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「侍女なら……います。ナフィという者が」
「そうなのか? なにか必要があって外へ出ているとか、そういうことか?」
部屋と使用人を用意してくれたカイウスはモードウェンの使用人事情を知っている。モードウェンの用を果たしていたのがリーザ一人だったことを。
「いいえ。ナフィは……幽霊です。十五歳ですが、私よりも年上です」
今年、二十歳になるはずだった。……あの災禍で亡くなっていなければ。
カイウスが息を呑んだ。
「金髪で、小柄で、すごく可愛い子です。町の有力者の子供で、兄弟でゼランド家に来ていたのです。私たち兄弟の遊び相手として、長じては仕えるようにと」
もともと年上だっただけあって、ナフィはモードウェンにいろいろと容赦がない。姉のように世話を焼きたがるし――モードウェンの実の姉と同じ年齢だった――、言葉に遠慮がない。主従というより姉妹だった。もちろんモードウェンが妹の側だ。
看取りたくなんてなかった。でも、彼女は幽霊として現世に残り……モードウェンに憑くようになった。生きていたらするはずだったように、侍女として近くにいてくれた。
幽霊だから当然カイウスの前には出られないし、舞踏会など人が大勢いるところで姿を現すこともできないし、自室であっても何人もの使用人がいる中では出てこない。モードウェンが人込みを苦手とするのは、単に苦手だという理由はもちろん大きいが、ナフィといられないからということもある。同じ理由で、大勢の使用人にかしずかれる立派な部屋での暮らしもできれば遠慮したかった。
「彼女も……彼女の兄も。本当にいい子でした。失われていいはずがなかったのに……」
「…………」
「あ、殿下を責めているわけではありませんよ!? 恨むこともしませんから!」
「……分かっている。だが……君は本当に、たくさんのものを失ったのだな……」
「……ええ、そうですね」
領主一家は率先して対応に当たったから、周りでは残った人の方が少ないくらいだった。
カイウスは沈痛な顔をしていたが、ややあってためらいがちに尋ねた。
「その……ナフィという娘の兄のことだが。特別な仲だったのか?」
モードウェンの口ぶりから何か察したらしい。苦笑して答えた。
「特別も何も、私はそのとき十二歳ですよ? まあでも、特別に思ってはいました」
本人には気付かれていなかったくらいの、淡い初恋だ。さすがにナフィの目はごまかせなかったが。
本人には絶対言えないが、少しだけカイウスに似ている。カイウスの容姿が苦手なのはそのせいもあった。
(五年も前の記憶だから、よけいに印象があやふやになるのかも)
彼はこんなに性格が悪くなかったはずだが。
「彼は……いま君の近くにいるのか?」
「いいえ。天の御国に昇ったはずです」
それでよかったと思う。強い執着をモードウェンに残してくれたらと願ったこともあったが、さっぱり振られたようなものだ。
「そうか……。キースを思っていたわけではないのだな」
「?」
いきなりキースの名前が出てきて首を傾げたが、カイウスはもしかして、モードウェンが幽霊に心を残していることを察していたのかもしれない。
「そういえば、殿下は仰いましたね。生きている人に目を向けたっていいのではないかと」
「……。君の気持を分かっていなかった」
「いえ。諭していただいたと思っています」
「そうよ。さすが王子様、いいことを仰るわね」
「ナフィ!?」
不意にナフィが宙へ現れた。カイウスもいるこの場で。モードウェンは慌てた。
「すぐに離れて! そうでないと……」
王族特有の強烈な光輝は幽霊の天敵だ。存在を掻き消されてしまう。
カイウスが驚いた顔をしているが、そちらを気に掛ける余裕がない。どんな気まぐれか分からないが、ナフィをこの場から離れさせなければ。そうでなければモードウェンはこの先一生ずっと――彼女と会えなくなってしまう。
だが、ナフィは微笑んだ。
「消えたっていいの。消えるべきなの。分かっているでしょう? 私の心残りを」
「…………分からないわ」
「また、そんなことを仰って。頑固なのは昔から変わりませんね」
嫌々をするようにモードウェンは首を振った。心は理解を拒んでいるが、頭で否応なく理解してしまう。
ナフィがモードウェンの傍にいたのは、死の側を見つめ続けるモードウェンを心配したからだ。生きた者に目を向けてほしいと案じていたからだ。
……分かってはいたが、気持ちは変えられなかった。
……それに、変えてしまったら……ナフィがいなくなってしまう。
(ずっとあのまま、ゼランド領で、何も変わらずに……暮らしていければ、それでよかったのに……)
それでは駄目なのだと、もうモードウェンは気付いてしまっている。――変わってしまっている。
前を向きたいと――望んでしまっている。
唇を震わせたモードウェンに、ナフィは仕方ないなとでも言いたげに微笑み、モードウェンが引き留めるのを封じるように唇に指を当てた。
もちろん感触などないが――暖かいと感じたのは、気のせいだったのだろうか。
「じゃあね、私の可愛いお嬢様。王子様と仲良くね。……この子を悲しませたら、承知しないから」
カイウスを振り向いてナフィが言う。何も聞こえていないはずの彼はなぜだか寒気がしたように身を震わせた。
「待っ……」
引き留めようとして、モードウェンは言葉を飲み込んだ。かけるべき言葉は、それではない。
「……ありがとう」
ナフィは最後に微笑み、宙に溶けた。




