第五十九話 逆神の堕天
「殿、軍師殿が単騎で張郃将軍のもとへ向かわれました。よろしかったのでしょうか……?」
「……ダイジョブだろ」
侍従の陸遜が不安そうに尋ねてくるが、もう後の祭りだ。郭図はそんじょそこらの雑魚を撥ねつけるほどの悪運を持っている。死にはせんだろうという気持ちがどこかにあったのは否めない。
故に、急報を受けて俺は目玉がPON。
伝令兵が息を切らせて俺の前にやって来た。ギリ落ち着いて応対したまでは良かったが、その内容に気が遠くなりそうだった。
「殿、火急の要件にてご無礼仕ります。軍師殿が敵将・趙雲に捕縛された由に……」
「え、マジ? コホン……その、なんだ。それは軍師殿の計略ではないのかな」
郭図に授けた袋には、劣勢な場合に軍を引かせる計略を記載してあったはず。
ちなみに別翼には陸瑁を向かわせており、こちらは無事に戦線を安定させているとのことである。
「確か騎馬の勢いを殺すため、劣勢時には罠を張った場所まで引くようにと申し伝えてあったはずなんだがなぁ……この時代で造るの大変だったんだぞ、鉄条網」
「てつ……じょう? いえ、ご指示通りに誘引計を謀った張郃将軍によれば、軍師殿は白旗を上げて敵将に近づき、その後刃物を取り出して暴れたとか……」
顔を手で覆うしかない。
あのクソバカ野郎、ほんま何してくれてんのさ……。
「降伏の証が無効になっちまったじゃねえか……これじゃあどちらかが全滅するまで戦うしかなくなるんだぞ……。それに刃傷沙汰って」
「その場では斬られなかったようですが、身分が身分でございますので、捕虜として後送されたと推測されております」
「そうか……」
郭図の斜め上行動はいつものことなのだが、ちと今回はやらかしがデカい。
しかも相手は令和ジャパンでもメジャーな趙雲子龍ぞ。
いつものボケ倒しが、カタブツと想像される常山の昇竜に通じるとは思えない。
「張郃将軍の体勢は整ったのだろうか。負傷していたりとか」
「はっ、軽傷ではございますが大事を取って簡易陣地を組んだ由にございます。指揮は続行されるとの報でして」
あの趙雲とガチンコして、生きてるだけでも儲けものだろうよ。
流石に90台の武力でバチバチするような世界は、俺には理解すらできんよ。
張郃の『千変万化』は有能だと思う。攻め時と退き時を弁え、きちんと卒なく戦働きをこなす。
「豊作と大量収穫をしちまったからなぁ……郭図もえらい出世しちまったしな。人質返還の交渉でもしてみるとするか」
俺はこれ見よがしに嘯く。
そんなことをする気はさらさらない。寧ろ敵陣深くに食い込んだことこそに意味がある。
非常に気が乗らないが、農民の間では『郭公先生』とあがめられているほどの存在だ。郭図が刑死した暁には、一揆が起きるかもしれん。
カッコウよろしく、他の鳥の卵を蹴落とし、自分の手柄にするところが腹立たしい。いっそ痛い目みてくれねーかなとも思うが、一応重臣だしな。
袁家のメンツがかかった問題になっちまう。
「埋伏の毒をやれと言えば、本当に毒をぶっかけに行くってのもどうなんだ。割と野郎の言語野に深刻なエラーが生じてるかもしれん」
全てのことは裏目になる。
彼の人物を使いこなすには、俺はまだ可能性というものを信じすぎてたのかもしれない。期待値通りには動かないというのは、フラストレーションが溜まるわけよ。
「本隊から三千の兵を分け、張郃将軍のもとへ援軍として出そう。両翼を見捨てないという強い意志があることを見せて、部隊の引き締めを図るしかないな」
俺はさらさらと手紙を書き、伝令に持たせる。
先鋒である俺たちが崩れれば、易京落としの雲行きが怪しくなる。後続が到着するまでに露払いをしておかなくてはならない。
「さて、右翼の張郃殿はひとまずこれで持ち直すことだろう。左翼はどうなっていることやら……」
俺も他の心配をしてる場合じゃないんだけどね。
