第百三十一話 曲陽への布陣
―—袁煕
まさか自分の勢力圏内で兵糧攻め食らうとは思わんかったよ。
先手の張郃が目的地である中山の曲陽を得たとの報を受けている。随分な強行軍をさせてしまったが、無事に到着してくれて何よりだ。
「殿、我らも曲陽へ急ぎましょう。包囲戦に参加すれば、袁顕甫様からの補給を受けられるやもしれませんぞ」
「そうだな、一縷の望みに賭けるしかない状況なんだよなぁ」
許攸の言は正しい。
敵は散発的に襲っては来るものの、こちらのメンツは顔・文・魏・呂と、見ただけでヤベー文字の将がお出迎えする寸法だ。
「敵も碌に兵糧を持っていないようだしな……どこかに保管庫でもあるんだろうか」
「賊徒の巣穴を虱潰しにいたしますか? しかし……」
「いや、曲陽に向かって全速だ。こちらの兵を分散させるのは愚策だろう」
「承知いたしました。殿のご推察通り、こちらに時間をかけさせるのが敵の策略でございましょう」
小賢しい手段だが地味にクる。
目の前で飢えている兵に腹いっぱい食わせてやりたいという気持ちが、ムクムクと溢れ出てくるのは事実だ。
「俺も乾餅二個しか食ってねえしな……いや、兵士の方が辛いか。我慢だ我慢」
馬の腹を軽く足で蹴り、前曲に追いつくべく軍を急がせた。
◇
中山に入り、陣幕へと足を運ぶ。
張郃をはじめ、諸将が居並ぶのももう慣れた気がする。こちらの世界に来て、俺も随分馴染んだということだろうか。
「さて、状況を勧めてみようか。奉孝殿、始めよう」
「ッス。それじゃあ盤面整理から行きましょう」
郭嘉が示す現状は以下の通りであった。
◆
邯鄲包囲網は現在二正面が完成されている。
北方の曲陽に陣取る袁煕本隊。そして鄴を背にした南方には袁尚がいる。
東方からは袁譚が迫っているはずなのだが、未だ到着の兆しはない。
郭図率いる間道突破部隊も消息不明だ。
敵は邯鄲に籠城し、戎狄の兵士を含めて十万以上である。
張燕軍全盛期の百万を号していた時よりも少ないが、袁尚の討伐によって漸減させられたのだろう。
兵糧は鄴より袁尚のもとに随時送られているが、敵の遊撃部隊に半数は狩られているとの報だ。
袁煕本隊の糧秣は持って一週間分。故に精強な部隊を抽出し、袁尚との間に生命線を構築しなくてはならない。
敵の主将に関しては幾分情報が混雑している。
首魁の張燕が病床にあるので、龐統が指揮を執っているというのが概ねの見方だ。
◆
「やることは決まったようなもんか。決死隊——に近いかもしれないが、顕甫ちゃんのもとに向かう将を募らなくちゃいけない……か」
気が重いねぇ。
ブラックどころかダークマター労働だよ。
三国時代は殺伐が定説だってのはわかってるが、それを命令するのは気が引けるってもんよなぁ。
「……大変なご苦労をかけるとは思うが、袁家危急の時なのも事実。まずは自薦を問いた―—」
ザッ!
一斉に手が上がる。
主だった将は無論の事、巧妙に逸る若手の将もだ。
「殿、某が適任だッピ。必ずや任務を遂行して見せましょうッピ」
「俺、俺が行くぜ。包囲戦なんて騎馬部隊にやること少ないからなぁ」
「我が文醜軍であれば、その任に耐えましょう。是非ともご指名ください」
むむむ、悩む。
しかし次の爆音で俺の意志が全て持って行かれた。
「殿ぉぉぉぉぉおおっ!! どうか拙者にお任せあれぇっ!! この魏文長、粉骨砕身で任務を全うしましょうぞ!! どうか! どうか!」
あ、そうだね。
この人武功に飢えてるんだっけか。
確か楽進を討ったはずなんだが、それ以降トコトンついてない環境だったね。
「殿ぉぉぉぉおおっ!!!」
耳が機能しなくなる前に決めておこう。
「うん、じゃあ魏将軍に兵糧運搬任務を命ずる。恐らくは様々な妨害があると予測されるが、将軍の手腕に期待させてもらうよ」
「必ずやぁぁぁぁ!!」
うるせぇっ!!
