第百四十話 呂玲綺、爆走蛇亜
――呂玲綺
当たるを幸いに斬り伏せる、とは彼女と麾下の軍団にこそ相応しい。
袁煕によるアイテム補正により、呂玲綺の騎兵は三国時代にあるまじき重武装を施したものになっていた。
地球においてはドイツ騎士団・ポーランドフサリア・ビザンツカタフラクトなどがある。
射かけられる矢を手甲で弾き、時代にそぐわない馬上槍を突き立てる。
その様、まさに鬼神の娘なり。
「蹂躙せよ。我が君の宸襟を騒がせた罪を教えてやれ」
「ははーっ! 第二槍騎兵、突撃ィ!」
響く重低音の馬蹄が、倒れた兵士を容赦なく踏み潰していく。
通り去ったあとに生命の残滓はなく、只管に屍を産み出していった。
「姫、降伏を申し出ている賊徒どもがおりますが――」
「斬れ。飛将の娘が敵に無用な情けをかけたとあれば、我が君と父の名折れとなる。一切合切斬り捨てろ」
「ハハァッ!!」
一見すると情け容赦のない沙汰であるが、街一つ蹂躙されていることを勘案すれば極めて妥当な措置である。
袁煕であれば躊躇う場面であるが、幼きころより呂布に付き従った呂玲綺の判断は早いのであった。
「クソ、お前ら、張燕様の部下であることを忘れるな! 意地でも鄴を落とすんだ!」
「けどよう、張燕様の姿見てなくないか?」
「あの龐統とかいう野郎もいねぇぞ。討たれたのか」
指揮系統不在のため、賊徒は散会し潰走する。その後背を呂玲綺の重騎兵は微塵の慈悲もなく串刺しにしていくのだった。
意外にも奮戦していたのは戎狄の兵士たちだった。
彼らの戦は勝利か死か、だ。
負ければ女・家畜・財・命。その全てを奪われる戦いをしてきた故。
「シゲンをニガす時間をカセぐぞ」
「獏族、カカレ!」
反転迎撃が始まる。
戎狄は龐統の策により互いに和解し、食料や物資を融通し合う関係になった。
無駄に争うこともなく、戎狄は平和な時間を享受していたのである。
そのため龐統に対しては各部族ともに、多大なる感謝の念を持っているのである。
「于族、壊滅! 左翼の鎮族も姿がミエナイ!」
「ヒルムナ! 我らのシはムダではナイゾ!」
あまり質の良くない曲刀を手に、猿の如く飛び掛かってくる。
剣を失えば手足で。手足を失えば口で噛みつく。
死兵となった相手には如何なる軍隊も怯むだろう。
だが呂玲綺は別格だった。
「全軍、枷を外せ。貴様らを縛る全てを解き放つことを許可する」
「きたぁぁあああっ!」
「待ってました!」
「流石姫、我らの指揮はお手のものですな!」
ごと、ごと。
辺りに重たいものが落ちる。
「ふぅぅぅぅぅぅ――」
口から湯気でも漏れそうなほどの熱気だった。
コキコキと首を鳴らし、軽く肩を回す騎兵たち。
彼らは唯一つの感情を胸に抱く。それは『自由』だ。
「呂家の娘が命ずる。全騎兵隊、攻撃準備」
もはや言葉はない。
文醜の軍団が『狂奔』であるならば、呂玲綺の軍団は『憤怒』である。
己が主君を失い、居城を失い、誇りを失った。
漲る力を戒めるため、自分たちの体すら枷を課した。
なぜ、我らは斯様な天運の下にあるのか。
兵士たちは何度も自らの魂に問い、神仙に祈った。
「答えはわからぬ。だが、私は我が君と出会った。それが全てだろう」
この道、この戦が何に通じているのかは不明のままだ。
しかし目の前に敵がいて、後ろには嬲られた民がいる。
袁煕の怒りと嘆きは、呂玲綺の心に深く刻まれた。
「――狩れ。クソ虫どもを一匹たりとも逃がすな」
穂先を揃えた鉄の重騎兵が、その先に奇妙な果実をぶら下げていく。
「第一部隊、吶喊! 姫様に武勇を献じるのだ!」
「第二部隊、猛撃! 亡き奉先様のために死ね! 誉れぞ!」
「第三部隊、雷撃! 民の無念を思い知れ!」
敵兵が文字通り空中を泳ぐ。
突撃で跳ね飛ばされ、肉塊となって飛散する者も多数。
