第五十八話 張郃と趙雲 そしてネズミ男
張郃と趙雲は両軍の兵卒が見守る中、死闘を繰り広げていた。
「……フッ!」
「……ピッ!」
刺突を避け、薙ぎ払いを中空で防ぐ。
互いに描く予定の軌道を読み、致命的な損傷を受けぬよう、疑似行動を交える。
実力伯仲の両者だが、重さ・速度・精密性において、趙雲が僅差ながら張郃を上回っていた。
数合、数十合と打ち合ううちに、次第に張郃は劣勢へと立たされていく。
頬を掠めた穂先に心胆寒からしめられつつも、必死に反撃の矛を繰り出すのみ。
袁家の河北統一という悲願を前にして、張郃は己が負けることは許されないと強く感じている。故に引くことができない。
通常であれば尻尾を巻いて疾く退散する場面だ。だが、それを許さないのは、袁煕の成長のせいでもあった。
「某は……退けないッピ……殿の飛躍を妨げることなど、家臣としてあるまじき姿ッピ……」
「……深い理由があるとお見受けするが、容赦は出来ない。大人しく投降するか、それとも首を落とされるかだ」
「どちらも御免被るッピ」
張郃は肺胞すべてに酸素を送り込むように、深く呼吸をする。
会話を挟むことで、失いつつあった体力と気力を少しでも回復させようとしていたのだ。
無論趙雲はそのことに気づいている。しかし、全力の相手を倒してこその誉れ。真正面から切って落とすことにこそ、武人として高みに上がる作法と信じている。
「余裕ッピね。某の身体を気遣うとは、ご厚情痛み入るッピ」
「……武勲に瑕を付けたくない。宜しいようなら、いざ、参られよ」
縦横無尽に雷撃が走る。
馬上で繰り広げられる竜巻のような闘争は、決して余人の触れ得る世界ではない。
一撃一撃が本命打であり、必殺の神技。
英傑同士の武は、斯くも人を魅了させるものなのか。周囲の兵士たちは乾いていく目を閉じることが出来ずにいる。
やがて幕は下りようとしていた。
体勢を維持することが難しくなり、防戦一方に追いやられた張郃が後ずさる。
もって後二~三合といった頃だろう。
最後の瞬間が待ち受けていた。
鋼の銀閃が、張郃の首に向かって走り――
歯を食いしばって避け、反撃の槍が趙雲に向かう。
槍が飛ぶ。
くるくると円を描き、地に突き刺さった。
首筋から流血している張郃の、渾身の一打が通じなかった。
「ここまでか……よく戦ったッピ。悔いは無いッピよ」
「戦場故、けじめとして首級をいただく。張郃殿、御覚悟を」
腰に佩く剣を抜き、荒い息をつく張郃に向かおうと、趙雲が下馬した瞬間だった。
「降参! 降参ですぞ! 我は郭図、字を公則。殿のご命令にて早馬にて馳せ参じた次第でございまする!」
大きく白旗を振りながら、郭図が張郃の前に立ちふさがった。
武人同士の決着に異議を唱えるなど、常識ではありえないほどの暴挙である。
しかしながら、趙雲は眼前の男が口にしている降伏宣言を聞き流すことが出来なかった。
「……随分お早い降伏ですね。理由をまず聞きましょうか」
「やや、臣としたことが失礼を。しかし、お話が長くなります故、先に張郃殿を下がらせていただきたい」
「拒否する。卿の話が真である可能性が低い。故に張郃殿にはその場でお待ちいただこう」
「であれば、首の止血だけでも。剣を執りて首を取るは将の習わしなれば、失血死した遺体の首を誇ることは誉れではござらぬのでは?」
しばしの逡巡。
目をつむった趙雲は、コクリと首肯を返し、張郃の治療を認めた。
「――ご厚意痛み入るッピ」
「……降兵を処するは武侠の志に反する故、お気に召されるな」
さて、と趙雲は郭図に向かって厳しい視線を投げかける。当然のことながら、趙雲は目の前の小汚い中年の言葉を信じているわけではない。
「そろそろ理由のご説明をいただけますかな……郭公則殿」
「ふむ、そうしたいのも山々なのですが……周囲の視線が気になりまする。事は複雑にて怪奇でございますれば、お時間を要することになるかと」
「……よかろう。では帷幕を建てる故、そこでお聞かせ願おう」
