第百七十一話 決戦⑭ 武の頂
――張飛
三本勝負の大将戦が始まる。
だが燕人張飛はこれまでの戦いを、一歩引いた目で見ていた。
「なんでぇ、酒の肴にもなりゃしねえ。まあ残ってるのあの銀ギラ野郎は別格のようだけどよ」
一人ごちて陶器の酒瓶からぐいと一口あおる。
彼にとって酒は憂いを払う玉薄でもあり、戦場に出るための燃料でもあった。
「張翼徳どの、お待たせした。貴殿の武に戦の趨勢を託したい」
「へっ、任せとけって。こちとら負け続きで腹に据えかねてんだ。あの銀ピカ野郎を粉々にしてやっからよ」
「西涼の錦馬超は中原にも聞こえるほどの剛の者。ご油断召されるな」
「誰に言ってやがる。まあ見てろ、すぐにぶっ飛ばしてやっからよ」
その威勢のよさが決して軽口ではないことを呂玲綺は知っている。
西涼の神威将軍とも称えられた馬超を相手に、無頼の勇者がどこまで戦えるのかと一抹の不安もあった。
やはり正規の軍人の間では馬超の噂は耳にする機会が多い。
人曰く、十万の羌族を退けた。
士曰く、一日で三つの城を落とした、と。
眉唾な話があるものの、真っ向から否定できぬ武が彼には確かにあったのだ。
「うっし、それじゃあいっちょやってやるか! やいやい、この燕人・張飛様が相手になってやらぁ! 涼しいツラしてられるのも今だけだぜ!」
「むぅ。なんという大声だ。お前はどこぞの悪鬼か何かか?」
馬を対面させた馬超は、目の前で鼻息荒く蛇矛を振り回す髭男を睥睨する。
感想としては、ただの力持ちの類。恐らくは賊徒ども相手に勝利を重ねることによって自信をつけてきたのだろう。
「むぅ。しかし、岱が油断するなと言っていたしな……。ここは一つ令明と戦うときを想像してやってみるとしよう」
「なーにぶつくさ言ってやがる。おら、とっとと俺様にブチ殺されやがれ!」
「そうか、では参ろう」
無造作に突き出された槍、その刺突。
張飛はすんでのところで回避したが、正しく心の臓を穿つ致命の牙であった。
「むぅ。躱されたか。令明であればせめて防御するのだがな」
「……この野郎、中々いい腕してやがるじゃねえか」
槍の基本動作は、突き・払い・打撃である。
馬超はその基本動作全てが常人の域を遥かに凌駕していた。
彼は基本動作を踏襲しているつもりなのだが、威力や速度があまりにも常人と桁違いに過ぎる。
「ならばもう一段階力を加えるか。むぅ、これでどうだ」
荒鷲が得物を一瞬で捕まえるかのように、視認できぬほどの槍が走る。
相対する者は何が起きたか理解することもなく絶命することだろう。
「っとぉ、だから危ねぇっつの!」
「む、これも駄目か」
ずんぐりむっくりした筋肉の塊の張飛だが、その動きは見た目に反して素早い。
ここまで互いに武器をぶつけることなく、動体視力と見切りの動作だけで攻防を交わしていた。
「面白ぇ、なら次は俺様の番だぜっ!!」
「むっ!?」
蛇矛は一瞬でその姿をかき消し、熱風を巻き上げて冬の大地を溶かす。
下から掬い上げるような打突は、防ぐこと能わず。
さしもの馬超も危険性を察知し、馬の腹を蹴って攻撃範囲の外へと離脱した。
「へっ、ケツまくって逃げるんじゃねえぞコラ! まだまだ死合いはこれからだぜ!」
「むぅ……これは予想外だ。西涼でもこれほどの蛮勇は見たことが無いな」
すぅ、と馬超が息を大きく吸い込む。
来る。
張飛は乱打戦になることを予期し、同じく息を整えて敵の動きを注視した。
「おおおおおおおおおおおおっ!!!」
「いくぜええええええええっ!!」
玉散る刃の流麗な動きは一切感じ取ることはできない。
ただ己の武を恃みとする男二人による、剛力と技術のぶつけ合いであった。
「むっ!」
「ち、野郎……」
一瞬でも視線が外れれば、其れ即ち魂尽きる時。
荒涼たる大地と、正規軍人の規律によって鍛えられた西の槍が輝く。
遮るは中原にて武侠の漢として死と隣り合わせの日々で培った矛だ。
焔を纏うような突き。
烈風逆巻く魔人の撃。
舞い散る木の葉が空間に入るや否や両断され、人の生存を許さない絶対的な領域が展開されていた。
「おい、てめぇの名前はなんだ」
「む、名乗ってなかったか。俺は西涼の馬孟起だ」
