第百七十四話 決戦⑰ 初めまして、我が怨敵よ
――袁煕
捕捉——したぞっ!
曹丕の軍勢には虎豹騎の残党が含まれていて、各所で押されている。
流石中華最強と名乗るだけはあるね。これはケツの穴絞めんとな。
激突から二時間経過した。
当初跳ね返されていた部隊が敵軍に浸透し始めている。
「殿、右翼の顔良将軍が突破成功とのこと! 陣形を傾けて攻撃に転じましょうぞ!」
「だな。もう敵に逃げ場はない。死兵となることだけ気を付ければ、黄河に追い落とせるかもしれないか」
「ではこの許子遠が走りましょうぞ。殿は御身の安全をお考え下さいませ」
言うや否や許攸は馬に乗って突っ走っていった。
皆が精一杯、否、最大限の力を振り絞って戦っている。
ならば俺の役目はなんだ? ここで鎮座してるだけでいいのか?
「やめよう。余計なことをするのはよろしくない。無駄に前線に出たら仲間の思いを無駄にしちまうしな」
でもここでもできることはあるに違いない。
そう、それは鼓舞だ。
前線では将たちが声を枯らしてでも兵士を奮い立たせている。
その将たちも恐らくは限界に近いギリギリのところで踏ん張ってるんだろう。
「聞け、袁家の勇士たちよ! この戦は単なる領土争いに非ず!」
「おおっ!!」
「我らの土地、命、家族、祖霊……全てを賭けた一戦である! 今日この日は歴史に名が残るものになるだろう。それは決して暴力のぶつけ合いではない!」
「殿、殿おおっ!!」
「我々が我々の大地で生存するための――我々は愛する河北で生きていくための戦いである!」
歓声が止む。
兵士たちが俺の言葉に聞き入っているのがわかった。決して誇張でもなく、俺の一声で趨勢が決する。そんな予感がするんだ。
「我々は戦わずには屈しない。それは自分だけが良ければいいという利己心ではなく、共に歩んでいく仲間を支えるための愛を持っているからだ」
風も止む。
なぜだろうか。俺は声が透き通っていくのを感じていた。
「戦って、勝つ。そして祝おう! 我々は皇帝陛下に守られるだけの幼子ではない。今日こそが我々の独立独歩の冠礼の儀である!」
「うおおおおおおおおおおっ!!」
「河北は俺たちの土地だ! 必ず守るぞ!」
「怪我した者も立て! 俺たちは皆で一つだ!」
言葉の戦いなら負けねえぞ。
俺にはわずかではあるが、令和ジャパンという歴史のアドバンテージがあるんだ。
使えるモンは何でも使っちゃるわい。
「殿、左翼も崩れたようッス。これは【勝ち】ですわ」
「奉孝殿、俺は今が攻め時だと思うんだが、どうお考えか」
ニヤリと不敵な笑みを返して来る知力99男を見て、俺は確固たる自信を得た。
「河北に住まう全ての者よ! これより総攻撃を開始する!! 愚かな侵略者に黄河の水をたらふく飲ませてやれ!」
それは音の粒による波動。
人はここまで雄々しく叫べるのかと、間道すら覚えるほどだ。
誰しもが闘志を漲らせ、覇気を纏って前へと突き進んでいく。
曹丕、お前にわかるか?
俺たちは今、一つになっている。
お前に友はいるのか?
――呂玲綺・張遼
敵軍両翼の突破が成功し、残るは頑強に粘る中央軍のみであった。
しかし薄皮を剥ぐように。時には錐で穿つように戦列は千々に乱れていく。
「お嬢様、そろそろ頃合いかと。涼州兵が離脱した直後に我らが行きましょうぞ」
「うむ。全騎、突撃準備」
「ははっ!」
馬列を揃えた騎兵隊の前を、呂玲綺と張遼が真横に駆けていく。
いよいよ最後の一押しである、総員奮戦せよと声がかかるたびに兵士たちの顔つきが修羅のように強張っていく。
「頃合いだな。文遠、参るぞ」
「亡き呂将軍も天より照覧されていることでしょう。存分に武威をお果たし下され」
「うむ」
中天高く鎮座する天道に槍を向け、次いで曹丕の軍を指し示す。
呂玲綺からの指示はそれで充分であった。
「いくぞおおおおおおっ!! 呂家の最精鋭とはなんたるかを刻んでやる!」
「于必! 楊忠! おひいさまに後れを取るなっ! 我らの手で彼奴等を串刺しにしてやるのだ!」
「情けは無用。迅速に片付けてやる……」
呂家の武の粋を集めた中央軍【飛天】
ここが一世一代の晴れ舞台とばかりに、鬼神も泣きだすほどの苛烈な突撃を敢行していくのであった。
受ける曹丕の部隊は馬超の猛攻を凌いだのだが、既に第二波を防ぐだけの力は残っていなかった。
目の前に広がる黒一色の馬群は、絶望の光景であったに違いない。
「む、無理だ……逃げろ、逃げるんだ!」
「ひいいっ、呂家の鬼姫が出た! 助けてくれっ」
「おい貴様ら持ち場を守れ! おい、なあ……ッ、くそっ!」
旗指物や武具をかなぐり捨て、中原の覇者たる部隊は恥も外聞も無く逃げ散っていく。