胡散臭い男の提案に乗るのは癪に障ることなのだが、仮に本当の降伏であれば戦わずして、袁紹軍の本隊を迎え撃つことができる。
易京城砦には十年分とも言われる備蓄食料があるが、多くの耕作地を有している袁家と比較すると心もとない。
短期的には不利。中期的には有利。長期的には不利。
それが趙雲の見立てだ。
「帷幕、完成しましてございます」
「ご苦労。それでは郭公則殿、中へ。言うまでもないことですが、こちらの兵も入れさせてもらいますよ」
「構いませぬ。漏れ聞こえる人物が少ないに越したことはありませんしな。後は趙将軍の《《度量次第》》ということで……」
「……二名来い。それでは中へ」
狭い帷幕には、簡素な木の机が中央に配され、向かい合うように席が準備されていた。上座に趙雲が座り、郭図は対面に腰かける。
郭図の背後には二名の兵士が見張りとして随行していた。
「袁煕殿は昨今力をつけてこられた、大器と伺っている。何故此度の戦で降伏に至ったのか、その理由を開陳していただこう」
「承知しましたぞ。実は袁顕奕様……殿は御館様との仲に隙間風が吹いておられまする。その原因は名士を多く招聘し、南皮を豊かにし過ぎた点にございます」
目で続きを促す。趙雲は親子間の複雑な機微が、袁煕の立場を危うくしていると解釈した。
有能な士を募り、兵糧を蓄え、兵を養う。
自分の子息ながら、大勢力になっていることを勘案すれば、狭量な袁紹としては理由を付けて弱体化を図るだろう。
「そも、内政の士であらせられる殿が、戦の先鋒として起用されたことが決定的でございました。無論我ら袁家の臣としましては、必勝の気概を持って戦場に赴いておりまする。しかしながら……」
内部に離反者が続出している。
郭図はそう言毒を囁いた。
「張郃将軍が奮闘し、戦線は膠着しておいででした。しかしなぜ援軍が来ないか、その理由は既にお分かりでございましょう」
「命令違反……か。この場合は伝令自体を闇に葬っていることになるのだな」
「左様……と断定するにはまだ情報が足りませぬ。ですが座して滅びを受け入れるは、多くの将兵の命を消すことになりまする。それは殿の本意ではござりませぬ」
「袁煕殿はあえて降伏し、身内の膿を出しきるおつもりか。ふむ……」
問題が大きすぎる……と趙雲は思考する。
これは野戦司令官である公孫越……否、公孫瓚本人に判断を仰がねばならないと結論付けた。
白面の美丈夫はその端正な顔を曇らせつつも、郭図の提案を飲む。
「それでは互いに軍を引きましょうぞ。なぁに、ご心配召されるな。事の真偽を確かめる間は、臣めが人質として貴軍に同行いたします。臣の言葉に偽りありしときは、いつでもお斬りくださいませ」
「……そこまでのお覚悟か。よろしい、ならば軍を引こう。誰かある! 敵軍師の捕獲により、重要情報を得た。翼将の公孫続殿にこの手紙を届けてくれ」
文をしたためた趙雲は、そのまま郭図に尋問を続ける。
確定的な情報は出ぬものの、名目上は袁煕の正軍師を自陣に留め置く形になったのだ。十分と言えば十分な戦果ではある。
「公則殿、戦火を恐れず君命を果たされたこと、敬服します。四方にある敵性勢力の中を単騎駆けされるとは……『一身これまさに肝』ですね」
「お恥ずかしい。知で戦うべき臣めが、先手の武者を真似てしまいました。どうぞ恥ずべき者としてお笑いくだされ」
趙雲の能力『郭図封印』
それは『マトモに言説を操る郭図』に戻す作用を生じさせた。
いっそこのままでいてくれと万人が思うところではあるのだが、歴史の渦はラッキーパンチを許さない。
張郃が軍を引ききったとの報を得て、郭図は大いに慢心するのであった。
(今なら臣一人でも敵将を討てますぞ。成し遂げればどれほどの財が得られることか……ぐひっ、うひひひっ)
古来より、愚か者につける膏薬は存在していないという証左とも言う。
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