第百二十八話 苦労人は苦労人を引き寄せる
―—司馬孚
不格好な方形陣の後方より土煙があがってますね。
隘路にて休息する部隊など、敵からすれば絶好の的でしょう。
兄ならば言うに及ばず、私でも攻めますな。
「盾兵を前に出しなさい! 時間を稼ぐのです!」
「司馬孚殿、前からも敵兵が……!」
「そう来ますよね。私でもそうします」
全ては想定内で、想定外。
死地にとどまることで、我らの運命は決まっていたのでしょう。惜しむらくは指揮官たる郭公則殿の手腕が中華最低であったことですか……。
「崖上に動きはありますか? あまり顔を出してはいけませんよ」
「特に変化はないですが、嫌な予感はします。もしや伏せていると……?」
「逆に貴官に問いますが、伏せない理由は在りや?」
「ありませんな。司馬孚殿、ご命令とあれば某が吶喊いたしますが」
三方よりの同時奇襲。通常の編成であれば血路を開いて脱出することも出来よう。
敵将が有能であれば、包囲の厚い方向へ。
敵将が無能であれば、包囲の薄いほうへ。
逃げ道があると兵士は生存を優先してしまいますからね。
「勇猛なる貴官……いえ、これは失礼。随分と立派なお体をしておりますが、名のあるお武家様でしたかな」
「いえ、某は北海より流れてきた無頼者でして。鉄鞭には少々自身があります故、こうして袁顕奕様付の軍師様に召された次第です―—して、いかがいたしましょう」
ふむふむ……。
よく見れば、これほどの偉丈夫は類稀なる者に違いないですね。
一介の執戟郎として使われるよりも、然るべき地位につけた方が打開できるかもしれませんね。
「座する将は無策。率いる兵は夜盗上がり。三方よりの猛撃。これに吶喊すると」
「指をくわえて死ぬよりも、最前線で討ち死にする方が武士として納得のいく散り方でありましょう」
戦場が完全に乱れるよりも早く、突破口をこじ開ける算段でしょうね。
機知に富み、武勇にも自信があり、と。
ならば答えは簡単ですね。この武侠に命を託して共に斬り抜けるしかないでしょう!
「次席指揮官として貴官を臨時の将に昇格させます」
「謹んでお受けいたします」
「では命じます。周囲の正規兵を中核として、前方に突破します。全軍の先駆けとして、敵を撃破してください」
「必ずや成し遂げて見せましょう!」
拱手を一つ。
いいでしょう。背負っていた二本の鉄鞭の威力、見せてください。
「私の馬を使ってください。その方が状況を打開できることでしょう」
「しかし、司馬孚殿は……」
「これでも司馬家の男子です。戦場の一つや二つ、乗り切って見せましょう」
「お覚悟や見事。しからば御免!」
素晴らしいですね。
口惜しいですが、私の命よりも郭図殿の方が優先されます。
そして賊徒とはいえ降った兵士たちも。無為に死なせては祟られるというものです。
「そうそう、貴官の名前を聞いてませんでしたね」
「姓は太史、名は慈。字を子義と申す」
「ありがとうございます。それでは太史子義将軍、埒を開けましょう!!」
「応ッ!」
―—太史慈
つまらん。
某は一体何のために戦ってきたというのだ。
主君たる北海の孔融様は曹孟徳の威風に怯え、僅かな手勢と共に勝手に降ってしまわれた。
残されたのは女、子供、老人。そして魂の抜けきった顔をした負傷兵のみ。
北は袁家を防ぎ、西は曹操を遮り、南は袁術を閉ざす。そう戦ってきた。
しかし、たった一回の会戦で我が君の心は折れてしまわれた。
徐州の虐殺を聞き、士気は衰えていたことは否めない。
だが、まだ十分に戦えるだけの兵と糧秣は残っている。そのはずだった。
「太史将軍、我々は……一体どうすれば……」
「まさか……あの孔老の末裔ともあろう方が、いや、まさか……」
行燈の灯火を消したかのような闇。
打ちひしがれている人々を前に、某は何をすべきだったというのか。
「全員顔を上げろ! せっかく袁譚が退いていったというのだ。曹操軍など恐れる必要はない。この太史子義が護って見せよう!」
「太史将軍……しかし、我々は誰に忠を捧げればよいのかわかりませぬ。一体何をもとにして戦えばいいのですか!?」
「それは……」
北海の民のため……いや、曹操軍は徐州以外の統治は穏当だと聞く。
孔融様が先に降られたのであれば、無体な扱いは受けまい。
兵士たちもそのことは十分理解しているだろう。だからこうして、某の目を見ないのだ。
「降ろう……もうだめだ……」
「俺は家に帰る。兵士なんてこりごりだ!」
