第百三十七話 邯鄲方面 流れを変える一矢
――袁尚
籠城すると予見されていた敵軍が、門を開いて鄴方面へと進軍を開始した。
袁尚の防備は完璧とは言えずとも、相応に重い陣を敷いている。
「ほほほ、まさか真っすぐにこちらに来るとはねぇ。顕甫様、どうして差し上げますかぁ?」
「逢元図さん、私が敵を受け止め続ければお兄様が楽に動けます。故に徹底して守備に努め、一刻でも長く足止めを図るべきでしょう」
「そうねぇ。でも相手は龐統よぉ? 張燕サンの弓騎兵と戎狄の狂戦士たちの猛攻、耐えきれるかしら」
確かに相手は強い。
自らの油断とはいえ、邯鄲をあっさり奪取された手管を鑑みるに、座して傍観できる相手ではない。
「んもう、そんな困った顔をなさらないでぇ。この逢紀めにお任せなさいな」
「妙策でもあるのですか? 私はともかく、お兄様に被害が出ては面目が立ちません」
「んふ。それじゃあ打って出ましょうか。本陣に籠るのもいいのだけれど、攻撃に振り切った相手を受け止めるのは、流石に壊れちゃうわぁ……そこで、ね?」
逢紀が提案したのは斜陣による攻勢防御だ。
部隊を二つに分ける。大きな軍勢は斜陣を構成し、敵の攻撃を右から左へと受け流すことを目的とする。
そして分割した殲滅部隊が左方より敵側面を討つ算段だ。
「顕甫様ぁ、コレ、時間との闘いよぉ。鳳雛の目にかかれば、あっという間に対応されちゃうからねぇん」
「そうですね……ですが私も粛々と防御するには忍耐が限界です。それは兵も同じでしょう。家族や友人が住む邯鄲をこの手で奪い返したい。敵わずとも一矢報いたいのが心情でしょうね」
「いい子ね。では早速始めましょうか。あのご老人にも手伝ってもらうわ」
専ら鳥肉狩猟役になっていた黄忠を、分隊指揮官に任命する運びになった。
「よぅし、袁顕甫の戦を見せて差し上げます! 河北の覇者が誰なのか、その身に刻んであげましょう!」
「んふ。いい顔をするようになりましたわねぇん」
袁尚は麾下の兵士を抽出し、遠目には一文字の横陣に見えるよう偽装する。
出陣の陣太鼓が鳴り響き、袁尚の牙門旗が前へと進んでいく。
(お兄様……どうかご武運を。顕甫はここでお兄様を待っております)
――龐統
「ほう。袁家の小娘はまたブチのめされに来たか。あんまりやる気出されると、こっちの作戦が狂うんだよなぁ」
「シゲン様、我ら獏族が護衛にツク。何でもイエ」
「ああ、頼むぜ。ったく、大人しく陣地に籠っててくれればいいものを。面倒くさいことになっちまったなぁ」
龐統は陣を固める袁尚を奇策で退却させ、鄴都まで攻めあがる予定であった。
そこで只管に凡戦を繰り返す。
じきに曹操軍の後詰めが後背を突くであろう。そして龐統を味方だと思い込んでいる愚か者たちを一気呵成に踏み破る予定であった。
「まあいい。出てきたのであれば対応するだけよな。兵は伏せたまま我らも前進だ。戎狄兵を中心に、左右を騎兵で固めるぞ」
「スグに伝える」
報告によれば、鄴に攻め入ってくるのは曹操の不良息子とのことだ。
君主自ら別口に攻めるのは驚いたが、恐らくは漠然とした危険を感じ取っていたのだろう。
今頃は元直の仕掛けた罠に嵌っているところだろうか。そう龐統は目をつむって想像を巡らせる。
開眼。
「ほいじゃあ、派手におっぱじめようか!! 全軍前進! 敵の間抜けな斜陣に乗ってやれ! なるべく精鋭部隊を敵の待ち受ける方向へと流すんだ。精鋭には精鋭で対応するぞ!」
戦の咆哮が轟き始めた。
「うおおおおおっ! 斬って斬って斬りまくれ! 袁顕甫様に勝利を!!」
「蛮族どもが、河北で好き勝手はさせんぞ!」
「邯鄲を返せ! 貴様ら生きて帰れると思うなよ!」
袁尚の兵、士気甚だ盛ん成り。
自らが護って来た全て――邯鄲を踏みにじられた怒りは誰よりも大きい。
