2‐1 金の贈り物
§
聖竜の言葉通り、皇国サニアにはたちまち雨が降った。
聖樹の花を使った精油によって、眠り病に罹患した人々は全員何事もなかったかのように目覚めた。大陸に平和が訪れたのだ。
すると、新たな問題が出てくるものが人の世というものである。
神域の森からアマルたちが帰ってきて数日後。
「はっ! とぅっ!」
「アマル様、腕をしっかり伸ばしましょう」
「おうっ」
「筋がいいですね! 流石です!!」
アマルは第五騎士団の鍛錬場にいた。団員たちに混じって基礎練習に励み、汗をかく。
そこへ現れ、呆然としたのは文官モードのセオドアである。眼鏡が、若干ずり落ちた。
「……何をなさっているのですか」
「おはよう、セオドア! 見ての通り、鍛錬だよ」
「何故誰も止めなかったのですか」
「アマル様がどうしてもって言うから」
げらげらと笑うのはエドワードだ。
彼の妻も、聖樹の花の香りで無事に目覚めた。体調が万全になったらアマルに会いたいと言われているそうで、アマルもその日を心待ちにしていた。
「団長こそ国王陛下に呼ばれてたんじゃなかったんですか」
「そのことでアマルを探していました」
「へ? あたし?」
アマルは首を傾げた。神域の森から帰ってきて以来、アマルとセオドアは名前で呼び合っている。
その件に関しては、エドワードだけが実に満足そうにして、セオドアから睨まれていた。
「陛下が直接、アマルに礼を伝えたいと言われています。急で申し訳ありませんが、今日、これから」
「それはかまわないけれど」
(誰も触れないけれど、国王陛下っていうのは……セオドアのお父さんなんだよな?)
クラド王国へ亡命した際には、聖竜を呼べない状態だったので、面会を求められることはなかった。
しかし諸々の問題は解決した。アマルこそ真の竜巫女だと証明された。面会の理由としては適切だろう。
「それでは、早速準備に移ってもらいましょう」
「失礼します」
「えっ!?」
どこからともなく現れた使用人が、左右それぞれからアマルの両腕を掴んだ。
「そんな状態で謁見するなんて言語道断です。湯浴みをしていただき、正装に着替えていただきます」
「う、うわぁーっ!」
抵抗むなしく、ずるずるとアマルは引きずられていく。
§
「……お待たせ」
たっぷりの時間と労力をかけて磨かれたアマルは、状態とは対照的にげんなりした表情でセオドアの執務室に現れた。
「ありがとう。竜巫女の衣装、作り直してくれていたんだな」
「クラド王国の正装でもよかったのですが、やはり、貴女は唯一無二の竜巫女ですから」
上質な絹で織られた半透明の衣装はゆったりとしている。サニア皇国の生地よりも滑らかな肌触りだ。
手首と足首は金色の輪で留められ、金剛石が堂々と光を放っている。石の形からして、亡命時の衣装から取り外されたものだろう。
栗色の布靴も基本は同じデザインだ。
丁寧に洗われた髪の毛は艶めき、後頭部の上の方でひとつにまとめられている。
「それに、この白は、貴女の肌の色がよく映えて美しい」
「ど、どうも」
(今、何て言った!?)
突然褒められたアマルはぎょっとしたが、セオドアは相変わらず淡々としている。
席から立ち上がると、アマルに近づいてきた。
「これも貴女に似合うと思って用意しておきました」
アマルが手にした黒く細長い箱を開ける。
中には金細工のスティックが納められていた。
よく見れば先端にいくにしたがって細くなる四角柱。彫られているのは様々な花だった。上品な輝きを放っている。
きれいとアマルが感嘆を漏らせば、セオドアは小さく頷いた。
「髪に挿してもよろしいでしょうか」
「うん」
すると向かい合ったまま、セオドアはアマルの後頭部へスティックを挿す。
ふわりと鼻腔をくすぐるのは、セオドアの纏うあたたかな香りだ。
(まつ毛、上も下も長いなぁ。瞳も宝石みたいにきらきらしてる)
至近距離に耐えられず、アマルは思い切り目を瞑った。
(顔がよすぎるせいで、ずっと見ていると目が潰れそうだ)
実に理不尽すぎる感想でもある。なお、アマルが神域の森でやらかしたことについては除外とする。あれはあれで緊急事態だったのだとアマルは己に言い聞かせている。
ようやく顔を上げられたのはセオドアが離れてからだ。
「想像通り、似合いますね」
「本当か? 肝心のあたしは見られないんだけど」
「私がその分眺めるから問題ありません」
「……っ」
(今、笑った!? セオドアが!?)
慣れない。
神域の森から帰ってきて以来、アマルに対するセオドアが甘い。優しい。恥ずかしい。
「おーい。いちゃつくのはいいが、そろそろ時間だぞ」
アマルを連れてきてずっと黙っていたエドワードがしびれを切らしたように口を挟んできた。
「いっ、いちゃついてなんかない!」
「これは公務です」
「はいはいはいはい。行きますよ、おふたりさん」
エドワードがひらひらと手を振った。
セオドアは聖剣を佩いていた。アマルが見つめたことに気づき、柄にそっと触れる。当然ながら普段の謁見で帯剣なんてしない筈だ。
「聖剣を持参するようにとの指示なのです」
「そうなのか」
「……それと、もうひとつ。大事なことを説明し忘れていましたが」
廊下を歩きながら、セオドアが口を開く。
「国王陛下は私の実の父です」
「おっ、おぉ……」
突然言われた分、アマルは心の準備ができていなかった。中途半端な返事になってしまったため、セオドアは察したようだった。
セオドアが、ふたりの後ろを歩くエドワードへ声をかける。
「エド。もしかして、アマルへ話しましたか」
「ちょっとだけな」
「であれば、話は早いですね。私と父は健全な仲とはいえません。私のことも、恐らく貴女のことも政治の道具としてしか見ないでしょう。不愉快なことを言われる可能性があるため、先に謝罪しておきます」
気まずさが廊下に流れかけるのを破ったのはアマルだった。
「もしそんなことになったとしてもセオドアに責任はないだろう」
「……そうでしょうか」
「そうだよ。セオドアと陛下が血の繋がった親子だとしても、別々の人間なんだから」
ぽんとエドワードがセオドアの背中を小突いた。
「だとさ。よかったな、テディ」
謁見の間の扉前に到着すると、エドワードは仰々しく頭を下げた。
「俺はここまでだ。ふたりともがんばれ、って、まぁきっと大丈夫か!」