「やってられるか! 俺たちには新しい君主が必要なんだ!」
叩きつけられる槍や兜には、言葉にならない慟哭が刻まれているようにも感じた。
こうなった者たちを止める策などありはしない。ただ時流が過ぎるまま、運命を受け入れるしかないのか……。
「太史将軍、逃げましょう。俺たちは曹操軍と争い過ぎました。降ってもきっと……」
「徐州のように生きたまま火で焼かれるのは嫌だべ」
「俺たちと一緒に逃げましょう! 生きていれば再起を図れます」
しかし……民は……。
某も部下たちも戦死するのは恐れない。しかし、君主不在のままで刑死するのは不名誉極まる、か。
しかし、それは許されぬ。
武人として、人としてそれだけはあってはならないのだ。
「駄目だ。如何に不利な状況でも、北海の民を見捨てるわけにはいかぬ。武士として生まれ、某と一緒に戦ったことは不運だが、全うして欲しい」
「将軍……」
城壁に吹き付ける風は乾いている。
こんなにも見事な日和りなのに、某たちの心は砂塵のように零れていく。
「各員配置につけ。籠城戦になるぞ」
「……了解しました」
故郷の東來は健在であろうか。
母上、どうぞ健やかにお過ごしくださいますよう。
◇
「お前たち、何の真似だ」
「わかってくだせぇ、わかってくだせぇ。降るには手土産が必要なんでさ」
部下に指示を出している最中、背後から頭を殴られた。
気づけばこの通り捕縛されており、周りには生死を共にした部下たちが殺気を漲らせている。
「将軍の身柄を差し出せば、兵も民も助かるんでさ。わかってくだせぇ」
「愚かな……自分たちだけ助かろうとしても曹孟徳は許すまい。ましてや民を見捨てた兵士など斬刑に処されるぞ」
暗がりから、コツコツと杖をつく足音が聞こえてくる。
「ひょひょ、太史将軍よ、これは民衆の意志でもあるのじゃよ」
「ちょ、長老殿……まさかッ!?」
「お主はちぃとばかし暴れすぎたの。そのような危険人物がいるという事実だけで、北海の憂いとなるのじゃ。そなたの命で数万の命を買う。悪いかの?」
なんと……いうことか……。
『太史慈様、太史慈様、武勇伝を聞かせて下さい!』
『どうか子供の頭を撫でて差し上げてください。勇敢に育つようにと』
『ありがてぇありがてぇ……北海の守護神様じゃ……」
過ごした日々は、一体何だったというのだ……。
「我が挺身は、全て無駄だったというのか。誰にも届かなかったというのか」
「民に必要な者は常に変わるのじゃ。これも定めと受け入れてくれぃ」
これ以上ここで踏ん張る必要も……ない、か。
しかし、しかしだ―—この太史子義、裏切りで謀殺されるなど認めん!
祖霊よ、某に加護を!!
「ふんぬッ!!!」
「うおっ、おい、逃がすな!」
「将軍、大人しくしててくだせぇ!」
やかましいわ!
某の死に場所は某が決める!
「いかん、行かせるな!」
「さらばだ、クソッたれ共よ。次に会うときは敵同士だな」
某は城壁から外に流れる川へと飛び込む。
濁流を泳ぎ切り、泥濘をかき分けて上陸したのは河北の地だった。
この無念、いかにしてくれよう。
「馬の……嘶き……だと」
霞む目に移ったのは『袁』の黄色い旗だ。
結局のところ、某の命運は尽きていたのか……ならば足掻くのは……無駄、か。
そこでプッツリと意識が途絶えた、と思う。
◇
「袁顕思様、こいつ……太史慈ですぜ!」
「はぁ? なんで北海の暴れ牛がこんなとこで昼寝してんだよ。馬鹿言ってないで叩き起こせ……って、本当じゃねえか!」
「どどどど、どうしやす? 今のうちに首を……」
「…………待て」
袁煕によってイジられた、僅かに上昇した知力。新しく増えた脳のシワは、微かな可能性を袁譚に授けることになった。
「連れていく。傷を診てやれ」
「ええ、早速首……え、ええええええっ!?」
「やかましいぞ、おめぇらっ! いいからそいつを土産にすんだよ!」
過日まで激しく争っていた二将ゆえの細い絆かもしれない。
ただ一つのひらめきは、袁譚に確信めいた希望を与えていた。
「オレのトコだと角が立つか。治ったら顕奕の部下にしてやろう。ンフフフフフ、きっと顕奕も喜ぶぞ。お姉ちゃん、ありがとうって抱き着いてくれるかな……にゅふ、フフフフフフ」
発作を起こした主将を診なかったことにし、兵士たちは太史慈を運んでいくのであった。
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