第百四十四話 死守③ 歴史は収束し、分散する
――趙雲
子龍の龍槍が徐晃の斧を弾き、張遼の鉤付大刀が鎧を切り裂いた。
老黄忠は年齢を感じさせぬ身軽さで後方に宙返りし、死地を脱する。
「無粋な真似だが、戦場故ご容赦願おう。私は常山の趙子龍。奮迅せしお味方を救うために割って入らせてもらった」
「死ね」
慣れぬ長口上の隙を突き、徐晃は再度大斧を叩きつける。
しかし戦意と闘志を前面に集中させていた趙雲。その一撃を難なく躱す。
——。
しばしの無言の対峙ののち、両者は雨あられのように長物での打ち合いを始めた。
少しでも掠れば即、あの世へと魂魄を持って行かれるような猛攻である。
知勇兼備、武と守の高みを兼ね備える名将・徐晃。
迎え撃つ第二将は趙雲子龍。鉄壁の守りと一身是全て肝の武勇を誇っている。
「砕け散れッ!!」
「……甘い」
徐晃の大斧は威力こそ最上級の得物であるのだが、長期戦になれば使い手の体力を削っていく諸刃の武器でもあった。
対して趙雲の槍はしなやかで軽く、それでいて頑丈なものだ。
お互いに丁々発止と打ち合うが、残存体力に差が出はじめていた。
「……動きが荒いぞ」
「ほざけ、この……狼藉者が」
神速の刺突。
続いて大小変化をつけての薙ぎ払い。
趙雲の技量は馬上でも些かの揺るぎはない。
受け手の徐晃の額に大粒の汗がにじんできている。さしもの名将も後詰に斯様な勇者が現れようとは予想だにしていなかった。
どこぞの木端武将であれば、一撃のもとに粉砕する自信はあったが、いかんせん相手が悪い。
そして何より、幸運にも趙雲を倒しても続きがあるのだから。
「ご老人、お怪我はないか?」
「ほっ。心配されんでも問題ないわい! この黄漢升、手足が無事であればどこまででも戦う所存じゃい!」
「なんとも矍鑠とされたご老人だ。では張文遠、先達に恥じぬようにこの戦を畳んでご覧にいれましょうぞ」
鉤大刀を手に、張遼は徐晃へと駆ける。
一騎打ちは武人の誉れ。それを邪魔するなどあってはならないことだ。だが、この場おいては卑怯の二文字は存在しない。
一秒でも早く敵を駆逐し、鄴を死守することこそが肝要である。
張遼は己の矜持よりも、勢力としての勝利を取った。
「敵将、覚悟ッ!」
「クソ共が……雁首揃えて、そこまでして狩られたいか!」
「……この形勢でまだ吠えるか」
二将対一将。
長物が交互に入り乱れ、乱撃は互いの体を傷つけ蝕んでいく。
「獲った!」
張遼が大刀を振り上げ、首を落としにかかる。
その刹那、徐晃が渾身の力を込めて斧を投げつけた。
「ぐぶっ!? き、貴様……うぐっ」
「そのまま頭を踏みつぶしてやろう。そこで這いつくばっていろ」
落馬した張遼は息こそあるのだが、重い斧を真正面から受けてしまい動けずにいる。しかし肝心の武器を手放した徐晃を見逃すはずもなかった。
「……参る」
「来い、クソムシ」
趙雲の槍が摩擦で烈火を巻き起こしそうな勢いで迫る。
その穂先を躱し、徐晃は槍を掴む。そしてそのまま趙雲を揺さぶると、馬から引きずり倒してしまった。
「くたばれっ」
「くっ!?」
徐晃公明。
彼の特技は硬軟両面の攻めでも守りでもない。
一騎打ちにおける武器での戦いでもない。
彼は拳闘の技を真の隠し玉として持っていたのだった。
「オラァッ! どうしたどうした!?」
「ごはっ、き、貴公……これが目的で……」
剣を抜いた趙雲を連撃で殴り飛ばし、フラつく体に全体重を乗せてドロップキックを放つ。起き上がるや否や、そのまま首を絞めて落としにかかった。
「次に息を吸うときが、テメェの最期だ。このまま死ね」
「……ぬおおおっ!!」
必死に手を挟み込もうとしたり、肘で徐晃を打つが全く効果が無い。
そのまま喉輪を締め付け、擦れるようなあえぎ声すら封殺する太い腕。趙雲の命脈が立ち消えようとする瞬間の一拍のこと。
「おい、そこでくんずほぐれつ男同士で乳繰り合ってる馬鹿ども!」
「ああん?」
弓を構えた死が、徐晃の目の前にあった。
咄嗟に趙雲を放して盾にするが、時既に遅し。
四度目の正直。黄忠の矢は徐晃の眉間を打ち抜いていた。
「が……こ、の……じじ、い……」
黄忠が手を上に挙げると、待機していた鄴兵たちが馬で趙雲と張遼の二将を拾い、疾風のように去っていく。
「お主は自分の才をはき違えたの。儂には味方が多く、急ごしらえの兵でもよぅついてきてくれるわ」
「てめ……え……」
「しかしな。お主の部下はどうじゃ? 誰がお主を助けに来てくれるのじゃろうな。そんなようでは将として失格よ。ならばそこで一人寂しく朽ちていけ」
