第百四十一話 パリピ公明
――曹丕
「鄴……か」
曹丕は濮陽より北上し、そのまま河北に上陸。再び軍団を展開させた。
諸葛という青瓢箪の言によれば、三か所同時攻撃が進行しているらしい。
「フ……それにつけても父の不甲斐なさよ」
曹丕のもとに入った報によれば、曹操率いる鳥巣襲撃部隊は撃退されたとのことである。猛将である夏侯の者を連れての敗北だ、言い訳ができようはずもない。
「若様、楽しそうですな」
「程仲徳か。なに、単に嘆いていただけよ。人は年をとるとこれほどに惰弱になるのかとな」
「孟徳公はご無事であらせられますかな」
「無用な心配だ。父がどうなろうと、この曹子桓が中華を征する。毛ほどの狂いもない」
知らぬ者が聞けば傲岸不遜に過ぎる発言だろう。
しかし曹丕は父譲りの多彩な能力に、持ち前の冷徹さを兼ね備えている。
隠しもしない野望に惹かれる臣下の数は多い。
「鄴攻めの手はずはどうなっている?」
「黎陽県に蔓延っていた袁家の部隊を殲滅いたしました。目下のところ拠点を再建築している最中です」
「よかろう。ならば本営をそちらに移す。徐晃に攻撃開始の命を届けよ。これより先は速度が重要だ」
「かしこまりました」
曹丕の頭には拠点の有無はさして興味なかった。
兵士には休息や炊事、睡眠が必要である。しかし、斯様な些事は戦では『甘え』と考えている節があった。
本国である洛陽――陳留と兵站線が繋がっていればそれでよい、と。
「俺は父とは違う。行動は全て成功するのが定めだ。もとより天運が違う」
直垂を整え、曹丕は静かに陣幕から外へ出た。
弓弦の月は冴えわたり、青白い光を周囲に彩っている。
曹丕はそっと月に手を伸ばし、そのまま握った。
「天を掴むのは俺だ。誰にも邪魔はさせぬ」
自らの野望の為であるならば、誰がどうなろうと興味はない。
曹丕は無表情に夜空を見続けていた。
――徐晃
黎陽県を陥落させた徐晃は、鋭意防備に時間を費やしていた。
日々固まる拠点。続々と届く物資。増員される兵。
戦の勘でなくとも、この場所こそが自軍の要であると信ずるに足る。
「徐将軍、若様より進軍を開始せよとの命が届いております」
「Hoooooo! 若様やる気アゲアゲって感じだねぇー! なら俺っちたちも超張り切っちゃうYO!」
「……攻城兵器も整い、兵糧も十分。しかし二万の兵で鄴を陥落せしむるのは、些か心もとないと存じますが」
「路昭君、頭硬い硬い。戦争ってのは戦う前からもう結果決まってんのサ」
はぁ、と首を傾げるのは副官の路昭だ。
生真面目で一徹な性格の彼は、どうも上官である徐晃の心情がつかめていない。
「いいかーい? 上の方で戦争するための仕込みってのは終わってるんだYO。戦場での勝った負けたってのはただの集大成だよん。そりゃ兵家の常で浮き沈みはあるけど、そういうのは一定の方向に集約されていくのDA! YO!」
「つまり、戦う前から結果は決まっている……と」
「そそ。俺っちたちはドーンとぶつかりゃいいんだ。路昭君も手柄首あげれば、将軍へ近づいちゃうかもYO?」
「心しておきます」
ノリ悪いねぇー、との声を無視し、路昭は天幕を辞した。
今まで出会ったことの無い次元の変人だが、なぜか戦闘は非常に巧みである。
「せめて真面目に軍務に就いていただければ……いや、あれで本気なのかもしれない、か」
ため息交じりに小声で非難するも、ある種の諦めが支配していた。
天幕の中からは不協和音に近い弦楽器の音が聞こえてくる。
また意味不明な曲を思いついたのであろう。
「飯でも……食うか」
路昭は徐晃と話すたびに、己が老け込んでいくのを感じていたのであった。
◇
曹丕の先鋒隊である徐晃率いる二万の軍勢が、満を持して出撃した。
目指すは鄴の堅牢な南門。しかし勝算は大いにあり。
「敵の守将は……えーと、誰だったっけか。審栄とかいうヤツだったNE! 有象無象に興味はないから、サクっと落としちゃおうNE! NE NE NE~♪」
得物である大きな戦斧を振り回し、徐晃は馬を走らせる。
その様子は微塵も勝利を疑ってはいないようだ。
「やっぱり迎撃部隊は出てこないかー。んんー残念。ド頭カチ割ってあげたのにね」