「俺は張翼徳っつーんだ。その、なんだ。もうやめねえか?」
「そうだな、いい加減にしておこう」
ふっと体の力を抜き、二人は微笑んだ。
周囲の者の耳朶を打つ不愉快なまでの轟音が響く。
そう、もう二人はやめにした。
お互いの力量を見定めるような牽制を終わりにし、決着を付けにいったのだ。
「おるああああああっ!!」
「む、甘いっ!」
張飛の振り降ろしが彗星の爆撃であるならば、馬超の払いのけは鎌鼬の凶刃だろう。神話にある伏羲と女媧の戦いか、それとも蚩尤と黄帝の決戦か。
唯一つだけ彼らを支配している感情は、喜びであった。
「へへ、やるじゃねえか」
「まさか俺が本気を出せる相手が居ようとはな。幸運に感謝すべきだろうか」
死すら遊戯の一つとばかりに、両者とも鎬を削り切る。
この一瞬だけが武人としての真実である。例えその身が燃え尽きようとも走り続けるのがサガと言えるのかもしれない。
「馬の字、ちょいと休憩だ。俺様は平気なんだが馬がな」
「むぅ、そうだな。馬は生涯の友だ。労わってやれ」
「わりぃな。ちと時間をくれ」
打ち合いが続くにつれ、二将ともに疲労が蓄積されていく。
一歩も譲らぬ激戦のため、何度も馬を変え、水を飲む。
このままではどちらかが確実に死ぬだろう。だが次元が違いすぎて他の者が入り込む余地がまるでなかった。
――袁煕
白馬の手前まで軍を進ませ、そこで一時停止した。
念には念を入れ、周囲への警戒網を密にしておく。
「殿、呂姫様より火急の知らせが届いております!」
「何っ! 見せてくれ……ふむ、なるほど……」
許攸が持ってきた文書を引っ手繰り、急ぎ目を通す。いよいよ戦も大詰めだ、指示の遅れが致命打となってもおかしくない状況だと思う。
「張遼が敗北……だと!? それにれーちゃんも手傷を負っていて、今張飛が踏ん張ってる……おいおいおい、死ぬわ袁家」
「殿、これは一刻も早く援軍を送らねばなりませぬかと」
「そ、そうだな。今動ける部隊はどれぐらいあるんだろうか」
「殿の率いる主力軍のみでございますが……」
Ω\ζ°)チーン
訂正しよう。
おいおいおい、死ぬわ俺。
「如何なさいますか、殿」
「……直ちに軍を出撃させる。許先生は本陣の守りをお任せします」
「しかと承りました。殿は河北にとってなくてはならない御仁です、どうか無理をなさらないようにしてくださいませ」
「ありがとう。心にとどめておくよ」
踵を返して俺は馬に飛び乗る。
鐙のお陰で馬から落ちることも無くなったしな。やっぱ便利グッズは在るに限る。
「行くぞ! 我が部隊はこれより前線で苦戦している呂家の軍を助ける。ついてきてくれ!」
「応ッ!!」
味方が既に制圧してくれている平野を走る。
激戦地までそれほど時間はかからないはずだ。間に合え、俺。
◇
「で、なに、これ?」
「見ての通りだ。このままでは翼徳殿か馬孟起が戦死するまで打ち合うことだろう」
どうしてこうなった。
俺は援軍として颯爽とれーちゃんの元に駆けつけ、剣を抜いて周辺の確保をしようとしたんだ。
どうだ、白馬の地にて、白馬に乗った王子様が助けに来たぞ。
髪は冠の中にまとめてあるので、俺はチョビヒゲをふぁさっと撫でつけてアピールした。そこまでは良かった。
「いいところに来てくれた。我が君、あの二人を止めてくれ」
「えぇ……」
燕人張飛と……え、馬孟起……馬超?
なんでここにいるのとか、ここでなにやってんのとか、そういうのは後回し。
問題なのは唯一つだよ。
「我が君、なんとかしてくれ」
れーちゃんのうるうるした瞳が俺の背を押してくる。
押し出される先は、二つのサイクロンがぶつかり合ってる激甚災害地だ。
「……どーしよ」
例えて言えば、第二次世界大戦をソロプレイで止めて来いってオーダー受けた感じ。最近こう、抜け毛が増えたのは、家臣のやらかしが原因なのだろうか。
だが、ここで動かねば大変なことになるのはわかる。
どちらが斃れても今後の歴史に大きな禍根を残すことになるだろう。
なら、しょうがないね。
やるしかないね。
「強力編集――起動」
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