「おい、あの旗は……が、が、顔良だっ!」
「おい押すな! こっちからは文醜が来てるんだぞ!!」
「涼州の奴らがまた向かって来るそうだ。もうだめだっ!」
曹軍兵士の間には、袁尚の腹心たる逢紀の間諜が潜んでいた。
これ幸いとばかりに袁家の恐ろしさを喧伝し、確実に不安を駆り立てていく。
「ああ……ここまで……か」
それは誰の声であったのだろうか。
騎馬の蹂躙に情けはなく、歩兵の槍に慈悲はない。
逃げまどう曹丕軍は片端から討たれていき、残った者は黄河の畔へと押し込まれていった。
「うむ。残りは敵の首魁か。我が君にお知らせするのだ」
「勝ちましたな、お嬢様」
「ああ、なんとも噛み応えの無い奴らであった。所詮不忠者の集まりだ、無理もない」
「左様ですな」
あと一刺し。
敵の長たる曹丕は恐らく黄河に落ち延びていることだろう。
ならばこちらも長に花道を譲らねばならない。
「どうか、死なないで」
呂玲綺は袁煕が対峙するであろう苦難を思い、戦の紫煙を香としてそっと祈った。
――再び、袁煕
総攻撃を命じたのはいいものの、もはややることはそんなに残ってなかったのよね。
敵将らしき人物はそこかしこで投降しているとのことだ。
ならば無為に兵士の命を散らす必要性もないか、とも思ったのだがね。
「ここは心を鬼にしないとな。禍根は断っておくべきだろうしなぁ」
俺は抵抗勢力に対しては徹底的な掃討を命じた。
この状況で降らないのであれば、袁家とは相入れない存在である可能性が高い。
申し訳なさよりも義務感が立ってしまうのは、俺がこっちの世界に馴染み過ぎたからだろうかねぇ。
「呂玲綺様より早馬が参っております。白馬の陣を完全制圧、敵首魁の曹子桓は黄河にて立往生しているとのことです!」
「そうか、ならば行かないとな」
「マジッスか? これ殿が行かなくても勝ち確定っしょ。なんで危険に飛び込むんですかい?」
「奉孝殿、実は俺未来から来たんだ。曹丕を生かしておくと後々大変な目に遭うんだよね」
無言の圧。
というより、鳩が豆ショットガン喰らったような顔してる。
「くは、はー---はっはっは、マジで? それすげーッス! やっぱただものじゃないと思ってましたけど、そこまでぶっ飛んでるとはね!」
「信じてくれるかい?」
「ええ、ええ。あー腹痛ぇッス。元から殿は浮世離れしてましたからね。はは、未来か。最高におもしれぇや」
そこまで爆笑されるとは思わなかったが、俺を止める気は消えてくれたようだ。
「ほいじゃあちょっくら、歴史変えて来るわ」
「はい。殿、ご武運を」
拱手を以て見送られる。
思えば長いようで短い日々だったのかもしれない。
物事がマッハで過ぎ去っていき、目まぐるしく環境が変わっていったね。
馬に揺られながら、俺はやがて黄河のとある地点に辿り着いた。
ここがこの身体の終着点。
「おのれ……凡愚の分際で俺の前に立つとは不遜に過ぎるぞ、袁顕奕!」
「そうか」
衣冠乱れ、青い鎧は泥まみれ。
氷の貴公子として名高い曹子桓は、まるで野良犬のように俺を威嚇していた。
「やっと会えたわ。こう、なんつーか感無量だよ」
「凡愚かと思えば物狂いの類だったか。貴様の腑抜けツラを俺に見せるな、クズめ」
「そう連れないこと言うなよ。お互い名家の二代目じゃないか」
「俺と貴様を同列に語るな。ウジ虫が群れたことで麒麟にでもなったつもりか?」
やれやれという台詞は、こんなときに出すんだろうかね。
「ウジ虫でもなんでもいいんだが、群れってのは大事だと思うよ」
「ほざけ。ゴミはいくら集まってもゴミであることには変わりない」
「けどさー」
そのゴミに追い詰められてる君はどうなんだい?
どうして君の周りには、誰も居ないんだい?
何故味方が助けに来ないんだい?
言うべき言葉ではないことが頭に浮かんでいく。
いい加減に一つの決着をつけよう。ぐだぐだ語るのは無粋だしな。
「曹子桓殿、勝負を申し込む」
「……く、くはははは。愚か極まる男だな袁顕奕。たった一つの勝ち筋を俺に献上するとはいい心がけだぞ」
「ああ、お互い《《全力》》をぶつけ合おう。俺は一切の容赦はしない」
「舐めるな三下! この曹子桓、貴様如きの安い挑発に背を向けると思うてか!!」
さあ抜け、と言わんばかりに曹丕は高そうな剣を抜き放った。
将が将たることを止めたとき、それはただの凡夫になるのだと思う。
俺は最後まで皆の想いを預かる将であるつもりだ。
だから使えるものは何でも使うし、出来る手は全て打つつもりだ。
じゃ、始めようか。
魂を通貨にして、最後の賭けをな!
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