右翼後方から攻撃を仕掛けたとのこと。
右翼の公孫続は生死不明なれど、寄せ手の趙雲を敗走させたのはデカい。
だって趙雲だぞ、趙雲。
史実でもほぼ負けなし。出れば戦果を挙げ、守れば鉄壁だ。
このまま追撃して味方に……とも考えたが、リスクが大きすぎる。
なにせ現在は前面にいる敵軍主力との大詰めを迎えているからだ。
「文醜将軍、敵陣突破!」
「魏延将軍、鶴翼陣形にて半包囲に成功!」
「敵軍総崩れの模様!」
胸のすくような報告ばかりだ。
いや、ここで慢心したら郭図と同じだな。勝って兜の緒を締めよとも言う。
俺は待機させていた袁煕軍本隊を動かし、眼前に立つ公孫の旗を折りにいくことにした。
「公孫越……だったか。たしか袁紹に暗殺されたというのが、俺の知ってる歴史だったが、さて」
改変した史実はどのようなバタフライ・エフェクトをもたらすのか。
下手したら、一騎当千の勇者にクラスチェンジしてるかもしれない。
「何にせよ、手を緩めるわけにはいかない……な。よし、マオ、俺も前線に出るぞ」
「はぅあっ! け、顕奕様がでございますか!? その、差し出がましいことを申しますが、自ら御出馬されますと配下の者たちが……」
「あ、そうか。確かに」
勝勢を得ている中で、牙門旗を守る大将が動くのはよろしくなかった。
どっしりと構え、後方にいつでも駆け込んでくることができるよう、陣容を整えておくのも勤めだと思う。
最大の問題は、手柄を横取りされると思われ、部下の不信感を買ってしまうことだ。俺が出来るのは、素直に文醜や魏延、そして両翼の将を褒めて労うことだろう。
「軽率なことをしそうになった。マオ、諫言ありがとうな」
「きょ、恐縮の極みに存じますっ」
男尊女卑の強い中華において、新規登録武将とはいえマオの意見を重用するのは見栄えが悪く映るだろう。
しかし俺としては、有用な意見に身分の貴賤や男女差はないと考えている。
つまり、イケてる内容はガンガン採用していくよってスタンスだ。
「よし、それじゃあ各部隊の負傷兵の収容と、物資の補給。そして後詰への戦況報告をまとめよう。皆の者、我らが土台となることで、将兵は存分に戦える! 人を支えることも戦いの極意と知ろう!」
「応ッ!」
俺は主役でなくてもいい。
なぜなら、光輝くばかりの才を持つ、尊敬できる仲間がいるからだ。
袁家の繁栄。家族の息災。将兵の安否。戦の趨勢。民の笑顔。
そのどれもが大切なパーツであり、俺を構成しているものだ。
失わないためには奪うしかない、この乱世。
どうやっても人の悲しみは消えないけれど、それでも前に進みたい。
進むだけの力を、皆と分かち合いたいと願っている。
「郭公則先生、帰陣なされました!」
「チッ」
結構真面目なことを考えていた脳みそが、一瞬でダークマターのように濁った。
あの野郎を殺せる人物は、ひょっとして世界に誰もいないのではないのだろうか。
「両先生をこちらにお通ししてくれ。俺の帷幕で喉を潤していただこう」
「はっ!」
「マオ、すまんがお茶の準備をしてくれないか?」
「合点承知でございますよ!」
ふぃ……。気が張っちまう。
全体としては勝勢で、懸念することは少ない。
だが、なんだろう。
俺の中のシックスセンスが、妙に疼いて止まない。
「郭公則、殿の御前に戻りましたぞ!」
「郭奉孝、任務完了ッス」
「両先生とも、ご苦労様でした。見事策が成り、我が軍は大きな弾みがついたことでしょう」
戦場に立つ以上、死者はどうしても出る。
もうここには居ない袁春卿も、死者の一人としてカウントされるのだろうか。
名もない兵卒たちのことを、風化させてはならないとも思うが、まだ俺には力が足りない。
「殿、何か考え事ッスか? 結構勝率たけーと思うんスけどねー」
