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青年はキースと名乗った。ネアーン伯爵家の三男で、第二王子カイウスの従者を務めていたという。王宮内の情報に疎いモードウェンは知らないことだったが、今夏に王宮内で事故死したとされているそうだ。
「でも、違うのです。私は……殺されたのです」
そう語る青年は、その時の苦しみを思い出したのか、ひどく辛そうだった。体が小刻みに震えている。
モードウェンは口を挟まず、黙ったまま待った。急かすことはせず、さりとて励ますこともせず、ただ静かに待つ。そんなに辛いなら話さなくていいと止めるのも一つの優しさかもしれないが、それは彼が望むことではないだろう。伝えたがっているのだから、こちらはそれを受け止めるだけだ。
「……失礼しました」
少し気分がましになったらしい青年が謝る。幽霊に肉体的な不調は存在しないが、生前の意識に引き摺られることはある。そもそも形を保っているのが生前の意識を保っていることの証左だ。モードウェンは首を横に振った。
「座った方が話しやすければ、そうする?」
花壇の縁を指して尋ねる。キースは虚を突かれたように瞬いた。
「……幽霊って、座れるのですか?」
「座ろうと思えばね。触れることはできなくても、そこに物があると認識すれば座る格好はできる。今だって、普通に歩いていられるのは、無意識に地面を認識しているからなのだし」
「なるほど……」
納得した様子で、キースは確かめるように地面を踏みしめて歩き、花壇の縁におそるおそる腰をかけた。モードウェンも、横に並ぶようにして腰を下ろす。
「しかし、詳しいですね。言っては何ですが、当人の私よりも、幽霊のことをよくご存知でいらっしゃる」
「まあね」
モードウェンは肩を竦めた。靄が見えるのは昔からだが、幽霊を見たり話したり出来るようになったのは五年前からだ。この五年間、結構な経験を積んできている。
「人の思いは普通、死に際して散じてしまうものだけど……強い心残りがある場合は、人の姿形を留める場合もある。それが幽霊。だから、未練を解消すれば天の御国へ行けるはず。未練を残したままであっても、時間が経てば同じこと。未練の強さにもよるけど、姿を保って留まっていられるのは長くても数十年というところじゃないかと思うわ」
姿形を保ったまま本来の寿命以上に現世に留まる幽霊にはお目にかかったことがない。残滓である思念はどうか分からないが、さらに短いかもしれない。どうあっても消えてしまうものなら、未練を解消する手伝いをした方がいい。少しでも長く現世に留まっていたいというなら放っておくが、幽霊というものは本質的に不安定で、闇を寄せ付けやすい。無害な幽霊が有害な悪霊に変化することもある。不自然な形で長く留まっていいことはないのだ。
「ところで……殺された、と言ったわね。誰に?」
あまり期待せずに尋ねる。いまわの際のことは詳細を覚えていない場合も多いからだ。記憶が苦痛に塗りつぶされ、前後関係さえ定かに分からなくなるらしい。
案の定、キースは首を振った。
「……分かりません。私を襲ったのは、たぶん男性ではないかと思うのですが……」
でも、とキースは顔を上げた。
「これだけは覚えています。カイウス殿下が危ない。殿下は命を狙われておいでです。私は事故で死んだのではなく、殿下を狙う者によって殺された。それだけは確かです。それを伝えたくて……」
モードウェンは頷いた。おそらく、それがこの青年の心残りだ。記憶があやふやでも、その一念だけは強く残っているのだ。
「私を殺したのが誰であったか、もう私にとってはどうでもいいことです。知っても生き返ることができないのですから。でも、殿下が危ない。私を襲った者が、殿下まで手にかけるのは耐えがたい。どうか、危機を殿下にお伝えしてほしいのです」
キースは真摯に言い募る。モードウェンは答えに窮した。
言うまでもなく、モードウェンは第二王子と面識が無い。伝手も無い。だが、無碍に断るのも躊躇われた。
同時に、違和感が頭をかすめる。しかしそれを掴む暇もない。目の前には真剣な顔をして自分を見つめる美青年の幽霊がいる。
(どうしよう……)
沈黙するモードウェンに、キースは頭を下げた。
「どうか、お願いします」
その姿が薄れていく。
「って、ちょっと待って!?」
モードウェンは焦って声を上げたが、どうにもならない。心残りを果たした――モードウェンに託した――ということだ。
破れかぶれでモードウェンは叫んだ。
「分かったわ! 王子のことは任せて!」
キースは頭を上げて微笑んだ。そして、それが最後だった。ふつりと糸が切れるように、存在が掻き消える。モードウェンは頭を抱えた。
(どうしろって言うのよ……)
庭園の道をとぼとぼと大広間の方に戻りながら、モードウェンは何度目になるか分からない溜め息をついた。
(第二王子の、カイウス殿下……? 雲の上の人だわ……名前くらいしか知らないし……)
一体、どうやって接触すればいいというのか。末端の男爵家の娘がお目通り願ったところで門前払いだ。社交界でのお披露目ということで国王陛下を拝する機会は頂けるが、とうぜん衆目のあるところで短時間だけのことだ。王子への伝言を頼むなどできるはずもなく、そもそも国王を伝言役にというのは無理がありすぎる。考えたくないことだが、国王が関係していないという保証もない。
キースの事をほのめかして手紙でも書くか。いや、下手なことを書けば悪質な悪戯と判断されて罪に問われかねない。本人に届く前に中を検められる可能性もあるし、モードウェン自身に危険が及ぶかもしれない。
(さっさとお目通りを済ませて帰るつもりだったのに……)
厄介事を背負い込んでしまった。王宮に来たばかりのしがない男爵令嬢に、王宮の中心にいる第二王子のもとに辿り着けなんて、ちょっと荷が重すぎないだろうか。
下を向いて歩いていたからだろうか。モードウェンは石像の足元近くに、なにか淡く光るものがあるのを見つけた。台座と石像の服の襞の間に嵌まり込んでいる。思念を纏って光っていなければ間違いなく見落としてしまっただろう。
不思議に思って指を差し入れ、取り出してみると、古い大ぶりな指輪だ。どのくらいの価値があるものか分からないが、親から子へと受け継がれてきた歴史あるもののように見えた。磨けば光るのだろうが風雨にさらされてくすんでおり、それなのに白く光って見えるのは、これに思念が纏わりついているからだ。しかし、悪いものには見えない。
(誰のものだろう。由緒あるものかも……)
何にせよ、このまま放っておくのは忍びない。適当なところに届け出ようと考え、モードウェンは指輪を懐に仕舞った。キースの厄介事を肩代わりした今、このくらいの面倒はもはや物の数に入らない。
しばらく歩いて庭からテラスに上がり、再び大広間に入る。今度はなるべく人々を見ないようにして遣り過ごそうと思ったのだが、なんだか辺りがざわついている。




