3-7 ふたつめの因果応報、静かな決着
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たとえばの話。
アマルとシファは、長い間、ぎこちない関係が続いていた。
原因は単純だ。お互いの考えていることを話し合うことができていなかったからだ。
今もまだ完全にわだかまりが解消したとは言い切れないと、アマルは思っている。
アマルは竜巫女に選ばれてしまった負い目から。
シファは、恐らく、竜巫女になれなかったという悲しみから。
双子ですらそうなのだ。
ましてや他人ならば、話し合うためのテーブルにつくことさえ難しいときだってあるかもしれない。
(頭のなかで言い訳ばかり浮かぶ。だめだな……)
追放されても。
襲われても。
どれだけ愚弄されても。
皇子を心底憎いと思っていたとしても、死ねばいいとまでは、思わなかったのだ。
(言い訳? 違う。これは、もっとひどい感情だ)
人間が死ぬのを見たのは、両親以来だった。
落石による不慮の事故。助け出されたときには取り返しがつかなかった。
(あのときは泣き喚いた気がする。ずっとシファとじいさまに慰められていた)
誰かが死ぬのは見たくない。
愛する家族だとしても、どんなに憎い相手だとしても。
それは、偽善なのだろうか。
「……ル。アマル」
繰り返し名前を呼ばれていることに気づいて、アマルは立ち止まった。
「ご、ごめん」
「あなたは何も悪くありません」
セオドアの言葉が、雫のようにアマルの奥へと落ちた。
広がる波紋は少しずつアマルを落ち着かせる。
代わりに、ぽた、と涙が零れて廊下に落ちた。
「アマル?」
「ありがとう」
アマルは袖で涙を拭う。そして、顔を上げて、隣に立つセオドアを見つめた。
セオドアの眉尻がわずかに下がっている。
「無理に笑わなくてもいいんですよ」
「無理やり笑いたいときもあるんだよ」
わざとらしく、アマルは溜め息を吐き出した。
「あー。強くなりたいな」
「涙を流すことが、弱いことだとは思いません。それに、私の目に映る貴女は、どの人間よりも強くて美しい」
「……っ。すぐそういうことを言う……」
「顔が赤いですよ」
「照れてるんだよ!!」
ふたりは見つめ合い、どちらからともなく苦笑いを浮かべる。
「緊張は和らぎましたか?」
「お前が冗談を言うなんて思わなかったよ」
「冗談ではありません。本気です」
はいはい、とアマルは答えた。ついに謁見の間に辿り着いたのだ。
「おかしいな。警備がいない」
「……そうですね。先ほど以上に、何が起きてもおかしくはありません」
ふたりは気を引き締め直す。
それぞれ、同じタイミングで右と左の扉を開いた。
ばんっ!!
「えっ!?」
部屋の中央。――天井に、ぽっかりと穴が開いていた。
穴の真下には女帝イーヴァが立っていた。
入口に背を向けているため、アマルたちから表情は見えない。
(一体何が起きたっていうんだ!?)
アマルにはさっぱり分からなかった。
セオドアも言葉を失っている。
さらには、女帝は闖入者に気づいているだろうに、一切反応しない。
……やがて、すっ、と女帝が天井の穴へ左腕を伸ばした。
「終ぞ、妾のものにはできなかった」
よく通る声だが、そこに感情は感じられない。
誰かに語りかけるようでもあり、独白のような、透明な音だった。
「聖樹に倣って封じ込めることを思いついたときは高揚したものよ」
(まさか、ここに聖竜を縛っていたのか……?)
アマルは女帝の視線の先を追う。
もしこの空間に聖竜がいたとしたら、アマルが聖樹の根を削って創り上げた竜笛で、聖竜を解放できたということなのだろう。
「何も手に入らぬ。何も。望むものは、何ひとつ」
「そんなことはないだろう。あんたは皇国サニアのれっきとした女帝じゃないか」
アマルは女帝へ向かって大声を出した。
「聖竜も聖樹も、聖剣も。決して人間の所有物にはならない。ただ、それだけのことだ。無理やり手に入れようとすれば報いを受ける」
だがアマルの声が聞こえているはずなのに、女帝は振り向こうとしなかった。
痺れを切らしたアマルは大股で女帝に向かって歩いて行く。
(いつも見上げていたから分からなかったけれど、意外と小さかったんだな)
そして正面に回り込んだ。
「……っ!」
アマルは息を呑んだ。
泣いていた。女帝が。
化粧は剥がれ落ち、目は朱く腫れている。まるで幼子のように、ぐしゃぐしゃになっていた。それはもはや、矜持高い女帝の姿からは程遠い姿だ。
(だから振り向けなかったのか……?)
