第百六十五話 決戦⑧ 濮陽陥落 そして本隊出撃
――曹操
時は少し遡る。
自らの恃みとする股肱の臣のもとを離れ、一武将に変装した理由があった。
古来より中華文明圏は武人よりも文治を尊ぶ傾向がある。
それが偏り、国家の崩壊につながる事例もままあるのだが、概ね彼らの行動様式や思想は固定されているのであった。
「文官上がりが乱世を切り拓けると思うてか。真に才能ある者は文武や貴賤問わずに己が役割を果たすものである」
長安、洛陽、許昌、そして濮陽。
要所たる都市がこぞって曹丕に靡いたのは、これまた曹操の才を愛する性格が故でもあるのだが。
長安太守・鍾繇。
洛陽太守・張既。
許昌太守・曹沖……補佐として第一次白馬にて敗走した王粲が就く。
こぞって文官畑の人間で固められていた。
曹丕の頭の中では、白馬での敗北も計算に入れているに違いない。
しかし巨大な関を複数擁する漢王朝の首都圏には近づけないと踏んでいる。
また、それぞれ重要拠点を任されていた夏侯徳・夏侯尚を出撃させたため、残存部隊は極めて微力なものであった。
そして今、濮陽を治める王祥の下でも瓦解の兆しが発生していた。
「孟徳様……この仲康めの不忠を咎めてくだされ。ご身辺を守る者としてあるまじき失態……一族郎党を処断されても恨みは致しませぬ」
「フ、相変わらず自戒の念が強いな。これから貴様の力が必要になるのだ、小さきことで悔やんでいては悪来に笑われるぞ」
「ぐ、ふぅぐっ……この許仲康、今度こそは孟徳様の盾としてこの身を捧げまする」
虎のように獰猛だが、普段は呆けていることが多い。
故に虎痴と人は呼ぶ。
そして荒ぶる魂は決して裏切りを許さなかった。
曹操から事の次第を聞いた許褚は、悔しさのあまり床板を拳で粉砕していたのである。
「おおおおお、おおおおおおっ!! なんという……なんという! 孟徳様のご子息であることを笠に着ての暴挙、断じて許さぬ!!」
「まずはこの濮陽を儂の手元に戻す。虎痴よ、その方の力を貸すがよい」
「ははっ!! どこまでもお供仕ります。この身、この魂は孟徳様の御為に!」
手勢は十名に満たない。
だが一騎当千の勇者である許褚が、内部で反旗を翻したとあらば抑えられる者が居ないのも事実である。
ましてや錦の御旗である曹孟徳その人が、自らの生存を示しているのだ。
更に、今降れば罪には問わぬとの寛大な言葉も添えていた。太守となって暦の浅い王祥の手に負える事態ではないこと、是明白なり。
「王祥、この儂に何か言うことはないか?」
許褚と趙雲。二人の龍虎に挟まれ、絶体絶命の危機に瀕している。
そんな心を溶かすように、先の『不罰』の御触れは強い毒となって脳に回るのであった。
「お許しください孟徳公。この王祥、まさかご存命であるとは露とも知らず……」
「ほう、物資の集積地総監である貴様が知らぬとな。まあ良い、肝心なことは一つよ」
「はは、子桓様の叛逆、しかと認識いたしました。できますればこの菲才の身も再び孟徳公の下でお使い頂ければと思いまする」
「よかろう。儂のため……いや、我が友と乱世の終焉のために働け」
許褚が暴れはしたものの、奇跡的に人命の損失は無かった。
後世では曹操の濮陽無血開城の一説として語り継がれていくことになるのだが。
――袁煕
結構な日数行軍してる。まあ大軍だから動きが鈍いのはしゃーないが。
意外、っていうのもアレだが、敵がぜんっぜんいねぇ。
これは何か一計案じているのだろうか。それともガチでこっちの作戦が効いちゃってるのかね。
「殿、早馬が三通来てますけど、どれから聞きますかね」
「その微妙な違いは何なんだ。そうだな、俺の精神安定のためにも飛び切り良い内容から頼むよ、奉孝殿」
「了解ッス。それじゃあ孟徳公からのやつッスね」
◇曹孟徳からの内容。
「趙雲殿からですね。急襲で濮陽を陥落させたらしーッス。うける」
「うけねえよ! え、何それ怖い。俺、そんな命令出したっけ」
「孟徳公の護衛に付けて、敵を寝返らせるって感じの話だったような。まあ実際のところ、黄河渡って濮陽まで行っちゃったっていう」
「おま、え、敵地も敵地、超重要拠点じゃんよ」
なんだよあの梟雄。神速だとか電撃戦だとかの概念越えてるぞ。
こんな報告聞いてたら間違いなくハゲるわ。
「ついでに太守は降伏。許褚仲康殿を味方に得たっつーことッス」
「はは、ははは……」
笑えよカクート。
マジで行動が逐一化け物過ぎて、驚くのも疲れたわ。
同じ人間の性能とは思えんほどの戦果に、俺は若干足がプルプルと震え始めた。
「ほいじゃあ次はそこそこいい報告を」
「お、おぅ……」
◇陸遜からの内容。
「りっくんからッスね。敵の輸送船団を火計にて殲滅。引き続き物資集積地を狙って夜襲をかけるそうですよ」
「えぇ……」
そりゃ白帝城で劉備も没するわ。
サラっと平気な顔で敵の補給線を完膚なきまでに粉砕しましたとか、頭壊れる。
「ん、待て。夜襲をかけるだと。その兵力は何処から出てきてるんだね」
「あれ、袁顕思様の軍団が空いてましたよね。アレって搦め手に使うのでは?」
「真顔で聞き返されてもな……あ、そう。ふーん。おねーちゃんが合流したのね」
おかしいでしょ、マジで。
いくら方向音痴だからつって、万単位の軍勢が敵地に潜む工作員と合流できるわけねえよ。
人工衛星でも自前で打ち上げて、グーグルアースでも使ってんのか?
