第百七十六話 決戦⑲ 曹操のフリーレン
――曹丕
馬鹿な……まさかこんなことがあるはずが……。
曹丕が思ったのは痛烈な拳が右頬を捕らえるまでのこと。
既に名将・猛将からの洗礼を受け、気絶するたびに水をかけられて叩き起こされたあとだ。
更に曹操、趙雲、許褚の追加となれば生存の道は断たれたに等しい。
今までですら絶体絶命だったのだ。ここで輪廻転生を数回繰り返しても地獄への片道切符は用意されてしまうことだろう。
「子桓、貴様にかける言葉を考えておった」
「……今更何を言う、父よ。殺るのであれば一息にすればよかろう」
曹操はふっと溜息をつき、首を横に振った。
「曲がりなりにも儂の命を狙い、天下に手をかけようかとした者だ。贈るべきものがあるに違いないと。だがな、何もないのだ」
「……フ、父もよる年には敵わぬか」
「否定するのも愚かしい。子桓、お主は今何を考えておるのだ?」
何を馬鹿な、と曹丕は冷たく笑おうとして。
そして急に周囲が冷えこんでくる空気を感じるのだった。
「自由に走り、好き放題に争い、親をも手にかける。その行きつく先に何があるのだ? いや、誰がお前に付いてくるのだ?」
「力を持つ者に人は付き従う。天を掴むべき定めの俺には相応しい道故、弱者は必要ない」
「凡夫の夢よな、子桓。お前の周りには誰もおらんではないか。其処が本当に貴様の欲した場所なのか?」
「……ぐ、おのれ」
何故だどうしてだと思考は迷走する。
自らは天に選ばれた男だ。曹子桓が歩む道こそが王道であり覇道。人がついてくるかついてこないかではない。
四の五の言わずに俺についてこい。
断るならば死ね。
肯定以外の返事は不必要である。
「……黙れ。黙れ黙れ黙れッ!! ふざけるな! 俺が、俺こそが次代の王となるべき者なのだ。何故貴様らは平伏しない!?」
「語るに落ちたか、子桓。もうよい、休め」
「な、何をっ! 父よ、剣を抜け! この曹子桓と勝負せよ!」
永久凍土の視線が曹丕を射抜く。
今まで曹操の瞳に宿っていた肉親の情が一切消え失せていた。
ただ目の前にいる汚物に対し、即刻自害せよと訴えかけてきているかのよう。
「儂の剣……か。子桓よ、黄巾の乱を駆け抜け、董卓を追った儂の剣を求めるというのか? 貴様がか?」
「そうだ! そして疾く俺の未来のために道を譲れ!」
「ふむ、そうか」
立ち去りかけていた曹孟徳が振り返り、すらりと佩いていた剣を手にする。
倚天の剣。
三国時代の名剣に選出されるであろう、稀代の宝物が夕焼けの大地に煌めく。
「十合だ。それで儂を倒せなければ己の生を諦めよ、子桓」
「舐め腐りやがって。俺は今こそお前を越える! 死ね、曹孟徳!!」
「うむ、その意気だ」
双剣を抜き放った曹丕は華麗な剣舞の如く、そして流水を躍る木の葉のように。
巻き込まれる砂塵をも裁断せんと、その円は鉄の儀礼を以て曹孟徳に向かう。
「喰らえッ!」
裂帛の気合は雅な舞に相応しくないのだが、命を刈り取る者の咆哮として正しい。
曹子桓は剣の才も十分に備えている。
如何なる相手であろうとも彼の初撃を見切ることは難しいであろう。
その一撃は斬撃でも横閃でもない。
二本の剣の柄をつなげ、武器の長さを変えての突きこそが本命である。
喉輪を狙った漆黒の嘴角は影と一体化して曹操を討たんとし――
「温い」
片手で弾かれるのであった。
「な、馬鹿な……俺の突きを躱した者など数える程度しかいないのに」
「それはな、子桓よ。皆貴様に手加減していたのではないか?」
「……そんな……俺は、俺は」
雪がひとひら。
それは曹子桓の目からはがれた鱗のように儚いものであった。
がくりと膝から崩れ落ちる男に、雪はしんしんと積もっていく。
このまま消え去ってしまえばどれほど楽なものだろうかと、多くの者の声を代弁するかのように。
「なんだったんだ……俺は、俺の覇道は……」
「貴様の道は貴様ではない誰かが、汗水たらして舗装したものだ。貴様に足りぬのは敬意であると最後に教えておこう」