黄老! と大声と共に旗が振られる。
最後の攻撃の準備が整った合図であった。
「さらばじゃ、若造。もう会うこともなかろう」
残るは彫像のように動きを止めた徐晃の姿のみ。
衝弩、そして長弓で防衛している城壁より一斉射撃が始まる。
稀代の名将は、降り注ぐ矢雨の中に露として消えた。
――曹丕
前線からの報告を受け、曹丕は大げさに溜息をついた。
「使えぬ馬鹿ばかりよ。この曹子桓に失敗などという言葉を聞かせるとはな」
「徐公明は潰走ですかな?」
「フ……くたばったそうだ。針鼠のようになってな」
「……惜しい男でしたな」
まるで情の籠っていないやりとりに、取り巻きの臣下たちは底冷えのするような恐ろしさを感じる。
名将の死に眉一つ動かさない曹丕と程昱。彼らには果たして人の血が通っているのかと疑問を覚えるほどであった。
「で、次はどうする?」
「は。予定通り鄴に敵を集めることができました。よって本命である【平原城】に転進するべきかと」
「それはそれは。目下親父殿は付近の鳥巣で敗北したのだったな。救援するのか」
「不要かと」
曹丕は諸葛亮の案を勝手に修正し、鄴攻めの中止を織り込んでいた。
本来であれば北方より龐統が。
東方より徐庶が。そして南方より諸葛亮が曹操軍を滅するべく動く予定であった。
図らずも曹丕は急激な右旋回を企み、彼らの策を無意識に外させる結果となったのである。
「さて程軍師。狙いは城か、それとも人か」
「左様でございますな。某も大分仕えて長いのですが、そろそろ鞍替えするべきでしょう」
「良禽は木を択んでとまり、賢臣は主を選んで仕う、か」
「古き枝はそろそろ立ち枯れする頃合いでしょうなぁ。であるのならば、こちらから折りに行くのが手向けとなりましょう」
濮陽―—陳留——洛陽の勢力圏は依然として堅持してある。
必要なのは首のすげ替えと曹丕派の人間は回答を出した。
「夏侯兄弟は抵抗するであろう。どう始末をつける?」
「個の武勇は数の暴力に屈します。古来より多勢に無勢が覆った事例は少ないですからな」
「そうだな。では全軍鄴方面を放棄。鳥巣方面にいる親父殿の《《救援》》に向かう」
「ははっ」
やがて潮が引くように【曹】の旗は鄴より消え、束の間の休息が将兵たちに訪れようとしていた。
しかしそれは、曹家を揺るがす大きな波の前兆でもあったのである。
――賈逵
「守り切った……のか」
へなへなと城壁で崩れ落ちる。腕は壁を掴んで必死にとどめようとするが、力が抜けきった重みを支え切れなかった。
「審栄様……やりましたね! 俺たちの勝ちだ!」
「うおおおっ! 曹軍め、ざまぁみやがれ!」
歓喜の声はまさに轟雷のよう。
臣民も家の外に出ては躍って喜びを分かち合っている。
「そうか……民草を守れたのか、私は」
「すべては将軍閣下の陣頭指揮の賜物でございます」
「馬鹿を言うな。決死の覚悟で戦い、一丸となって支えてくれた皆のお陰だ」
さしもの賈逵も破顔し、部下と抱き合って生存をたたえあう。
もしあのとき、老将軍が駆けつけてくれなければ。
もしあのとき、二人の驍将が間に入ってくれなければ。
もし、袁煕が凡愚な跡取りであったのなら。
鄴はとっくの昔に陥落せしむるものであっただろう。
「さて、将軍閣下にご報告がございます」
「どうした、申してみよ」
「総大将の審栄様が《《討ち死に》》した由にございます。故に我ら全軍、賈逵将軍の指揮下に入ります」
「……そうか。仕方がないことだ。私の口から袁顕奕様と顕甫様にご説明申し上げる」
鄴防衛、完了。
防衛軍大将・審栄《《戦死》》。
臨時大将・賈逵は軍をまとめ、負傷兵の救護に全力を尽くすことになる。
――袁煕
「あいわかった。呂姫よ、よく知らせてくれた」
「全軍の先鋒たるわたくしめが転進せざるを得ない結果、主様に面目立ちませぬ」
「情報は命だ。助かる。それで、だ――」
同時に居並ぶは郭図。
張飛、太史慈、司馬孚。
そこまではいいんだわ。まあ、郭図のニヤケ面を見るのも職務の一環とでもしておこう。そうじゃないと俺のストレス値がガイガーカウンター振り切るしな。
「よく生きてここに来れたな、龐統士元」
多分、今俺は過去最高にキレている。
マジでこの腐れ外道、どうしてくれようか。
呂玲綺……れーちゃんとか、張飛君はもう殺す気満々のオーラを出してるしな。
さあ、世界一怖い圧迫面接のスタートだ、コラ!
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