「左様。ここは臣めに一部隊をお預けくだされ。にっくき公孫の小僧の首をもぎ取ってまいりましょうぞ」
「意気軒高にて、万全の布陣。懸念すべき点は少ないように思えるが……すまんな、臆病風に吹かれているのやも知れん」
不安の種は萌芽することなく、敵野戦部隊の総大将である公孫越が、文醜に討たれたとの報告が飛び込む。
怒号のような歓声が上がり、兵士たちは地に足を踏み鳴らして勝利を称えるのであった。
「杞憂だったのかな。俺、最近色々手出ししてたから、疲れてたのかもしれん。今日は早めに休むとするか」
マオの淹れてくれた茶をすすりつつ、二郭先生と今後の方針を検討する。
それすらも早めに切り上げ、俺は簡易的な寝台へと向かう。
「易京攻め……か。昔だったら前哨戦楽勝! とか思ってたけど、やっぱな……」
立場を自覚するたびに、人の命が重くなる。
舵取りを間違えてはいけない。
古今の英雄と比較するのは烏滸がましいが、きっとプレッシャーを撥ねつけるだけの覇気が備わっていたに違いない。
「強く……ならなくちゃな。ステータスだけでは測れない、大切なものがあるはずだ」
何かを得ようとして、まどろみの湖に沈む。
――趙雲
「二名……か。残る者が居ただけでも良しとするか」
血路を開き、敵中を突破すること数日。馬も倒れ、糧秣も無し。
草露を舐め、木の皮を齧りながら黄河流域へと逃れた。
薄暗さなど微塵もない、冴え冴えとした満月の夜。
「……これが一軍の将の末路とは、何とも情けない話だ」
嘆息した趙雲の耳に聞こえてきたのは、馬の嘶きと馬蹄の音。
決して整ったリズムではなく、向かい来る一群は疲労困憊しているようだった。
「……袁家の軍では無い……か」
槍を持つ手に力が入るが、どうも相手は趙雲に戦闘を仕掛けてくるような気配を見せない。
「……そこで止まっていただこう。そこもとの旗印はどちらにあるか!」
率いている人物が、前に出て警戒しようとした兵士を制し、馬から降りる。
「徒に警戒させてしまったようで、申し訳ない。私は劉玄徳。乱世の倣いに打ち破られ、斯様に生き恥を晒している者です」
「玄徳……様? おお、このような場所で再会できるとは、なんという僥倖か! 私です、趙子龍でございます!」
「おお、常山の昇り竜殿……! お体はご無事であるか? 見たところ随分とご苦労をなされた様子。ささ、我らと共に食事にしましょうぞ」
炊煙が上がり、雑穀の粥がよそられる。
雷鳴のように響く腹が、早く目の前の食物をかきこめと促していた。
「遠慮なく召し上がってください。趙将軍とお供のかたのお体が、今は一番大切なことですよ」
「……かたじけない。このご恩、如何様にお返しすればよいのか、見当もつきませぬ」
「よいのですよ。ささ、どうぞどうぞ」
その男、劉備玄徳。
目で見ることが出来るほど長い耳ではないが、極端な福耳だ。
手も長いが、足も長い。
顔立ちも整いすぎず、さりとて品の良さは決して損なわれない。
「よいのです、よいのです。ごゆっくりおくつろぎください」
乾いた土に沁み入るような、慈雨の声を持つ。
趙雲は終生忠を尽くすべき主君に、再びまみえたことを幸運に感じていた。
「玄徳公、この趙子龍、我が槍をお受け取りいただきたく存じます」
「ここで名高き将軍とお会い出来たのは、天命とも言えるでしょう。我が大望は厳しい道なれど、同道してくれるのであれば、これほど心強いものはありません」
「では……」
「槍をお預かりいたしましょう。この玄徳と共に漢の復興を目指しましょう」
「お命、お預けいたす。犬馬の労をも惜しみませぬ」
「よいのです、よいのです」
劉備は満面の笑顔で、趙子龍の肩に手を置いた。
これで、よいのだ、と。
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