第百六十四話 決戦⑦ 燃やしちゃおうぜ!
――袁煕
敵軍の要所を奪取し、我が軍優勢との報が入った。
火計を仕掛けてきた敵に対して火計返しをするという、三国一のチート君主。
曹操に十分な兵を与えたら、一体どんなことをおっぱじめることやら。
「殿、準備が整いましたぞ」
「ご苦労様です、許先生。それでは俺たちも始めようか」
「御意にございます。河北の威容をしかと見せつけましょうぞ」
鄴都から出て既に十日経過した。
曹操がドンパチやってる間、俺たちだって沈黙してたわけではない。
「濮陽より白馬に逐次援軍が来ているみてーッス。このまま肥大されるとちと骨が折れますかねー」
「そうだな。最終的な勝利を得るには糧道を断つしかないね」
「ま、当然敵サンも警戒してるでしょう」
そらそうよ。
こっちは曹丕が曹操を討ち取って乱痴気騒ぎをしてたり、魏公就任の宴をしてると思い込んで――いる振りをしていた。
まあ鄴への攻撃部隊が編制されていたのもあるが、迂闊に手を出さない方向で袁家は一致してたんだ。
「しかし……えげつないな」
「ま、戦ッスから。こんな策を喰らったら、某でもお手上げッスね。文和センセが味方でよかったー」
今から行うのは堂々たる進軍である。
袁家総大将の旗を立て、左右両翼に名将猛将を配しての行軍だ。
馬鹿正直に真正面から攻めていくぞっていう姿勢が重要なんすわ。
「敵軍は夏侯徳・夏侯尚が先陣との報が来てるッス。まあ、中堅どころの両将を出してきましたね」
「こちらの先手は?」
「魏文長殿の歩兵部隊が先駆けになるでしょうねー。両翼には顔良・文醜の騎兵部隊が配されてますので、将の質・兵数・士気、全てにおいて圧している状況ッス」
「そうか……ならば凡戦でも押し切れるかな」
耳をピクピクさせてる突撃脳のれーちゃんを筆頭に、張遼・張飛などの武闘派が舌なめずり。君たち本当に人相悪いよね。
肩パットとバギーがあれば、きっと水を得た魚のようになるに違いない。
「諸将らの意気は理解するが、もう少し待ってくれ。最後の一押しには時間を要するんだ」
「な、わ、私は何も言ってないぞ!? なあ文遠」
「姫様の期待に応えるよう、全力を尽くすの武士の努め。顕奕殿もゆめ怠る莫れ」「は、はい……」
責任のドッヂボールもいかがなものかと思うがね。
まあ、最後の仕上げのためには俺が泥をかぶるのが一番いいんだろう。
「では全軍、陣形を維持しつつ前進だ。敵の斥候や工作部隊を注意しつつ、予定した戦場へ向かう」
「はっ!」
予定していた戦場。
それは孤立無援の白馬の地である。
孤立無援ってところがミソだね。全てはこの状況を作るためにあるのだから。
「【黒竜】と陸兄弟はどうしている?」
「予定通りならば、そろそろ曹軍特殊部隊との合流地点に到着することでしょう」
「策が成り次第全力で、だな」
「御意にございます」
まずは中原からじゃんじゃか湧いてくる兵士の群れを止めようか。
放っておくとワッシワッシと徴兵してくるから厄介だよなぁ。
そんなことやってるからこの時代の人口が壊滅的に減ったんだぞと。
晴天に靡く袁家の旗の下、俺は直剣を振り下ろして出撃の大命令を起こした。
――趙雲
袁煕の命令により、敵陣の奥深く。そのさらに先へと彼らは至っていた。
黒い仮面もつけるのは二度目。此度は暗殺ではなく敵軍に楔を打ち込む重大な役目を果たす意味を持っている。
「……伯言殿、お味方は?」
「はい、合流する頃合いなのですが……あ、人影がこちらに」
「敵味方の識別をするまで伏せていてくれ」
火打石が三度打たれ、闇夜に火花が散る。
「合図です。曹軍へと派遣していた呂威璜殿と史渙殿でしょう」
「……では往くぞ。伯言殿、その才を存分に発揮なされよ」
「お任せあれ。我ら兄弟の手管、とくと御覧じよ」
曹子桓の陣営にて俄かに囁かれる噂が上がった。
曰く、波が荒く深い黄河を渡る際に、船の転覆による損失が重大であると。
従軍軍師の程昱は地元の漁師が船を縄や鎖で繋いでいることを知り、渡河する船団を結びつけることでその対応策としたのだった。
賈詡文和、そして郭嘉奉孝、陸遜伯言、徐庶元直。
四者による欺瞞情報の流布と現地の仕込み。そして状況の把握は驚くほど簡単に浸透させることが出来た。
後世、黄河連環の計と呼ばれる大仕掛けは、大河を彩る炎の赤により画竜点睛となった。
「敵の援軍と退路を断つ。同時に物資と兵員の中継地点である濮陽を陥落を企図、か。盤上では八割成功を見込んでおりますが……」
「現地で動く将の能力次第ということだ。伯言殿は火計の指揮を執ってほしい。私は史渙殿と共にそのまま南下して濮陽へ潜入する」
「ご武運を! 濮陽にはあの猛将・許仲康が防衛しているそうです。お気をつけて」
