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 しん、と沈黙が落ちた。モードウェンに警戒の眼差しを向けていた護衛も言葉をなくしている。

 ややあってカイウスがぽつりと言った。

「……だから君は、他人を助けるんだな。他人を助けてきた経験があるから、助けを求めて得られなかった経験があるから……」

 本当に必要としているときに助けを得られず、絶望の中で戦っていた記憶が傷口として生々しく残っている。だからモードウェンは何だかんだ言いながらも他人を助けてしまうのだ。キースしかり、カイウスしかり。後者は助けを必要としていたふりをした挙句、餌として使ってくれたわけだが。

 思い返すと腹が立ってくる。もう一発殴ろうとはさすがに思わないが、悪いことをしたとも思わない。

「謝りませんよ」

「ああ。不敬だが、先に失礼を働いたのはこちらだからな。それでいい」

 なんてこともないようにカイウスは言うが、芸術品のような顔をぶん殴ったのはさすがに色々とまずかったかもしれない。やってしまった、と思わなくもなかった。……すっきりしたのも事実だが。

「……大丈夫ですか?」

「少しくらくらするが、休めば大丈夫だろう。殴った君が心配するのか?」

「殿下を傷つけたかったわけではありませんから。顔面への打撃は危ないですが、顎ならまだましです。鼻を潰すのはさすがに思いとどまりました」

「…………君は変なところで冷静だな……」

 自分の鼻を庇うように軽く手で覆い、腰が引けたようにカイウスが言った。

 鼻は軟骨が多くて潰れやすいし、打撃のインパクトに反して危険は低いが、それでもさすがに国の至宝たる第二王子の鼻を整形させるわけにはいかない。国家の損失だろう。

 文字通り鼻っ柱を折ってやったらどんな顔をするのだろうかと少し考えたのが伝わったのだろうか、カイウスが再び謝った。

「君が能力を得た経緯については理解した。私の考えなしな発言が君とゼランドへの侮辱になってしまったことも今なら分かる。そんな意図はなかった。本当に申し訳なかった」

「…………いえ……」

「許せないだろうか。だが、これは王家の意見でも何でもない。ただ私が浅はかだっただけだ」

「…………」

 言葉を探す様子のモードウェンに、カイウスが真摯な表情を向けた。

(許す許さないで言ったら、もうとっくに許してる。やりすぎたのに怒らないどころか、ちょっと度量が広すぎない……?)

 言葉を返せないでいるのは、驚いているからだ。どう考えていいか分からないからだ。

「…………王族の方はそう簡単に謝らないものだと思っていましたが」

「個人的なことなら別だ。それに、ゼランドのことに関してもそうだ。ゼランド領を見捨てる形にしないようにと兄は色々と手を尽くしていたのだが、私は何もしなかった。表面的な状況把握だけで陛下のご決定に従った。その罪は重い」

 自分を責めるようなカイウスに、モードウェンは思わず反論の声を上げた。

「……いえ! それは……そこまで殿下に責任を負っていただこうなんて思っていません。だって殿下は、当時まだ十三歳だったでしょう」

「それを言うなら、君は十二歳だった。それなのに地獄のような経験をして、様々なものを失って、霊能力を得て……十二歳の子供がだ。それを背負わせてしまった責任の一端はたしかに私にある」

「私は当事者でしたから……」

 言いながら、改めて思う。モードウェンもカイウスも、ほんの子供だったのだ。モードウェンは今年、カイウスは去年、成人をやっと迎えたばかりなのだ。

 カイウスも同じようなことを思ったらしい。軽く息をつくようにして、モードウェンを軽くエスコートして椅子に座らせてくれた。自身も向かいに座って、仕切り直そうということらしい。

 気付いてみれば喉が渇いている。激昂して、様々なことを縷々話して、それは喉が渇いて当たり前だ。冷めたお茶を取り換えようとしてくれる使用人を断って、冷めているのを幸いとそのまま呷るように流し込む。カイウスはそんなモードウェンに苦笑しつつ、こちらもいつもよりも少し砕けた仕草でお茶に口をつけた。

 冷めても美味しいお茶を飲みながら、王宮の中心部の部屋にいるのがなんだか不思議な心地がする。五年前は深い暗闇が終わることを願いつつ、いつか終わることを信じ切れずにいたのだが、本当に状況は変わるものだ。

「……つらい時、いつも考えていたんです。たとえ今がどれほど苦しくても、つらくても、夜には暖かい寝具にくるまって何もかも忘れて眠っているのだろうから、って。そう思えば今をやり過ごせました。……夜に眠れない時もありますし、寝具なしで椅子に座ったまま眠ったりすることもありましたが、まあそれはそれで。ともかくも眠るときには何も考えずに、何も考えられずにいられるのだし……亡くなった後もそうだろうと思えば、今の支えになるような気がします」

 だからこそ、不自然な形で留まっている幽霊たちのことを何とかしてあげたいのだ。墓地の管理人を自ら任じるのはそういうわけだ。

 お代わりの暖かいお茶のカップを包むように持ち、目を伏せて語るモードウェンに、カイウスが苦笑のような違うような複雑な笑みを向けた。

「君の達観と、王宮の貴族とは違う雰囲気の理由が少し分かった気がする。君は死を見てきて、死に近くて……現世での権勢や財産や、そういったことを……まったく望んでいないのだな」

 より高い立場を、より多くの財産を、名声を、権力を、恋愛を。そういった生きる上での欲望が欠けているモードウェンは、貴族というより修道者のようだろう。

(自分で言うのはおかしいけれど、貴族って嫌いだったくらいだもの。王族も同じ。下の者を顧みず、踏みつけて、欲望ばかり肥大させていって……でも、それは偏見だったのかもしれない)

 自分でも驚いたことに、そうした王侯貴族のほとんど最上位に位置するカイウスが、嫌いではないようなのだ。顔がよくても性格は悪いし、人をなんだと思っているのだと言いたいことも多いが、それでも、嫌いになれない。

 モードウェンは自覚していないことだったが、自分の怒りを受け止めたカイウスにある種の感銘のようなものを受けていたのだ。

 彼こそ、そういった現世の欲望の目指すところにいるような人物なのに。立場も財産も名声も権力もあり、色恋だって思いのままだろう。

(…………?)

 そう思うとなぜか胸の奥がざわつくような気がするが、気のせいだと思い直してモードウェンはお茶を啜った。

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