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「……で、どうなったんです?」
「聞かないで、ナフィ…………」
モードウェンは呻き、長椅子に突っ伏した。お行儀が悪い、という叱咤の声は聞かなかったことにする。
明けて翌日の昼。大きな舞踏会に出ておきながら踊らなかったどころか誰とも会話さえしなかったにも関わらず疲労困憊したモードウェンは、昼前までぐったりと死んだように眠っていたのだ。のっそりと起き出して紅茶をすすり、ナフィにあれこれ聞き出されてあらかたのことを話し終え、今に至る。
「……そもそもお嬢様、踊れないでしょう? だから申し上げましたのに。少しでもいいからダンスのレッスンをお受けになってはと」
「……それ以前の問題だったの。人垣がすごくて、近付くことさえできなかったんだから」
警告をどうやって伝えようとあれこれ考えてみたのだが、完全に無駄だった。一言も交わせなかった。顔さえ見られなかった……ことについては、まったく残念に思わないが。
「本当にもう、どうしよう……」
お披露目は流れるわ、幽霊の青年から重荷を託されるわ、さんざんだ。
だが、状況が変に噛み合ったのは確かだ。お披露目まではどのみち王宮に滞在しなければならないのだから、伝言を届けるための時間ができたと思えばいい。キースの事件について調べるのは難しいかもしれないが、墓参ができるならしたい。墓が王宮になければまたの機会を探すが。
(キースの事件って、夏だったのよね……)
今は秋の終わりだ。王子の危険がどのくらい切迫したものか分からないが、できるだけ早く伝えるべきだ。しかし、どうしたものか。
悩んでいると、勢いのよいノックの音がした。返事をすると、リーザが息せき切って飛び込んできた。
「お嬢様! 指輪の持ち主、見つかったそうです! お礼のお手紙を預かってきました!」
「早くない!? もう見つかったの!?」
モードウェンは驚き、むくりと体を起こした。
拾った指輪をリーザに託したのは深夜のことだ。ベッドに潜り込む前に指輪のことを思い出し、王宮内の遺失物管理所に届けるように書き置いて、机の上に置いておいたのだ。朝にリーザがそれを見て届けてくれたのだろうが、それでも早い。持ち主は前々からその指輪を探していて、管理所にも届け出をしていたのだろう。
王宮はとにかく広大なので、そういった場所も設けられているし、王宮内専用の郵便制度があったりもする。たいがいの物は買えるし、食事を届けてくれるサービスもある。便利な場所なのだ。……お金さえあれば。
「はい! これがお手紙です!」
見た目は普通の封筒だ。サインもなく、封蝋に特徴もなく、差出人は分からない。受け取って封を切り、入っていた便箋を広げてみると、ふわりといい香りがした。
ナフィが覗き込んで首を傾げる。
「……差出人がイニシャルですね」
手紙にはお礼の言葉と、ぜひとも会って直接お礼を言いたい旨のことが書いてあった。いくつか日時が示してあり、できればこの中で都合のいい時を教えてほしい、指定の場所で会いたい、返答は遺失物管理所の人に託してほしい、とある。
上質な紙に美しい筆跡で記されているが、これだけでは誰だか分からない。モードウェンは宮廷人をほとんど知らないし、王宮には貴族以外にも、嫌になるくらい多くの人がいるのだ。
「Pって……誰だろう」
数少ない知り合い――モードウェンのというよりも、ゼランド男爵家の――を思い浮かべるが、誰も当てはまらない。知り合いにはいないはずだ。
「お嬢様、お手紙に書いてある『水妖の庭』って、王宮の奥の方ですよ。噴水がすごく綺麗で、ロマンチックな場所なのだとか」
「リーザ、知ってるの?」
「噂話で聞きました。でも、許可と予約が必要で、そう簡単には立ち入れない所らしいんです」
王宮に滞在してまだ日が浅いというのに、リーザはすでに情報をいろいろと仕入れているようだ。既にモードウェンよりも詳しいかもしれない。
「そんなところに呼び出せる人って、貴族の中でも上の方の人なのでは……」
「筆跡は女性っぽいですし、香りも甘い香水ですし……高位のご婦人でしょうか。同性としてお近付きになれたら人脈が広がりますね」
ナフィとリーザが口々に言う。モードウェンは溜め息をついた。
「……行くしかなさそうね。断ったら失礼に当たりそう」
それに、もしかしたらこの縁で、第二王子カイウスに繋がる道が開けるかもしれないのだ。モードウェンは机に向かうと、手紙を受け取ったこと、招待を受けたいということ、明日の昼過ぎ――手紙に示された日時のうち、最も早いもの――に伺う旨をしたためて封をし、リーザを再び使いに出した。
どんな人物か分からないうえ、かなり高位である可能性もある相手だ。さすがにモードウェンもわきまえ、普通のドレスを選んで身に付けることにした。
「……お嬢様のおっしゃる普通は、王宮基準では地味すぎかつ質素すぎかつ流行遅れすぎですけどね……」
ナフィはぼやくが、モードウェンは軽く聞き流した。ゼランド家のことなど誰も気にしていないのだから、こちらだって相手のことを過度に意識する必要はない。紺色のドレスを纏って髪を最低限ととのえ、モードウェンは王宮の奥に向かった。
何があるか分からないから、リーザには部屋で待機してもらっている。もしも時間内にモードウェンが戻らなければ――話が長引いたら伝言を頼むつもりだ――、すぐに王宮内の衛兵に伝え、ゼランド領にも使いを走らせるように言い含めてある。ナフィにはついて来てもらうことにして、もうひとり従者を頼んだ。ゼランド家と交流のあるマルボー家の護衛を借り、一緒に来てもらうようにしたのだ。
護衛は王宮に慣れた壮年の男性で、水妖の庭への案内も請け負ってくれた。王宮の構造についての説明をときおり挟みながら、つねにモードウェンを視界の端に入れるように気を配ってくれる。
庭というから地上だろうと思っていたが、目的の場所は建物の屋上にあった。温室になっているのだろうか、硝子張りの空間だ。入口を守る衛兵に招待状代わりの手紙を見せると、兵は頷いて戸を開いた。
「お連れの方はこちらでお待ちください」
衛兵は庭に隣接する小庭のようなところを示した。護衛とナフィがそちらに向かうのを横目に、モードウェンは水妖の庭に足を踏み入れる。
晩秋の昼下がりの日光がガラスを透かして少し鋭さを和らげ、寒さから隔てられた空間に草花が育っている。モードウェンにはよく分からないが、この時期に花が咲いているのは相当な労力をかけているのだろう。常春の楽園を意識しているのだろうか。
水音がするのにも気付く。見回すと浅い水路があり、小径に沿って続いている。遡って辿っていくと開けた場所に出た。中央に噴水があり、硝子が砕けたような飛沫が日差しに煌めいていた。噴水の中には青年像が立っており、振り返るような仕草をしている。
「水妖に魅入られた半神の像よ」
足音とともに、美しい声がした。