第百七十三話 決戦⑯ 十年埋伏
――袁煕
れーちゃんにしこたま怒られたが、無事西涼勢との和解は成立した。
マージでイレギュラーの連続で頭がフットーしそう。
「しかしまさか曹孟徳が存命とは。むぅ、我らは良いように駒として配されたということか」
「だーから言ったでしょう、従兄上。曹子桓は信用できないって」
謀られた馬一門はもうガン切れ状態のバーサクだった。
こうやって人語を話させるまで割と時間がかかったのよね。
途中龐徳がれーちゃんに告白して、見事にケツを蹴り上げられたのは御愛嬌である。
「我が西涼軍は一時指揮権を袁顕奕殿に移譲する。この馬孟起の命に代えても軍律を遵守すると誓おう」
「お気持ちは無駄にしませんよ。一緒に戦いましょう」
しっかり張飛と馬超の武力を戻しておいた。
これ戻すのにも金かかるんだね。どんだけ消費者の敵なんだろうな、このシステム。
しかして曹子桓と俺の間を遮るものは何もなくなった。
散々好き勝手に自分事を振りかざしてきやがって。ここらでいい加減に〆ておかないとなぁ。
「殿、部隊の再編が完了いたしました。先の布陣に加えて西涼軍閥が前衛に立つと」
「許先生、いつもありがとう。心置きなく戦えるのは貴方の力が大きい」
「勿体なきお言葉。この許子遠、命尽きるまで殿をお支えいたしますぞ」
俺の力は微々たるものだ。しかし今、大陸の安寧を願う志士たちがここ白馬に集結している。勝たなければいけない。是が非でも、だ。
「全軍出撃! 目標は曹子桓の首なり!」
「応ッ!!」
ようやくたどり着いた場所。
あるいは最初から約束されていた土地かもしれない。
俺は剣を握りしめる手が震えているのに気づいた。
それはきっと、この身体に残る袁煕の残滓か。それとも俺の意思力なのか。
答えはきっと前にある。
「行くぞ、曹丕。決着をつけようじゃないか」
風雲急を告げ、万雷の集う戦の始まりだ。
――袁譚
「おい王脩、ここは何処だ?」
「……いい加減に地図の上下くらいは覚えてくださいよ。はぁ、ここはもう黄河流域ですよ? 白馬から随分逸れてしまいました」
「なんだと! それじゃあ顕奕から離れてしまったじゃないか!」
「……今更ですか?」
もうやだこの長女。王脩の顔には疲労の色が濃く現れていた。
方向音痴の将とはいえ、周囲の警戒を怠るわけにはいかない。
感情と任務は別物と理解しつつも、王脩は徒労感を味わうのであった。
「おや、これは姉君様ではありませんか」
「何奴!」
咄嗟に剣を抜き、兵士たちが色めき立つ。
だが現れた少年の美しきかんばせにより、毒気がすっかり抜かれてしまった。
「突然のご訪問陳謝いたします。某は陸伯言と申します。こちらは弟の瑁にて」
「陸……そういえば顕奕様の側近に召し抱えられた軍師見習いがそんな姓でしたな」
「へぇ、よく知ってるな王脩。まあ誰でもいいんだけどよ、どうやったら可愛い顕奕に会えるか教えてくれねーか?」
あ、こいつ迷ったな。
陸遜の顔に一瞬の戸惑いが現れるが、そこは名軍師である。咄嗟に冷静を装うのであった。
「恐らく今から殿の下に向かわれても時期を逸してしまうことでしょう。であればここは別の形で顕奕様にご助力されるのが【印象が良い】かもしれませぬ」
「……聞こうじゃねえか」
「はい、幸いにして我が方は敵に捕捉されておりませぬ。そして敵陣に火計を仕掛けるに十分な物資を用意しておりますれば、ここは独立遊軍として敵の側面を討つのが上策かと」
袁譚はまだるっこしいとばかりに、ミディアムヘアをガシガシとかく。
確かに陸遜の言う通り、袁煕の事を考えれば奇襲で敵を動揺させるのがいいだろう。であれば陸兄弟が率いる軍を引き入れるのが得策に違いない。
ポクポクポク、チーン。
袁譚の頭で損得勘定が算定された。
「わかったぜ。じゃあオメーの策はどういうのがあるんだ? 好きなように言ってみろ。兵隊は貸してやる」
「有難きお言葉。では――」
布陣を上空から俯瞰すると以下の通りになる。
中央軍に袁煕率いる本隊。
右翼に曹孟徳、否、夏侯惇率いる支隊。
左翼側に袁譚と陸兄弟がいる。
全体的に把握することは難しいが、陸遜の頭の中の絵図面は事実間違いが無かった。
黄河は焼き討ちにより渡河不能。そして濮陽には曹孟徳が直々に乗り込んでいる。
「――と、私の下に来ている情報でございます」
「んだよ、これ。完全包囲してんじゃん」