地獄を絵面で表すのなら、今がそのものであろう。
全ての枷を外した呂玲綺の兵は、剛腕で敵を叩き潰す。
速度においても正に是、迅雷の如し。
鋒矢陣に構えた呂玲綺の軍は戎狄に知らしめるだろう。
この世には自分たちの知らぬ力と理があるということを。
そして、蛮勇だけでは決して届かない高みがあるということも。
尋常ではない速度で数を減らしていく張燕軍は、気づけば残り三十名ほどになっていた。
鄴付近で袁尚を攻めていた部隊も同時刻に退却を開始している。
「姫様、生き残りが対話を望んでおりますが」
「対話、だと? あれだけ舐めた真似をしておいて、対話だと?」
「はい、ですが……重大な情報を提供する用意があると」
「……無様な命乞いではない、か。よし、聞こう」
呂玲綺は馬上から生き残った屈強な男に問う。
「話があると申したな。述べよ、許す」
「ハ……デハ……」
男が話した内容に、流石の呂玲綺も目を白黒させることになる。
張燕は既に死んでおり、龐統士元が全ての差配を行っていたこと。
その龐統はとっくに逃げおおせていること。
邯鄲から鄴を寒からしめること『それこそ』が目的であったこと。
「全テハ……曹操を釣る……タメニ」
「そのために袁家を、河北を、邯鄲を犠牲にしたと申すのか!」
「シゲン様は……大事の前の小事、と」
得た情報の巨大さに、眩暈すら覚えるほどであった。
同時に何においても袁煕に知らせなくてはならないと、呂玲綺の中で最大級の警戒心がさざめき立っていた。
「こ奴らを捕縛せよ。我が君の前に引き立て、首実検をする」
「三十名は多くないですかね?」
「構わん。今更我が軍団にふざけた真似をする輩などいるはずもない」
最後に残った者たちは、捕虜用の護送車に入れられ一路邯鄲方面へと送られることになる。
「姫様、如何なされましたか。お戻りになられるのでは?」
「戦の気配が止まない……。このまま鄴に向かうべきか思案していてな」
「姫様の勘働きは恐ろしいですからな。袁顕甫様に二部隊ほど増援を……」
家臣の提案を受けても、まだ呂玲綺の胸騒ぎは治まらない。
足りない。おそらくそれだけでは足りない。
しかし、情報を袁煕の下へ届ける義務もある。どちらも疎かには出来ない状況であった。
「後方に伝令! これより我が隊は邯鄲へと帰投する。後詰めに来ているであろう文遠に、早急に合流せよと伝えよ!」
「では、拡散して伝者を放ちます。多少残党に捕殺されるでしょうが……」
「構わぬ。確実に文遠を私のところに連れてくるのだ」
「はっ!」
河北の動乱は、この秋に本格化するだろう。
呂玲綺はまだ見通せぬ中原を睥睨し、そっとかぶりを振った。
――張遼・趙雲
「……これが人の行う戦のあとなのだろうか。呂家の姫は一体……」
「姫様は中々に意思が固いお方だ。父君の奉先殿が亡くなられたとき、そのまま死する運命を受け入れようとなされた」
捕縛された呂玲綺は、一切の抗弁をしなかった。
その美しさ故、曹操も斬る判断を迷っていたという。
戦うときは泣いた赤子のように暴れまわり、手の付けられない状態になるのだが、そこに至るまでが遠いとのこと。
余談ではあるが、呂玲綺の抗命を行ったのは高順だった。
彼は如何に呂玲綺が貞淑で従順が語り、自らの命を以て保証すると豪語して斬られたのだ。
「そのような姫様がいざ槍をお持ちになられたのだ。血の雨程度で済むはずがなかろう」
「敵に回したくない御仁ですな」
「であろう?」
「貴殿もですよ」
前方より伝令旗を掲げた馬が至るとの報があり、両将は馬先を揃えて歩みを止める。
更には後方からも急報を告げる者あり、と。
俄かに混乱した事態に、二人の驍将は首を傾げるのであった。
お読みいただきありがとうございました!
面白いと思われましたら、★やブクマで応援いただけると嬉しいです!