どの兵士も修羅の形相を作り、力で勝る戎狄兵を次々と屠っていくのであった。
「ヤルナ……ダガ……」
「アア、ソウダナ」
この程度、か。
戎狄兵は腹の中で含み嗤う。
袁尚の斜陣に沿って、武に長けた者を誘導される方向へと進ませる。
必然的に足止め係を担う者は弱兵や新兵になるのだが、それでも互角だった。
「この野郎、死ね! 死んで償え!」
「チョウシにノルな!」
善戦していると袁尚陣営は思うだろう。そして策に嵌っているとも。
だが怒りで平時以上の力を出している兵士たちは、戎狄の弱卒と同程度の能力しか持ち合わせていなかったのだ。
「他愛もないな。いっそ力押しした方が楽まであったかもな。この龐士元としたことが、敵の力を高く見積もりすぎたようだなぁ」
「シゲン、どうすル?」
「作戦通りだ。袁尚の嬢ちゃんには再び地団太を踏ませてやろう」
「ワカった」
獏族の伝令が飛ぶ。
そろそろ頃合い故、攻撃開始するとの返礼を受けた龐統は、勝利を確信していた。
状況は全て整った。戎狄に暴力と弓騎兵の機動力。そして作戦の看破。
孔明や元直と机上で争っていたほうがまだマシであったか、と嘆息する。
「詰みだ。ほれ、逃げろ逃げろ、袁尚嬢ちゃん」
不敵に笑った龐統が凍り付くまで、それほど時間はかからなかった。
――黄忠
「ふんむ、どうやら敵は精強な者を選りすぐってきているようじゃの」
「しょ、将軍。戎狄の猛者は河北兵十人に匹敵します。我らは三千の小勢なれば、ここは本陣に合流いたしましょう」
「ばぁー--かもん!! 敵の最強兵力を尻に食いつかせて、本陣まで案内する気か! 奴ばらめはここで葬る。ええから儂の言うとおりにいたせ」
「は……はい」
弓を構え、川の流れのような敵兵の動きを見る。
黄忠が狙うは、一つの澱みだ。
必ず敵の指揮官には護衛が付く。
故にそこだけは、兵の動きが固まる。
「おるではないか、おるではないか! ひいふうみぃ……儂の的が雁首揃えて立ちつくしおってからに」
矢鳴り散る。
一条の彗星が戎狄の指揮官を貫いた。
心発作で突然倒れたかの如く、静かに。そして自然に。
極限まで研ぎ澄まされた光弾が、次々と亡骸を地に縫い留めていく。
「ほっほっほ、混乱しとるわい。そうじゃろうのぅ、頭がなくなれば体は方向を見失うのが道理じゃからなぁ」
「こ、これは……戎狄が狼狽えて……いるのか」
「彼奴等とて人じゃ。儂らよりも勇敢じゃが、ちと指揮官に頼り過ぎではあるがの」
黄忠は弓を馬つけていた革袋に仕舞い、背負っていた薙刀を手にする。
「いくぞおおおおおおおおおおおおおおっ!!! 目に映る全てを薙ぎ払うんじゃっ!! この黄漢升に続けぃっ!!」
「お、おっしゃああああ!」
「行くぞ! 負けるかよ!!」
戎狄に怯えていた兵士たちに『喝』が入った。
「儂は生涯最前線! この身は朽ちるまで現役よ! 死に花咲かせたい者は儂の前に参れぇっ!!」
――袁尚
黄忠による怒涛の攻めが、やがて袁尚本隊に闘志の炎を点ける。
斜陣のその全てが猛者へと変わる。
「うふふ、顕甫様。今が好機かと」
「ええ。敵を残らず討ち取れ! 全軍総攻撃です!!」
鬨の声が戦場に響き渡り、龐統の指揮する兵士が次々と地に伏せていく。
袁尚自ら陣頭に立ち、兵を鼓舞しながら敵を切り伏せていく。
「姫様ー--っ!! てめぇら、姫に傷がついたら末代までの恥だぞ! 命を懸けてお守りするんだっ!」
「我ら顕甫様の盾なり。金剛にして不壊。我が身は屍となっても鬼として守護奉らん」
図らずも。
この言葉の意味を知るのは、袁尚が後に袁煕と合流してから知ることになる。
《《残念ながら》》、袁尚は龐統に対し大いに優勢になってしまったのだった。
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