「殿、別に全軍で向かったわけじゃねーッスよ。やだなぁ、そんなのすぐに看破されるじゃねーですか」
「だ、だよな。よかったー、マジに考えなくて」
「袁顕思様が少ない側近を連れて、ひっそりと向かったので大丈夫ッスよ」
「あああああああああああああ!!!」
行くな! 袁家の長女が寡兵で突っ込むな!
そういうところだぞ、袁家がやべーのは。
でもあっさり合流してるし、何なら戦果をこれから目指すって言ってるし。
俺の知らないところで、俺の知らない結果が伴ってきてやがる。
「んじゃ、最後のヤツっすね」
「……穏便に頼むぞ」
◇夏侯惇からの内容。
「南阪周辺の安全は確保し、周辺から曹子桓の軍勢を駆逐したと」
「……だけか? それだけか?」
「あー、敵将の調略も並行して進めた結果、何名かは麾下に参じてくれたらしーッスよ。結構普通ッスね」
「……そうだね」
いやいやいや。
あのさ、敵の伏兵を正面からブチのめして、敵将を撃破。ついでに引き抜き工作と地域安定をやってのけるとか、あり得ねえから。
史実だとこんな妖怪軍団と戦争してたんだぜ、袁家。
そりゃ手足もがれたカカシみたいに、ズタボロにされるだろうよ。
「あとはそうッスね。白馬への道は開けたとありますね」
「ん、そうか。そうだな、ここまでお膳立てされたら一発カチコミせんとな」
「お、やる気ッスね。そろそろ呂家の面々を抑えるのがキチぃことになってたんスよ。行っちゃいますか?」
仲間たちの挺身に感謝を。
そして乱世の終焉を目指して、渾身の一撃を加える時が来たのだ。
「全軍、大休止と炊事を。その後この戦の決戦を行う」
「御意。やってやりましょう」
「ああ、もう逃がさねえぞ」
炊煙がくゆり、やがて白く消え行く。
鋭気を養うと偏に言っても、こうして同じ釜の飯を食って、互いに励まし合うのも悪くないだろう。
兵士たちと肩を組んで歌い、檄を飛ばし、時には慰める。
俺にはこの程度しかできないが、少しでも皆のためになってくれればと願うよ。
「それじゃあ、始めよう。袁家の勇猛なる英雄たちよ! 敵は実父を殺害せんと企て、更には河北の安寧を再び脅かさんと欲している。教えてくれ。この愚か者の名を!!」
「曹子桓成!」
「では我らは如何するべきか。このまま民草の暮らしを荒らさせるのか。略奪と暴力にまみれた大地にするのか!?」
「否! 断じて否!」
「では諸君! これより我が身は戦を宣す。剣となるは何か!?」
「我ら袁家のつわもの成!」
「地に安息を満たすためには、我らの血が流れても下がるべからず。親を、子を、妻を、祖霊を、郷土を、友を想え。この地は我らが護る!」
「我ら護民の盾成! 我ら河北の石垣成!」
「全軍、前進! 白馬にて敵の首魁たる曹子桓を討つ!!」
「応ッ!!」
決して俺一人ではたどり着けなかった状況だ。
これはチートでもスキルでもない。
人と人がつないでくれた、確かな和による力なのだろう。
この地に生きる全ての人々が、俺のパワーアップセットだ!
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