第百三十三話 一週間フレンズ
―—魏延
夏のうだるような熱気は既にない。秋空は爽やかだが、同時に今後の包囲戦への不安を心に翳してしまう。
「文長やい、そう警戒せんでも大丈夫じゃろうが。行きで通った道故、敵もまさか伏していることなどなかろう」
「確かにその通りだ。だが、俺は殿に信を頂いているのだ、王威よ。万が一、否、億が一にでも任務を失敗するわけにはいかない」
「剛毅果断で馳せたお主が、こうも慎重に動くとかえって不気味じゃわい」
魏延は任務を達成したつもりである同僚に不安を覚えつつも、遥か先にある曲陽の陣を幻視していた。
まだ道は半ばである。
敵が健在……いや、まともに知恵があるのであれば、輜重隊を襲撃するのは最も効率の良い手段と理解しているだろう。
「静かすぎるな。鳥の囀りも聞こえぬほどに」
「ほっ。文長、戦場にて雅を得ようとは柄にもないのぅ。まぁ尤も、鳥どころか獣の気配すらないのは、儂の気のせいだといいのじゃが」
一瞬目を合わせた二将は、次の刹那で弾かれたように身を動かす。
魏延は最前線へ。王威は中央の輜重車へ。
「敵襲ッ! 王威配下の護衛部隊は方形陣を敷いて防戦用意じゃあっ!」
「俺の直下部隊はついて参れ! 賊徒どもを蹴散らしてくれん!」
山間を抜ける細い道では、騎馬よりも歩兵の練度が肝である。
袁煕の予見は的中し、賊軍の襲撃は発生した。だが迎え撃つのは歩兵巧者の魏延文長である。
「すぅぅぅぅぅ……前ッ、衛ッ、突撃どぅぁああああああっっっ!!!!」
「おおおっ!!」
「俺に続け!! かかってこい木端どもが。俺を討てる奴はいるかぁっ!?」
薙刀を手に、魏延は粗末な短弓で武装した集団へと向かっていく。
鎧無し。武器は数打ち。将星無し。
「一気呵成に責め立てるのだっ! 敵は少数なり!」
「おうっ!」
「いくぞぉぉぉ!」
「……も、け……」
ん?
不意に耳朶を打った擬音に、魏延の動きが止まる。
ザザ……ザ……ザザザ……。
視界が砂嵐に阻まれ、灰色に曇っていく。
今自分がどこに居るのか、何をしているのかすら判別できなくなった。
「この……感覚、は……。俺は……いいいい、一体ななななな何を……殺殺殺」
「んふぅぅぅぅぅっ、元気溌剌! 儂王威、超人的元気!!」
も……
け……
記憶が、意識が、理性が混濁しきる。
魏延の目の前には多数の肉袋。それらはとても斬りやすいように動き回っていた。
「ぜぜぜ、ぜんぜん全軍……肉祭り開催決定ッ!!! 今決めた、俺が決めた。動かなくなるまで引き千切ってヨシ!!」
「ぎぎぎぎ魏将軍んんんんっ」
「うむ、食って良し!!」
酸鼻なるかな、中山への道。
「う、うわああああっ! 鬼じゃ、地獄の鬼たちじゃあっ! 逃げろっ!」
「待ってくれ、置いて行かないでくれ!」
「あいつ頭に矢が刺さったのに向かってくるぞ。駄目だ……殺される……」
その後、奇声。
びゃあああああうまぃぃぃぃっ、などという金切り声が、長らく響いたという。
◇搾菜書房 『三国時代における趙書』 より抜粋。
『中山国曲陽から鄴への道は険しい。されどそこかしこに間道があり、当時河北を制していた袁紹軍はこれらを活用して補給に勤しんだという』
『長男袁煕軍麾下の猛将魏延は時折意識を無くすことがあった』
『曲陽への道は、現地住民からは【人肉街道】として恐れられたという』
◇司馬孚伝 ——『文長至雁木毬 意失識去 変心悪鬼 天下大不孝 不触《アイツらマジキチだから関わるんじゃねえぞ》』
―—袁煕
往復で一週間以上かかる道のりのはずなんだが、なぜか三日で戻って来た魏延たち。しかも全員が全員血染めの戦装束と来たもんだ。
「魏将軍、無事であるか? 何か重大な罠でも……」
「殿、ご報告いたします!!」
「うっせっ」
「我が軍はぁ! 無事に鄴の袁顕甫様より食料をお預かりし、お運びいたしましたぞ!!!」
マジでこいつの声帯どうなってんだ。
頭にマグニチュード8くらいの振動が伝わって来たぞ。将というよりも兵器に近いんじゃないかな、これ。
「そ、そうか。まさに電光石火の運送、お見事です。魏将軍たちには重き恩賞をお約束しましょう」
「ははぁっ!!」
いや、マジで木の皮とか食うレベルでメシが枯渇してたからな。
出前迅速なのは涙が出るくらい嬉しいことよ。