アマルが動揺したことにより、一瞬の隙が生まれる。
「アマル!」
「え?」
セオドアが叫ぶのと同時に女帝が振り下ろそうとしたのは――短剣。
アマルを助けようとセオドアが床を蹴った。
(逃げなきゃ)
突然のことにアマルは動けない。
頭ではわかっているのに、体が動かない。
――しかし。
鈍い音と共に貫かれたのは、女帝自身の胸だった。
「!!」
返り血が飛び散ってアマルの頬や服にかかった。血のにおいが鼻をかすめる。
女帝が両膝をつく。その口から、溢れるように血が流れた。
「ど、どうして」
セオドアがアマルへ駆け寄ってきた。強引に体を引き寄せ、女帝から距離を取る。
ごとり。まるで物のように、女帝が床に倒れた。
「……妾では成し遂げられなかったことは、すべて、我が息子へ託そう」
そして女帝は微笑んだ。
(……! 皇子は、もう……)
皇子は既に亡くなっていると打ち明けようにも、アマルには言葉が思うように出てこない。
セオドアを見上げると、セオドアは力なく首を左右に振った。
「愛する我が子。せめて、お前だけは……」
微笑みを浮かべたまま女帝は絶命した。
「嘘だろう」
じわり。女帝から血が流れ出していく。
アマルは足が震えて立つのもやっとだったが、セオドアが肩を抱いてくれているおかげで何とか己を保てていた。
「どうして、こんなことに」
「――報いを受けたのでしょう」
誰かがアマルのつぶやきに言葉を被せた。
アマルはゆっくりと入口へ顔を向ける。
「シファ! 聖竜! ……と」
そこには三人の姿が見えた。
一人目はシファ。
二人目は、人間の姿をした聖竜。
三人目は、アマルにとっては驚きの人物だった。
皇女ティーマ。女帝のひとり娘だ。
声を発したのはティーマだった。
「哀れなお母様。そして、お兄様。己の欲望に振り回されて自滅してしまうなんて」
ティーマは驚くことも悲しむこともなく、女帝へと近づき、膝を折った。
一方でシファがアマルへ近寄ってくる。
「お姉様、ご無事ですか」
「あたしは平気だ。でも」
「皇族への叛乱の準備が整いました。といっても、対象は既にいなくなってしまいましたが」
シファがこと切れた女帝を感情のない瞳で見下ろした。
アマルはようやく理解する。
女帝への叛乱の計画。
聖竜を手中に収めようなどという大それた野望を打ち砕き、皇国サニアへ平穏をもたらすため。
セオドアが、ティーマへ向けて言葉を発する。
「皇女ティーマに進言いたします。このまま、空の叛乱を継続してはいかがでしょうか。女帝は存命ということにして、貴女自身が討ち取ったことにすればよいのです。そうすれば、静かな叛乱として、これ以上の血を流すことも、憎しみや悲しみを増やすこともなく、皇国サニアは生まれ変わることでしょう」
「空の叛乱……」
ティーマが提案を反芻する。
同時にアマルは思い至る。
(そうか。あたしが関われば聖竜が関わることになってしまうし、テディが関われば、下手をすれば戦争の火種になる。皇族内での内乱に納めてしまうのが、これからのことを考えても最善策かもしれない)
また、アマルと同じことをティーマも考えたようだった。
「その提案に乗りますわ。聖竜、かまいませんね?」
【我は人間の営みには関知せぬ】
「ありがとうございます」
ティーマが聖竜へ頭を下げる。そして今度はアマルへ向き合った。
「竜巫女様。申し訳ございませんでした」
その姿は、共に食事をしたときとはまるで別人に思えた。
何故かは分からない。しかし、ティーマにもまた、思うところがあるのだろう。
そうでなければ肉親の死を前にして、ここまで落ち着いて振る舞えるはすがない。
「貴女のおかげで目が覚めました。あたくしは貴女の強さを見習って、これから生きていこうと思います」
「強さ……?」
そんなことを言われるなんて、身に覚えがない。
アマルは唾を飲み込んだ。
(違うだろう。強いのはティーマの方だ)
「あたしは全然強くないよ。ただ、色んなことが放っておけなかっただけで。今だって何もできなかった。皇子のことも、女帝のことも……」
「いいえ。貴女が動いてくださったおかげで、歴史は変わろうとしているのです」
ティーマがアマルの両手を取った。
「見て見ぬふりをしてきた過去は変えられませんが、生まれ変わったつもりで、国のために尽くしてまいります」
女帝の企みは呆気なく潰えた。
皇子も死んだ。
これからは全く未知の状況だ。それでもティーマは穏やかに、どこか悲しげに、アマルへ向かって微笑んでみせた。
「見ていてください。そしてまた、間違った方向へ進みそうなときは、正してください。……竜巫女、アマル様」
次回、最終話です。