「今のうちに攻城兵器を展開させるべきかと。新兵器である『霹靂車』の射程内まで前進しましょう」
「路昭ッチわかってるぅー! あーしゃしゃしゃ、それじゃグイっと前に行ってみようか!」
「……頭が痛い」
現在の盤面は以下の通りである。
鄴北部に対して袁尚・逢紀・審配の軍が出撃中。張燕の残党及び戎狄兵を防いでいた。なお審配は兵力を抽出すべく、南皮に向かっている。
呂姫の部隊は後退。入れ替わりで趙雲・張遼の援軍が鄴の至近距離にある。
袁煕本隊は現在邯鄲の復興に兵を割かれている。しかし後詰めとして馬延が出撃していた。
そして郭図は張飛・司馬孚・太史慈を従えて邯鄲にじき到着する予定である。
嵐が巻き起こるのは、必然の定めであった。
一方袁紹が信を置く重臣の一人である審配、その息子である審栄は城内で右往左往していた。
袁尚より鄴を任され、大任に打ち震えていたのもつかの間。思わぬ電撃的侵攻のためにパニックを起こしていたのである。
「ぐ……まさかこんな目に遭うとは。とんだ貧乏くじを引かされたものだぞ……おのれぃ」
「落ち着いてくだされ、このままでは兵が動揺してしまいます」
「だまらっしゃい! 五千の兵で数万の軍勢を防げるものか! あああ、なんて俺はこんなに運が悪いんだ。父上、栄めをお助け下さい……」
晴天の霹靂。
格言はここに成立した。
「な、なんじゃっ!?」
「審将軍、お逃げくださ――」
城郭が崩落するのに巻き込まれて、審栄を突き飛ばした兵士は消えさってしまった。後には尻餅をついて失禁する男が残るのみ。
「て、天の怒りじゃ……ああ、祖霊よ神仙よ、おたしゅけください……」
「将軍、指揮を、指揮を執ってください! このままでは」
「だめじゃ、もうだめじゃ……。天の怒りの前では、人なぞ無力。これはそう、天意じゃ!」
城門付近より鉄の軋む大きな音が聞こえてくる。
衝車が門に辿り着き、鄴の大門を破砕せんと何度も杭を打ち付けていた。
「……降伏じゃ。このままでは門が破られ、皆殺しになってしまう。命あっての物種じゃ」
「それだけはなりません! ここは御館様の本拠にして、袁家の心臓部。門を開けば後世まで大罪人であると評されましょう!」
「お、俺は死にたくないんだ! 俺は俺の命を優先させて何が悪い! そうじゃ、降伏せんのであれば、俺は逃げるぞ!」
「御父上の審正南様が、今必死に兵を集めておられるのですぞ!? お戻りになられた際、何を以て正と成すおつもりか!」
一切耳を貸さず、審栄は鎧を脱ぎ捨て、便衣に着替えてしまった。
一般市民に紛れて鄴より脱出する算段である。
「将軍、ご再考を……このままでは鄴の民も殺されましょう。斯様な事態になれば、何処に逃げられても命を狙われますぞ」
「だ、だまれ! そうだ、そこのお前。お前が俺の鎧を着て指揮を執れ。よいな、命令だぞ!」
何を言っても無駄だと、側近の兵士は無言で審栄の軍衣をまとった。
他の雑兵たちの命を救うため、最後まで任を全うするとの心を保って。
だが、ふと気づく。
今は自分が審栄である。そう本人が言っていたからだ。
そして指揮権も移譲されている。これも当人が言っていた。
「そこの兵士たちよ。私は今誰になっている?」
「審栄……将軍の身代わりですが」
「では私の命令に従うな?」
「はい……そのように仰せでしたので」
にっこりと笑い、身代りとなった男は堂々と命じた。
「そこの便衣兵を捕縛せよ。今は私が審栄である。袁顕甫様不在の今、指揮権を行使して裏切者を獄に送るのが務めだ。異論はあるか?」
「……ございません。貴方様が審栄様です。この場に居る全員がそう認識しております」
「ひ、ひぃっ! や、やめろ……俺を誰だと思っている! 審配は俺の父親だぞ!」
「栄えある袁家の面汚し、で合ってますかね? この痴れ者を連れていけ!」
「はっ!」
縄でうたれ、旧審栄は地下の牢へと連行されていった。
おそらく次に陽を浴びるときは、首を斬られる時であろう。
「やってしまった……しかしもう引き返せないな」
今の審栄。
元の名を、賈逵、字を梁道としていた。
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