それにこんなに怪我しちまって……よほど悪路を進んできたことだろう。
これは大いに労わなくてはな。
「魏将軍、それで道中にはどのような仕掛けが? 敵の手を知るためにも、是非報告願いたい」
「それが……でございますな……その面目ございませぬ」
ちなみに反省してるようなセリフだが、クッソ爆音で喋っている。
ブレなさでは定評があるが、そこは加点ポイントじゃないんだよなぁ。
「記憶が……ございませぬ!!」
「は? え、どこからどこまでの?」
「いえ、そのですな……出陣し、袁顕甫様とお会いしたことはうっすらと思い出せるのですが……道中の過程がスッポリと抜けておりまして!!」
「戦闘……したんだよね? 明らかに血塗れだし」
「恐らく……そうかもしれませぬ!!」
うるっせえ! 普通に喋ってくれ。
ってか何? こえぇんだけど。
一週間分の記憶が吹っ飛んでるとか、一体何食ったらそんなことになるんだよ。
「副官の王威にも確認しましたが、彼奴も記憶が霞みがかっておるようでして!!」
「……そうか。俺の耳のためにも……じゃなくて十分に休養を取ってくれ。大儀であった」
「ははっ!!」
意気揚々と去っていく魏延を尻目に、俺は許攸を呼び寄せる。
「流石にこのままってのは気持ち悪いので、聞き取り調査をしてください。誰かしら記憶のある者はいましょう。大変な仕事ですが、相手が相手です。許先生、お願いできますか」
「お任せください、殿。おお、そう言えば高覧将軍が真っ青な顔で厠に走っていきましたな。彼から始めるとしましょう」
「青い顔と言うことは、何か恐ろしい目にでもあったのでしょうなぁ。私も陥穽に落ちぬよう、気を張っておかなくてはですね」
何はともあれ食料問題は解決した。
邯鄲に立てこもる張燕・龐統に動きはない。内紛でも起こしててくれねーかなという、希望的観測が湧き出るくらいには、戦いたくない相手だ。
「ご注進ッ! 袁顕奕様、御大将はおられるやっ!?」
「止まれ! 所属と階級を述べよ!」
執戟郎に制止された伝令は必要事項を述べ、俺に書状を差し出して来る。
「袁顕思様より、火急の報でございますれば、なにとぞ御裁可を」
「お姉ちゃんから? どれどれ、ふむ…………ぶっ!?」
思わず噴き出した。
顔面のパーツも一緒に飛んで、福笑い状態になるんじゃないかと不安になる程には勢いがあったと思う。
意訳すると以下の通りになる。
『愛する弟よ。おねーちゃんは道に迷った。今すぐ助けてヘルプミー』
『あ、そうそう。なんか前線基地の鳥巣に向かう軍がいるらしいぞ』
『早くケンエキニウムを補給したいので、迎えに来てプリーズ』
『同封したおねーちゃんの下履きを、是非今夜使うべし。ていうか使え』
『顕甫に喋ったら毎晩夢枕に立つからね。ぷんぷん』
頭が痛い。いや、全ての視覚細胞が痛い。
あのさぁ……こっちは龐統とメンチ切り合ってんのよ。魏延を顕甫ちゃんのとこに送るのだって危険な橋だったんだぜ。
「栄えある袁家の長女が……迷子……だと」
「……お手数おかけいたします」
まあ、うん。こんな危機感皆無の手紙を出せるなら、まあ大丈夫か。
それよりも、だ。
「ねぇ、これ……兵糧貯蔵基地に敵が来てるって言ってるけど」
「左様でござるか。大変ですな」
「人事じゃねえから。マズいマズい、曹操軍が北上を再開したってか? しかもいきなりビンゴの場所を引き当てやがって!」
歴史の修正力とでもいうのだろうかね、これ。
パパンに何度言っても烏巣には兵糧が堆く積まれたし、敵も来る。
これはこの世界の仕様なんだろうか。
「急報ッ!!」
「またかよ!」
慌てて転がり込んでくる伝令に手を貸し、俺は文言を聞く。
そして震える。
「邯鄲から……龐統出陣、だと? それも顕甫ちゃんのいる鄴に向かって」
「更には白馬付近の濮陽に、曹操軍の牙門旗が入城したとのこと……」
なんてタイミングで来やがるんだ。
東にいるおねーちゃんを救うか、それとも南下して顕甫ちゃんを救うか。
それとも曹操軍本隊に備えるか、烏巣を守るか。
この電撃のような四面作戦(一人は自爆)、決して間違った手を打ってはならない。
袁家の興廃、この一時にある。
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