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 金樫宮は居住用の建物ではなく、儀礼的な場所だ。大広間があり、謁見の間があり、歴代の国王の肖像画が並ぶ回廊があり、国宝が納められた宝物庫がある。

 樫の名前を建物に冠するのは、まだ王宮の規模がそれほど大きくなかった時代、王宮が栄えるようにと願って建物それぞれを森の木に擬して呼んだ時代の名残だ。あるいは、人が集まる場所は必然的に自然が少なくなるものだから、少しでも自然を感じたいという意識の表れかもしれない。

 モードウェンが初めて金樫宮を目にしたのは夜のことだったし、舞踏会に出席する極限状況での緊張状態でまわりの様子を見る余裕などとても持てなかったが、改めて見てみると美しい建物だった。審美眼にまったく自信のないモードウェンの目にも美しく映る、秋の夕暮れの日差しに金色に輝く樫を思わせる佇まいだ。大きな窓や出入り口の意匠が木の枝や葉を模しており、枝にはどんぐりが生っていた。壁際の明かりの台に栗鼠が象られたりもしていて、ゆっくり眺めるだけでも楽しいだろう。

 だが、今はとてもゆっくりしている場合ではない。金樫宮に近付くにつれて行き交う人も多くなり、少年も姿を消したりまた現れたりし、ついにはこれ以上案内できないと入口のところで消えてしまった。ナフィも当然付いてこられないので、これから先はモードウェンが一人で行くしかない。

 だが、さっそく問題が発生した。大広間のある一階はともかく、二階以上は謁見を願い出た者か、それこそ王族や高位の貴族くらいしか上がれない。警備の者に扮するのはどうかと一瞬血迷って考えたが、当然のごとく却下だ。

(どうしよう……)

 謁見を願い出ても、即座にというわけにはいかない。待たされるのが普通だし、そもそも今は国王陛下が謁見を受け付けていない。近しい者になら会えるくらいに回復しているようだが、当然モードウェンはそのくくりに入っていない。

(カイウス殿下のお名前を借りられるかしら……)

 そのくらいしか思いつかない。本人を捕まえられたら話が早いのだが、先ほど別れたときに忙しそうにしていたのを思い出すと、彼を呼ぶのは難しそうだ。国王陛下の危機だと言えば来てくれるだろうが、ここを離れて彼を探す時間も惜しい。

(秘密さんは何も言わなかったけれど、私の推測が正しければおそらく……)

 思いを巡らせて焦りを募らせるモードウェンに、背後から美しい声がかけられた。

「そこで何をしているの?」

 美しい音楽的な声で分かった。水妖の庭で会った、第一王女プレシダだ。言葉の内容とは無関係に威圧感が滲んでいるのも特徴的だ。

「王女殿下……」

 やましいことは何もしていません、と思わず言いたくなるのを堪えて礼をとる。

 鷹揚に頷くプレシダの横には、どこか陰のある雰囲気の貴公子が寄り添っている。距離感から察するに、彼がおそらく王女の婚約者だろう。アーガイル公爵の子息だ。

(あの指輪……)

 その青年の指に嵌まっているのは、モードウェンが拾った指輪だろうか。

 モードウェンの視線を逸らすようにプレシダが少し前へ出た。

「この人は私の婚約者。アーガイル公爵家のディーンよ」

「お見知りおきを」

 軽く会釈し、青年が低い声で言う。眩いばかりのプレシダの横に並ぶと、少し暗めの髪色もあいまって陰のある雰囲気が強調されるが、嫌な印象は受けない。身分が低いモードウェンを見下すような様子もない。彼の父親からは椅子でも見るような関心のない眼差しを向けられたのだが、息子は性格が異なるようだ。

「この子は……」

「紹介いただかなくても分かりますよ。ゼランド男爵家のご令嬢でしょう。母から少しお話を聞いています」

 紹介しようとした王女の言葉を遮り、ディーンは言った。

「公爵夫人から……?」

 彼の母親のカリンとはお茶会で顔を合わせた。明るい雰囲気で話好きな印象の人だったから、食事を共にする席で息子に話でもしたのだろう。モードウェンの霊能についてはあまり広めないようにと一応言ってあるのだが、人の口に戸は立てられないだろうと諦めている。幽霊が見えることまでは知られていないはずなので、広まってもあまり困らないだろうとは思うのだが……。

(……いや、困るかも。思念が見えるということだけでも、助けを求められたりする機会があるかも……)

 なにせここは王宮だ。人間関係のしがらみもいざこざも嫌というほどある。そして、モードウェンは困った人の頼みを断れない。

 そう考えて恐々とするモードウェンの内心を知らずに、ディーンは慇懃に言った。

「母や、母の友人たちがお世話になったとか。私からもお礼を」

「いえ、そんな! 公爵夫人には本当に何も……。こちらこそ、美味しいお菓子をお勧めいただいて……」

「母のおしゃべりに付き合ってくださっただけでも有難いですよ」

 社交辞令のような言葉を交わす二人を、プレシダが少し警戒するように観察している。そういえばモードウェンも妙齢の乙女ではあるが、他人の婚約者、それも第一王女の婚約者に恋慕するようなことはないから杞憂だ。

 カイウスにつけられた使用人に磨かれ、彼から贈られたドレスを身に着けたモードウェンは、第一王女に警戒心を引き起こさせるくらいの容姿になっているのだが、本人だけは気付いていない。

「それで、今日はどうしてここへ? 今はとくに催し物もありませんが」

 王女と同じことを問う。答えの持ち合わせがないモードウェンはうろたえて視線をさまよわせた。

「えーと……」

「不審者として警備兵に突き出すわよ」

「一階部分になら居てもいいはずですよね!? じゃなくって……」

 思わず声を高めて突っ込むように言ってしまい、はっとして言葉を探す。

「ええと、その……ネアーン伯爵に用があるのです。今は国王陛下とご歓談中だと思うのですが、どうしても急ぎの用があって……」

 「秘密さん」に確かめたのだが、やはり今、行動を起こそうとしているのはネアーン伯爵のようだ。捕らえられたボネア公弟が脱獄したとか、手の者を使って何かしでかそうとしているとか、そういうことではないらしい。

「ネアーン伯爵?」

 片眉を上げ、訝しがるようにプレシダは言った。モードウェンは頷く。国王陛下を助けたいという用があるのだが、伯爵に対しての用があると言っても間違いではない。

「……義父上は今、金樫宮にいないわよ?」

「アーガイル公爵ですか? そうなのですか。でも、お話と何の関係が……?」

 突然アーガイル公爵の名前を出したプレシダに、モードウェンは首を傾げる。たしかに彼は国王陛下毒殺未遂で疑わしい者として名前が上がっていたが、それはもう解決が近いはずだ。

(……そういえば、キースのことも……公弟だけでなく、さまざまな人の思惑が絡んだ事件だったはず。もしかしてアーガイル公爵もどこかで関係しているの……?)

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