「左様でございます。であればこそ、敵を死兵にせぬようにしつつ、数を減らしていくのが最善でしょう」
「おっし。だったら話は早ぇ。片っ端から火ぃ点けまくってやらぁ」
豪快に笑う袁譚の側で、王脩は沈痛な面持ちで項垂れる。
まーたこのバカ、好き放題やるのかよと。
止めてくれることを期待していたのだが、陸遜は【火】という言葉を耳にした途端に瞳の輝きが増したのだから手に負えない。
「んじゃあ派手に行くか。陸の小僧、先導しろ」
「承知いたしました。白馬を黒馬にして見せましょう」
◇
やがて各地に設けられた陣地が炎の中に消えていく。
物資集積地・兵舎・物見櫓・狼煙台。
曹子桓が築いた白馬の防衛線が徐々に焼け落ちていくのであった。
――夏侯惇
枯草の跡残る平地で、夏侯惇の怒号が響き渡る。
「消え失せろ、木端共がッ!!」
彼は曹孟徳不在を察せられぬよう、一段と苛烈に攻め続けていた。
負傷していない兵はおらず、体力も尽きようとしていた。
だが体は常に戦を継続し続けている。
「兄者、あぶねえっ!」
「ぐがっ!?」
夏侯淵も急襲を止め、従兄と歩調を合わせて陣形を整える。
残酷な背反であるが、夏侯兄弟が戦果を上げるほどに敵は殺到してくるのであった。
それでもなお、夏侯惇たちは刃を振い続ける。
「李通殿苦戦とのこと。至急お味方を!」
「聞いたな? 徳、行ってこい!」
「任された!」
つぎはぎだらけの戦列は、次第に曹丕の旗本に突き崩されていく。
血を流し、希望が見えない状況でも夏侯家の心は折れない。
それは何故か。
信じたから。
曹孟徳が見せる未来。そして豊かな大地。人々の発展。
知勇を振い、賢臣集う画期的で効果的な施政。
どうしようもないくらいに、焦がれたのだ。
俺たちは、この男についていく。
未来の子供たちが笑って過ごせる日々は必ず来るだろう。
――そのためなら、礎となって朽ち果てることこそ本望。
「うおおおおおおおおおおおおっ!! 消してやるッ!!」
満身創痍の男たちを動かすのは、理想への渇望。
消えよ絶望。消えよ暗黒。消えよ乱世。
明日の誰かの笑顔のため、今命を捨てる時と信じている。
猛攻、猛攻、猛攻。
隣が斃れればすぐに前へ。
「怯むな! 矢なぞ礫と同じよ。そんな軟な攻撃で死ぬ曹家ではないぞ!」
「へへへ、兄者よぅ、燃えてきたな。こんなに苦戦するのは青州以来だぜ」
天蓋瞬く昴があれば、大地に輝く星もある。
彼の星は夏侯。
命を燃料として、想いを気力として制圧を繰り返す。
勢いは衰えず、ただひたすらに前へ。
「子桓、貴様は俺たちを、民を、家臣を裏切った。そしてなによりも孟徳を裏切った! その大罪は心臓を八つ裂きにしても飽き足りぬわ!」
そして夏侯惇たちは辿り着く。
「見えた……子桓めの牙門旗……クソ餓鬼が、手こずらせおってからに」
獲物を射程に捕らえた餓狼は、その身に紫電を纏いて突進していくのである。
奇しくも袁煕の前衛を担っている呂玲綺・馬超・顔良・文醜の四将と同時攻撃に相成ったのは歴史の定めなのだろうか。
――程昱
ここまでか。
あとは手はず通りにあのボンクラを殺し、情に絆されやすい将へと降ろう。
程昱は配下の者に合図を出し、首のすげ替えを再度行うことにした。
「ふむ、此度の教訓はあまり駒を使い潰すべきではないということだな。上に立つ神輿は軽くて良いのだが、周囲に小粒なゴミしか残らぬのであれば天下は望めぬ」
最初から曹子桓を欺くために懐へ入り込んでいた。
脅されてやむなく従った。
夢の中で日輪を掲げて以来、曹孟徳への忠義を忘れたことはない。
「とでも言っておけば、どこかの阿呆は引っかかろう。やれやれ、次はどこの馬鹿を焚きつけようか」
「仲徳様、密使が参っております」
「文のみ受け取れ。あとは知らぬ存ぜぬで通すのだ」
「ははっ」
【程仲徳殿
中原を乱す任務、大儀である。
貴殿の働きは我ら孫呉にとって大きな助けとなった。
これまで通りの働きを継続することを命ずる。
周公瑾】
「人使いが荒いな公瑾。まあいい、上手く孫呉に有能な者は移動済みだ。あとは適宜戦犯処理を行うとしようか」
程昱の含み笑いは、決して後世には知られぬだろう。
十面埋伏。
もじりて、十年埋伏。
程昱は江南に仕え、中原の戦力を低下させる毒草として咲き誇るのであった。
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