第百六十九話 決戦⑫ まさか俺が勝つなんて、誰も思ってなかったでしょ?
――呂玲綺
震撼、と評すればいいのだろうか。
貴公子然とした白銀の美丈夫からは、それに比するように殺気と武威が漂って来る。あまりの重圧に思わず手が出そうになるが、迂闊な行動は死を招くと本能が警告していた。
「引いてはくれぬか? 西涼の錦殿は中原の戦に関係は無かろう。ましてや帝の詔勅に誤謬があるとするならば、我らがここで争う意義は皆無だ」
「戦神の娘が帝の仕置きに異議を持つか。むぅ、しかし……我らも引くわけにはいかぬのだ。なあ岱よ?」
馬超は口での闘争に関しては不器用な男である。
故に芸達者な従弟に交渉事を任せる傾向があった。
「はいはい、従兄上の言いたいことはわかりますよっと。なあ呂家のねーさん、俺たちも帝の紋所背負って来てんだ。魏公が僭称であるという言い分は聞くべきものがあるが、はいそうですかって帰れねーんだわ」
「ならば我らの進軍を妨げず、傍観していればよい。いずれにせよ首魁たる曹子桓を捕らえて体に聞けば済む話だ」
「物騒だねぇー。そうさせないために帝が俺らを送ったってのに、いけしゃあしゃあと『そこで指くわえて待ってろ』って言われるとなぁ」
馬岱の呂玲綺に対する印象は最悪であった。
こう見えても西涼の武人は誇り高い。己の武を軽く見られると、理由の如何にせよ敵対行動であると認識してしまう。
「ま、決裂ってことでいいんじゃないかな。もとよりこっちは戦る気で来たしなー」
「……そうか、ならば是非も無し」
無為に兵の命を散らす必要性が無いことを相互に確認し、三騎対三騎のそれぞれ一騎打ちで勝敗を決することになった。
涼州軍閥から、先鋒:馬岱。中堅:龐徳。大将:馬超。
袁煕の部隊からは、先鋒:張遼 中堅:呂玲綺。大将:張飛。
と相成った。
「斯くあるように決まった故、各々方覚悟と決意を以て事に挑むように」
「呂家の姫の言の通りだ。馬選びを怠るなよ」
血風を纏いて白刃が舞う刻が到来する。
武人同士の語らいはどちらかの命で以て帰結することであろう。
◇先鋒戦
向かい合った両軍から一騎突出する。
西涼の若武者・馬岱は房のついた大きめの帽子を被りなおし、得物である細身の槍を二度三度と振る。
今までと変わらず、訓練通り。そして実戦で振るってきた通りの捌きだ。
「待たせたねー。君が呂家の突撃隊長の張文遠か。俺の槍についてこれるかな?」
「武士に言葉は不要。唯一つ、己の力のみを示すがいい」
「渋いねぇ。そういうの、割と嫌いなんだよなー」
軽い口調と異なり、馬岱は彼我の戦力差を冷静に分析していた。
この場にいる将の中で自分が一番武に乏しい。それが故に雑多な罵声で相手の出鼻を挫き、戦いの波を掴む意図がある。
「いざ尋常に勝負。若武者なれど馬家の将、相手にとって不足なし」
「舐めてもらったら困るんだよなー。度肝抜いてやっから覚悟しとけよー」
鉤錬刀という大刀を手に、張遼は馬を馬岱に向けて走らせる。
すれ違いざまの一撃では勝負つかず。二合、三合と打ち合い続けていく。
「やるね……これはちょっと厳しいかなー」
「先ほどから狙っていることは見抜いている。早く奥の手を見せてみよ」
「ひゅー、さっすが。これだから生粋の武人は嫌いなんだよねぇ」
馬岱は槍を背負いこむと、懐に手を突っ込む。主武器を格納した状態こそが彼の真骨頂である。
「それじゃあ始めようか。馬家の岱を楽に討てると思っちゃだめだよー」
「どのような手管でも構わん。さあ来いっ!」
銀の閃光が走る。
張遼の右頬をかすり、一筋の赤い血筋を流させる一撃だった。
「袖に潜ませた暗器……いや、この切れ味は……」
「ふふふー。わからないよねぇ? 文遠君、あまり才のみで人を図ってはいけないよー」
「そのようだな。ならば拙者も決死の一撃としよう」
「いいのかい? 俺の武器の正体を知らないと、首がぽろりと落ちてしまうよ」
勝った。
馬岱の狙いは『張遼をその場に留める』こと。
彼の手品のタネは二つある。
