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いよいよ翌日がお披露目の降誕祭という日の昼、モードウェンはカイウスに呼び出されて再びイーノスと会うことになった。場所は銀楢宮の一室で、王族が私的に人を呼ぶための場所だ。
イーノスは一連の事件に関するモードウェンの働きに感謝を示した後、姿勢を正しておもむろに口を開いた。
「……これは私だけではなく、弟とも相談のうえで陛下に進言し、許可を頂いたことなのだが……ゼランド領に王立の施設を建てたいと思っている。僻地医療の拠点として。もちろん領主たるゼランド男爵の許可を受けられればであるが、君はどう考えるだろうか」
「……医療施設、ですか?」
「そうだ」
モードウェンは思わず聞き返し、瞬いた。たいした用件ではないだろうし、もうすぐ王宮を出るのだからと思って構えずに呼ばれたのだが、意外に重要な話だった。
本当かと問うようにカイウスの方を向くと、彼も頷いた。
「あの悲劇があったのも、そういった施設がなかったからだ。国境付近は重要で危険に晒されやすい状況に反して高度な医療へのアクセスが困難だろう。北部だけではなくほかの地域にも言えることだが、まずはゼランド領で始めたいと思っている。どうだ?」
「どうって、そんな……」
ゼランド領に土地は有り余っている。そうした施設ができればさまざまな仕事もできるだろう。困窮して停滞した土地へのてこ入れとして、ありがたい話でしかない。
「もちろん、いいお話のように聞こえます。こちらの負担がどのくらいかによりますが」
「まあ、ゼロというわけにはいかないが、低く抑えるつもりだ。具体的な金額は話し合いの中で決めていくつもりだが」
「それなら……父も、断らないと思います」
少なくとも、話を聞く前に却下するたぐいの案件ではない。上からの無理な押し付けというのでもない。単純に、実利と厚意で――おそらくは罪滅ぼしのためにも――提案された話だ。
じわじわと、モードウェンの胸に感慨が込み上げてくる。
もしもこの話が実現したら。ゼランド領もきっと変わらずにはいられない。そのくらい大きな話だ。停滞して閉塞感の漂う、しかし自然が豊かでモードウェンが愛する故郷が――いい方向に変わるだろう話だ。
変わるのは、領地だけではないかもしれない。
「父には先に私から話しておきます。そして、兄にも。次代の国王陛下がこう仰ってくださったことをお伝えいたします。一度、国に帰ってきてはどうかと」
イーノスが目を瞠り、微笑んだ。自然に零れた笑顔だった。
「ぜひ、彼に会いたいと伝えておくれ」
「分かりました」
父と兄も――領地や国への複雑な思いを抱える二人も――変わっていくかもしれない。
そう思うと、モードウェンの顔にも笑みが浮かんだ。それを見たカイウスが眩しげに目を細める。
この話が成れば、モードウェン自身ももっと国や王族に希望を持てる気がした。三人の王子王女はさまざまに一癖も二癖もあったが――まともそうに見えるイーノスも、癖の強い兄の友人をやっていられたのだからただ穏やかなだけの青年ではないだろう――悪い人たちではなかった。盲目的に信頼できるとは言えないし、そんなことがあってもならないが――見限って希望を捨ててしまうこともないのだと、そう思えるようになった。
認めたくはないが、カイウスからの影響も大きい。人々の中で輝いて、欲しいものを貪欲に狙いに行った方が楽しいと言い切って、誰よりも眩しかった彼のことが――いつの間にか、羨ましくなっていた。……本当に、認めたくはないが。
そんな二人の様子を面白そうに見ていたイーノスは、挨拶を述べて席を立った。
「じゃあ、君の父君と兄君によろしく。ゼランド男爵にも、またお目にかかる機会があったら嬉しいな」
「お伝えいたします」
モードウェンの言葉に頷き、イーノスが部屋を出る。
二人きりになった途端、なぜかモードウェンは今までになくもやもやとした気持ちに襲われた。
もうすぐ自分は王宮を出ていく。カイウスの「恋人」として傍にいる時間も終わる。あれほど望んだ解放の時だというのに――どうして、こんなに心が沈むのだろう。
「……春になったら」
カイウスが言う。
「男爵に話が通って、施設を作る決定ができたら。私も一度ゼランド領を訪れたいと思う。君のように、私も墓参りをしたいと思う」
「……勿体ないことです。きっとみんな……喜ぶでしょう」
死後に恨みを残す人がいなかったとは言わないが、そんな誠意を見せられたら思いも変わるかもしれない。王族の来臨は名誉なことだ。
「ゼランド領のことは、ひとまずこれだけだ。また改めて話を進めよう。……それで、君のことだが」
「私ですか?」
「ああ。君はお披露目を済ませたらすぐ領地に戻るつもりなのか?」
「そのつもりですが……?」
「もう少し王宮に残ってみないか? 君を手放したくない」
「…………!?!?」
真正面から求められ、モードウェンは目を見開いて口を無意味に開け閉めした。認めたくないことだが、頬が赤くなっているかもしれない。
「……えっと、それは、どういう……」
「君が面白いからだ。能力も、人となりも。もっと近くで見ていたい。言っただろう? 私は欲しいものを貪欲に狙いに行くと」
「…………!」
心がぐらついて考えがまとまらない。モードウェンは単なる弱小貴族の娘で、いてもいなくてもいい存在だと自分のことを思ってきた。それなのに、カイウスはこう言う。
ここまでで終わっていればいい話だったのに、カイウスはついでのように付け加えた。
「君はこの一連の事件で、陛下と周りに――王宮の中心にいる人々に――自分の危険性を知らしめた。幽霊が見え、彼らの持っている情報を得ることができる、王宮にとって諸刃の刃となりうる存在だと。情報がどれだけ貴重で危険で重要なものか、君は理解しているか? 正直なところ、私たちよりも君の方が身の危険を心配すべき立場になったのだが」
「帰ります!」
「むしろそちらの方が危ない。警備の緩い僻地で、君はどうやって身の安全を守るつもりだ?」
「…………!」
モードウェンの顔色が赤から青になった。身を守る手段なんてないし、下手をすれば父たちまで巻き込んでしまう。
「だが、私なら君を守ってやれる。今度こそ、ちゃんと恋人として」
「……そこまで許した覚えはありません!」
なしくずしに距離を縮めようとしてくるカイウスに反論し、モードウェンは深く息をついた。
「……とりあえず、しばらく滞在させていただきます。それこそ、殿下がゼランド領へお越しになる時くらいまでは。その間に色々と考えます……」
「ひとまずはそれでいい」
悠然と頷くカイウスに、また彼のいいようにしてやられたと内心で歯噛みをする。
だが、彼の調子が変わらないのは気が楽だった。性悪ぶりを見て安堵するなんて、自分もたいがいどうかしていると思うが。
……認めるのは癪だが、モードウェン自身も、もう少しカイウスの近くにいたいと思う心を否定しきれない。このまま領地に戻ったら空虚さを感じると思うのだ。彼に倣って、もう少し貪欲になってもいいのかもしれない。
「ところで、君は王宮に残ることになったわけだが。唯一の使用人はアーガイル公爵家へ行くのだろう? 自前の侍女もいないのだから、人を増やそうか」