三国時代の建築物はまだ強度が足りてないんだから、あんまり爆音を出されると東倒壊の危険あるで、マジ。
「では許攸先生、詳細な道を魏将軍に教示しておいてほしい」
「承知いたしました。ではこちらへ……」
音声発生器を遠ざけるのは緊急避難に該当するだろうか。少々不憫かもしれんが、身の安全のためだから許してほしい。
「奉孝殿、後詰にもう一将追加しておいてくれ。なんとなく嫌な予感がするんだ」
「了解ッス。では高覧将軍にお願いしましょうか。あの人なら気配りが届くとおもうんスよね」
「奉孝殿の推挙ならば大丈夫だな。様々な場所で世話になっているしな。ここは大役をアシストしてもらいたいもんだ」
この時の俺の不用意な発言が、高覧の胃に多大なるダメージを与える羽目になったのはまた別の話であるのだが。
「さて、だ。そもそもにおいて、この邯鄲奪取の真の意図は何だと思う? 俺が張燕だったらこんな無謀な賭けはそもそもしないと思うんだ」
「一つ引っかかっていることがあるんスよ。ひょっとしたら張燕の動きは陽動クセーんスよね」
「陽動……まさか。敵は戎狄まで動員した全軍で押し寄せてきているはず。あちこちに兵を配していることから、確実に鄴を取りに来ていると思ってたんだが」
チッチッチ、と指を振って否定された。
「殿は本拠である晋陽を制圧しました。いうなれば『邯鄲に閉じ込めた』状況なんスよ。敵軍師である龐士元がそこまで窮地を作り出しますかねぇ」
「あえて防備の弱い晋陽を捨て、《《邯鄲に籠ることこそ》》が目的と言うのか」
「その方が理にかなってるんス。だってほら、殿の敵は張燕だけじゃないじゃないスか」
忘れているわけではない。
不気味に沈黙をしている曹操の存在を。
「既に孟徳公と意志疎通ができている……か。そうだよな、、龐統だけ出てきて他の奴らがいないってのは道理じゃないよな」
「他のやつら?」
「いや、こっちのことだ。で、この包囲網はどこが破られると思う?」
単刀直入に聞くしかない。知者に訊ねるのが一番早いだろう。
「南の袁顕甫様、と言いたいところですがね。恐らくは東。こちらの窮している実情を察するのであれば、突くべき箇所はおのずと明白になるス」
「曹操軍が官渡を進むのであれば、同じ進軍行路は取らないかもしれんね。しかしいずれにせよ、袁家の急所になる地点がある、か」
鳥巣の兵糧庫。
袁家が南進するにせよ、防備に回るにせよ、非常に重要な拠点になる。
この世界でもありうるのか、淳于瓊への急襲が。
最も早くたどり着けるのは、恐らく姉の袁譚だろう。
敵の作戦が発動している以上、遅きに失したかもしれんが、伝令を飛ばす必要がある局面だ。
「奉孝殿、こちらからも部隊を抽出すべきかな。万が一にも鳥巣を失陥するわけにはいかないんだ」
「そーッスねー。間に合うかどうかは微妙ッスが、足の速い一軍を向けておくべきでしょうね。包囲網が薄くなりますが、それしか無いッスねー」
まあ、そうなるな。
この戦、袁家三姉弟の力を結集せねば勝利はないだろう。
それぞれ個別に動いて来た俺たちだが、どうやら真剣に互いに向き合う必要があるようだ。
「よし、魏延将軍の輸送を最優先に取り計らいつつ、全軍で敵に当たろうか。張将軍は前面へ、顔将軍は右翼、文醜将軍は左翼に展開。包囲を続行しようか!」
「御意ッ!」
鳳凰の巣だかなんだか知らんけど、こっちは出せる限界まで知恵を絞るしかないんだ。必ず打ち破って見せよう。
俺は決意固く、拳を握りしめたのだった。
お読みいただきありがとうございました!
面白いと思われましたら、★やブクマで応援いただけると嬉しいです!