袖口から放った薄刃の短刀が一つ。
そして珪砂と貝殻で作り上げた透明の牙だ。
形は『へ』の字を描いており、陽光に向かって投げると相手の目に映らずに舞う。
そして背後から相手の首元に翻って襲い掛かるのだ。
「打ち合いはゴメンだよ。腕が痺れちゃうからねー。君のバカ力は何を食べたら出るんだい?」
「語るに及ばず。行くぞ!!」
張遼が突進してくるのは最初から理解している。
自分がその剛撃に耐えられぬことも馬岱はわかっていた。
故に背後からの刺客。
予定通り自分に迫ってくる張遼の背後にピタリとつけている。
「その首、もらい受ける」
「それはどうかなー」
鮮やかな烈火のように、血煙が世界を彩った。
ゆっくりと張遼の身体が馬から崩れ落ちていく。
「跳ね返る暗器……か。見事……」
「いやぁ……お褒めもらってもねー。ごふっ」
張遼の一撃は馬岱の鎖骨を叩き割っていた。
両者共地に倒れ伏し、苦悶の声を大地に刻む。
夥しい血液が張遼の首から流れていく。一方の馬岱は骨折のみで済んでいるので、命に別状が無いようであった。
「ぐ……このようなところで死ぬわけには……いかぬ!」
「無理しちゃってー。あいててて、駄目だこりゃ、動けねー」
依然闘志を湛える張遼だったが、眼前に己の主が塞ぎ立って動きを遮る。
呂玲綺による降伏宣言であった。
「水を差して済まぬな、文遠。ここまでだ」
「お嬢……様……ぐ、無念の極み……」
張遼の旗を馬超の下に運び、西涼軍が先制したことを示した。
素早い動きは張遼の止血のため。先の戦での傷が癒えきらぬ状況で無茶をさせるわけにはいかなかったのだ。
「馬家の先鋒よ、見事だ。この勝負貴殿の勝利と認めよう」
「ひゅー。生き残ったぁー!」
以前の呂玲綺であれば怒りを露わにし、激昂していたはずである。
しかし今は一軍の将としての自制心を持ち、失ってはいけないことを即座に認識できるようになった。
馬岱の喜びは素直に受け入れよう。
呂玲綺は漣のように泡立つ心をいなし、努めて感情を見せぬように振舞っていた。
「文遠、止血を急げ。貴様にはまだ働いてもらわねばならぬ」
「お嬢様……呂家の黒旗に斯様な瑕を付けましたこと、死を以て謝罪せねば……」
「死なせるつもりはないぞ。貴様はまだ役目を果たしておらぬ」
「はは……」
そう。これは呂玲綺の恩返しの一つ。
「お前には、いずれ産まれるであろう我が子の傅役をしてもらわねばならんからな」
「……!! それは……大役でございますな……」
負傷した張遼を自陣に引かせ、手当てを配する。
袁煕の妻として、そして呂家の誇りを守るために、必ず勝利をもぎ取らなくてはならない。
「文遠を死なせるなよ。次戦は呂家の誇りにかけて勝利を奪ってみせよう。この呂玲綺自らの手で、必ず」
「お嬢様、ご武運を」
「うむ」
悲壮な覚悟を共にしている袁家の部隊とは異なり、西涼軍閥は沸き立っていた。
鬼神とも称される遼来来を撃破した。その大金星は大いに士気を高揚させるものである。
「若、龐令明出陣致す。果報をお待ちあれ」
「小娘とはいえ飛将軍の娘だ。ゆめ油断するなよ」
「委細承知。必ずや我が軍の威を轟かせて見せましょう」
「むぅ。ならば行ってこい!」
両手持ちの鉄鞭——否、鬼の金棒のような得物を引きずるように駆ける。
一段と筋肉の付きが良い馬は、重装甲且つ重武装の龐徳を乗せても尚機動性を損なっていない。
「待たせたな、呂家の姫よ。我が名は龐令明。貴殿にとっては不運であるが、大地の染みとしてこの河北に眠らせてやろう」
「なるほどな。弱いものほどよく吼える、父が常日頃口にしていた意味が漸く分かったな」
「安い挑発だな。しかしその舌禍は貴殿の寿命を確実に縮めるものと知れ」
一騎打ち三戦。
中堅を担うのは、乱世の寵児たる飛将軍の娘。
そして西涼の錦を支える人間無骨。
互いに一瞬も目をそらさずに死線の上で視線をぶつけあっていたのであった。
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