中央は一進一退の有様で、気を抜けば一気に持っていかれることだろう。
重装歩兵による盾防御が奏功しているのか、敵の騎馬突撃には対応できている。
しかし軽歩兵の浸透までは防ぐことができない。
「状況次第では、やるか……勝負の一発ってやつを」
戦の機微や、戦場の流れは分からない。だが何か勘が囁いている。
「魏延将軍の歩兵部隊も消耗してきているしな。ここまでは計画通り……か」
あえて前面には仕官して浅い魏延を配置してある。ここで戦功を立てれば、袁家からの覚えがめでたくなるとの思いも重なり、これまで奮迅の働きをしてくれていた。
「左翼の状況が分かり次第、攻勢に移行する。文将軍に攻撃待機と伝えてくれ」
「御意!」
着けに行くか。決着ってやつをよぅ……。
俺は降りしきる粉雪を払いながら、戦包衣を翻して騎乗する。
鐙の成果、見せてやるけんのぅ。
――趙雲
じたばたと暴れている男が目の前にいる。
見苦しいことこの上なく、罠というのは稚拙すぎる行動をとったのだが、果たしてどこまで考えているのやら。
「確認のために訊ねるが、貴公……正気か」
「おのれ、にっくき敵将め。そこになおれ! この郭公則の刀は血に飢えておるのだぞ!」
「そのような戯言を真に受けるものはおらぬ。改めて聞こう、貴公の精神は正常であるや否や」
ぎゃーぎゃー喚く獣に人語が通じるとは思えぬが、一見すると文官――あるいは軍師然とした装いをしている。
「前半の説得は納得することもあったのだがな……後先というものは、常に考えておくべきと思うのだが」
「ええい、放さぬか。袁家の威光をなんと心得る。この蛮兵めが、河北の文化人に気軽に触れるとどうなるか教えてやろうぞ!」
自分の立場と言うものを理解していない。
このような知性の人物が、まともな立場にいるわけもなかろう。
恐らくは獄に繋がれていた者に、毒刃を持たせて……いや、それでは前半部の説得が妙に現実的であったな。
逡巡を重ねに重ね、深い思考に陥る。
拙者の悪い癖なのだが、一つの結論が出たことは喜ばしい。
『この男を生かしておくのは危険だ』
まず勝利し、その後に戦端を開く。
古の兵法にも書かれている通りだ。戦場に不純物が混じると、予想困難な結果をもたらし、気がついたら劣勢になる可能性もある。
斬る。
そも、自分を襲った狂人を生かす道理はない。
それに目の前の男からは、なにかドス黒い負の空気を感じる。
「――答えは得た。郭公則……と申されたか。せめてもの手向けとして、この趙子龍が首を打とう」
「えっ、や、それは困りまするぞ!」
「……困る……でしょうね、それは」
「どうにか軽い処分で終わらせ、度量を見せつけるというのは如何か」
土壇場で足掻く心境は理解できるが、士たるもの死に場所を見つけたのであれば、潔く散るのが定め。
「申し訳ないが――」
音をたてずに剣を抜く。
不確定要素を潰すため、狂人か重鎮かわからぬ者を手にかけるか。
武侠の行いには反するが、これも乱世の倣いと思ってもらおう。
「この場でおしるしを頂戴する。御覚悟召され」
「あひぃっ!?」
男は、じょんじょろろーと下品な音を立て、盛大に失禁をした。
刀の穢れになるかもしれぬが、選択の余地はない。
「引っ立てよ」
ならば、この身に出来るのは苦しみを与えずに葬るのみ。
雪雲に覆われた分厚い雲は、まるで拙者を試しているようにも思えた。
叶うのであれば、くだんの袁煕とやらに会ってみたい。
南皮を栄えさせた手腕の持ち主と聞くが……民の幸福を追求するという姿勢は、一定の評価に値するだろう。
袁家に降るには公孫より恩を受けすぎた。
この広き中華に、探し求める主君はいるのだろうか。
物思いに耽りつつ、抜き身の得物を手に刑場へと歩を進めた。
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