「敬意……だと……」
知らない。
曹丕は脳が焼かれるほどに考えるが、そのような概念を知り得ることがなかった。
「元譲、討て」
「いいのか、孟徳。あちらで本命が控えているが」
「うむ? ほほう、袁家のせがれか。いいツラ構えをしておる」
――袁煕
既にボッコボコに顔が腫れている曹丕君。マジ瀕死。
「あ、ここで俺に御鉢回ってくるんだ」
いや、わかってる。
このボディにあった本当の魂が叫んでいるんだ。この相手を討てと。
「お主がやるがいい、袁顕奕。ほれ、この剣をやろう」
「やろうって……え、ちょ、これ倚天の剣!」
「お主が持つ分には悪いことには使われまい。いつぞやの筆の返礼だ」
何その壮大なわらしべ長者。
等価交換の概念ぶっ壊れてて草も生えませんよ。
「……袁、顕奕! お前か。お前が全てを狂わせた張本人か!」
怨嗟の声が耳に届く。
あまりにも深い呪詛で吐き気がこみあげてくるが、受け止めなくてはならない。
「大雑把な質問ですね、曹子桓殿。そして初めまして、姓を袁、名を煕。字を顕奕と申します」
「俺の計画を潰し、曹家のやり取りに水を差したな。貴様の罪、万死に値する!」
ちょっとカチンと来た。
ごめん、嘘。
ガチで切れそうになったわ。
「随分な物言いですね。平和な河北に乱を招き入れたのは他ならぬ貴方でしょう。その上でより多くを求めるのは強欲に過ぎませんか?」
「俺が成すことは正しい。故に逆らうお前が間違っているのは自明の理というものだ。大人しくそこに直れ」
「狂人の類ですか。これはどうしたものやら」
三国時代にもジャイアニズムが存在してたのは奇跡の産物だが、そこに感心をしている場合ではない。
戦の前には言葉で戦うのがお作法と聞いていたのだが、受け答えにならないのであれば行う必要性が薄いんよ。
「貴方は暫定ですが曹家の長。そして私は次期袁家の長になります。本来であれば忠義の臣に場を任せるのですが、貴方に誰も従っていないご様子」
「黙れッ!」
「であればこれ以上の流血を避けるのが君子の執る道というもの。いかがですかな、大人しく降伏されるというのは」
「黙れええええええええええっ!!」
しょうもないな、このガキ。
どんな育てられ方したらここまで捻くれた阿呆になるんだ。
などと、隣で曹操が咳をするまでは思っていた。
「ではここで一騎打ちでもいたしますかな? 私が斃れても形勢が逆転するとは思えませんが」
「黙れ黙れ黙れ! 俺に意見するな! 俺の邪魔をするな! お前は下、俺は上だ!」
誇大妄想もここまでくると哀れに思えてくるね。
似たような立場として。そして怨敵として俺がケリをつけてやるのが望ましいか。
「剣を執るがいい、曹子桓殿。この俺と一戦交えましょうぞ」
「黙れ……黙れ……殺してやる、必ず貴様の首を刎ねてくれん」
「はてさて、上手くいきますかな」
俺の武力は現在70。
対して曹丕の武力は76。
普通に考えればこのまま負けるに決まっている。
そう、俺にチートが無ければね。
パワーアップセットのとある機能がアンロックされた。
【自己編集がアンロックされました!】
相変わらずクッソうるせぇ銅鑼の音が鳴っている。
心なしか萌え声音声と道具屋のワンコの声も聞こえたようだ。
ここで死ぬわけにはいかない。
多くの仲間、多くの友、多くの民のため、俺は力を合わせて未来を築かなければならないんだ!
「強力編集――」
けど。
この戦いは、俺の魂を賭けたものだ。
今の俺が出来る精一杯をぶつけよう。
人は能力についてくるのではないと思ってる。
きっと、負けられなに何かに対し、正々堂々とぶつかっていく姿に光を感じるのだろう。
「編集――終了」
何も触れずに俺は機能を終える。
誰にも恥じない姿を。
荒野を開拓していくようなその姿を。
「行くぞ、曹子桓!」
我が子に恥じぬ姿を、ここに刻み付けよう!
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