槍を一回しし、趙雲は小舟に乗って黄河の闇に溶け入る。
史渙……と呼ばれた影の男は、趙雲と同じく黒い仮面を被っていた。
若さに似合わない重厚な声は、同船する少数の兵士の心を鼓舞するに十分だった。
「兄上、あの史渙という将ですが、妙に年齢を感じさせませんでしたか?」
「……もとより史渙殿は正体不明で通っている。案外お年を召されているのかもしれない」
陸兄弟もいつまでも同じ場所に留まることはできない。
黄色き河を赤色に染め上げるという重大な役割が彼らを待っているのだから。
◇
喫水線の深い船が、鎖で繋がれた船団へと近づいていく。
轟音と共に闇夜が昼間のように瞬いた。
「火だ! どこぞで出火したのか!?」
「鎖を早く切り離せ。このままでは逃げるに逃げられん!」
「船団が……ああ……沈んでいく……」
炎は黄河を舐めるように沿い、生きる者の心臓を鷲掴み、波底へと引きずり込んでいく。
顔をあげれば焙られ、顔を下げれば水の中。
曹子桓が誇る補給路は完全に寸断され、大量の物資と共に兵士の命を渡し賃として露と消えていった。
「火攻船、第二弾出ます!」
「仕上げですね。突撃させてください!」
白馬の港を絶望に染め上げる悪魔の赤は、更にその深さと明度を上げていく。
陸兄弟と郭嘉によって練り上げられた火計特化の兵は、喜色満面をたたえて船へと体当たりを敢行していく。
火をつけて半人前。無事に泳いで帰って一人前。
何度も出来れば熟練の職人だ。
火計の何たるかを叩きこまれた彼らは、陸遜の熱意と美貌に酔いしれる奇人集団へと変化していたのである。
「あったま鉄火鉄ー火! 付けてピッカピーカ!」
「そーれがどうしーた!」
「僕、小火えーもーん!」
夜中に響き渡る生贄の賛歌が、曹子桓の兵士を混乱へと誘う。
陸遜の火計は執拗に行われ、稀代の放火魔の座を不動にしたという。
空が白み始めたころ。
黄河には夥しい船の残骸と、人の残滓が流れ着いていた。
斯くして白馬の地は河北の中に取り残され、援軍・糧秣共に絶望的な状況へと追い込まれていくのである。
「火は……いいですな、兄上」
「ええ、最高ですね」
眉目秀麗な兄弟は、黄河のほとりにて妖艶に佇むのであった。
――濮陽 許褚
曹操を守り切れなかった。
自責の念に苛まれる許褚は、その後継ぎたる曹子桓に仕えようとしていた。
しかし肝心な時に盾にならぬ者は不要であると断じられ、側に侍ることを許されなかったのである。
「典韋……すまねぇ。孟徳様を守ると誓ったのに」
慣れぬ援軍や物資の手配の合間に、いつもため息がこぼれる。
武芸においては曹軍第一と誇ったのも過去になり、今では無能の烙印を押されていたも同義であった。
許褚は武芸達者ではあるが、将として守備に就くことは不得手である。
そんな彼を重要拠点に配したのは、偏に「鶏肋」でもあったのだ。
「俺は……誰かを守ることでしか生きられねえ。孟徳様に何と申し開きをすればよいのか……」
側に置くには危険すぎる。そして居なければ士気の高揚につながらない。
故に中間地点の濮陽を任されていたのである。
「いっそ一思いに……いや、命を粗末にしちゃいけねえって典韋が言ってたからなぁ……はぁ……俺はどうすれば……」
彼に近づく複数の気配は、許褚の知るところではあった。
恐らくは刺客だろう。しかしこのまま討たれてもいい。
自棄と自責が歴戦の猛将を苦しめていたからだ。それが終わるのであれば、それでも構わないと思うほどに。
「許仲康将軍とお見受けする。相違無いか」
「……その通りだよ。で、そういうお前は袁家の誰なんだ? まあいいさ、首を持っていって手柄にすればいい」
「……貴殿ほどの男が斯様な苦しみを抱かれているとは。私は趙子龍、貴殿をお迎えに参った」
「……迎え、だと?」
異なことを、と許褚は生気の無い濁った瞳で敵将を見やる。
そんな面倒臭いこと、誰がするものか。ましてや袁家に降るなど不忠にもほどがある。
「問答するのも手間だ。とっとと首だけ持って行け。俺の役目は……もう終わったんだからな」
「……そうであっては困るのですが。いかがいたしますかな、史渙殿――いえ」
「なんだその腑抜けた顔は。儂の命を終生守り抜くのではなかったのか?」
「!! そ、そ、そ、その……お声、は……まさか……!?」
「儂の虎痴よ、矛を執らぬか! まだ貴様の役目は終わっておらぬ」
声にならない声。
寧ろ悲鳴に近かったのかもしれない。
許褚は目の前で仮面を外した男を見て、男泣きに泣いた。
胸には確かに、新たなる炎を巻き起こして。
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