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「言っておくが、お茶会に出席していた公妹はいまのところ犯罪に関与していた証拠が出ていない。公弟と結託して君に悪意を抱いていたとは限らないから、そこは分かっておいた方がいい」
「それはまあ、いいのですが……。それよりも殿下、私を餌にしましたね?」
考えたり調べたりといった能動的なことをモードウェンに期待したのではなく、単に「第二王子に近い新参者」として扱った。要するに、誰でもよかった。
「協力者として求められたと思ったのですが。協力者とは、普通そういう意味ではないのでは……?」
「本来の意味でももちろん期待していた」
(嘘つけ……)
カイウスの笑顔に向かって内心で毒づく。カイウスはモードウェンの内心を読んだかのように言った。
「嘘ではないぞ」
「…………」
「本当に、嘘ではない。君の霊能についても疑っていたことを謝る。おかげで助かった」
「あれは、悪意があからさまだったので。よくないものだと一目で分かりました。毒そのものが分かったわけではないので、仕掛けた人がその場にいなかったら分からなかったかもしれません」
「それでも充分だ。よくやってくれた。君の能力は使える」
――よくやってくれた。
――使える。
カイウスは何も不自然なことを言ったわけではない。この話の流れから見て普通の言葉選びだろう。
だが、モードウェンの神経を逆撫でした。
「便利な能力だから――」
それ以上は言わせなかった。モードウェンは拳を握り、第二王子殿下のご尊顔を思い切り殴った。顎に拳が入り、脳が揺らされて軽い脳震盪を起こしたらしく、カイウスがその場に頽れる。
「…………っ!!!」
「なんてことを……! ……っ!?」
控えていた使用人――外見は何の変哲もない女性使用人だが、訓練された護衛なのだろう――が咄嗟に動き、モードウェンを取り押さえようとした。
だが、モードウェンがそちらを向いただけで彼女は怯んだ。底冷えのするような目をしつつも、殴り倒したカイウスに追撃を加えようとしていないモードウェンの様子に、咎めるよりも王子の手当が先と判断したらしい。カイウスの傍に屈み込み、体の具合を確かめようとする。
「……っ、大丈夫、だ……」
意識は失っていなかったらしい。カイウスは声を出し、使用人を制した。億劫そうにその場で座り直し、モードウェンを見上げる。
ちょうど彼を見下ろす格好になっているモードウェンだが、不敬だとかかわいそうだとか、そんな気持ちは一切感じなかった。これで咎められるようなら、王家のことは見限る。そんな王家は滅びてしまえばいい。権力もなく資産もなく生身では何もできないモードウェンだが、死してなお力がないままだとも限らない。死の世界に近い自分であれば、王族にだって取り憑ける幽霊になるかもしれない。恨みと悪意の限りを向けて、悪霊になることだって厭わない。
(……だから、王宮に来るのは嫌だったのに……)
心の中で一片だけ残った冷静な部分が、諦めたように嘆息する。
モードウェンが王宮に来ることを避けたかったのは、他者の悪い思念に触れるのが嫌だったからだけではない。
自分がそういうものを発してしまうのが、自分がそういう存在になってしまうのが、嫌で怖かったからでもあったのだ。
(……でも、もういい……)
心の中の捨て鉢な部分が、そう諦める。どうせモードウェンはこういう存在なのだ。王族はすべてを見捨て、踏み潰していくだけの傲慢な存在なのだ。
――そう思っていたのに。
「……すまなかった」
カイウスが謝罪し、頭を垂れたのに驚きすぎて、一瞬で毒気が抜かれた。何も反応ができない。
「君が何を怒っているのかは分からない。だが、何かとても大切なものに私が触れてしまったことは分かる。だから、謝罪する」
「…………何も、分かっておられないのに?」
「分からない。だが、君自身のことなら少しは分かる。馬鹿がつくほどお人好しな君がそこまで怒るのは、自分以外の理由があるのだろう?」
「…………――」
モードウェンはしばし目を瞑った。頭が急速に冷えていく。間違ったことをしたとは思わないが、せめて説明が必要だということは認めた。
「……よくやってくれたとお褒めいただきましたが。使えると、便利だと評してくださいましたが。……私のこの能力は、『ゼランドの悲劇』のときに開花したものです」
「…………!!!」
モードウェンの言葉に、カイウスが息を呑んだ。
ゼランドの悲劇。それは五年前にアールランドの北部を、主にゼランド領を襲った災禍のことだ。
発生源がどこかは分からない。誰が持ち込んだものかも分からない。だが、その病は北部の国境からアールランド国内へと持ち込まれ、猛威を振るった。
流行病の打撃を最も強く受けたのがゼランド領だった。北隣の国々よりも少し温暖で、少し人口分布が密集気味だったからだと分析されているが、それも後から分かったことで、分かったところでどうしようもない。他国で発生したらしい病だが、他国よりもゼランド領の被害が深刻だった。
モードウェンが薬学や医学を少し学び始めたのもこの時だ。付け焼刃だったが、それですら必要なくらいに、とにかく人手が足りなかった。医者も、介抱する人もだ。流行病は手当たり次第に人を連れて行った。
ゼランドの領主一家は父と兄とモードウェンの三人だけだが、悲劇の前までは六人いた。兄がもう一人、姉が一人、母もその病に倒れた。
モードウェンも罹患したが幸い軽く済み、なけなしの知識を動員して病人の看護に当たった。少なくない人数を看取り、その慰撫のために神学のさわりを学ぶ必要が生じたほどだ。聖職者の真似事をしたせいで、今でもモードウェンは修道会と折り合いが悪い。
さらに修道会に喧嘩を売るような形になるのだが、モードウェンはその過程で、死した人を視るようになった。人の善意や悪意がぼんやりと見えるのは昔からだが、それがいっそう強くなり、果てには幽霊さえ見えるようになった。苦しみの中で亡くなった人の鎮魂のためにも、神学の知識は必要だった。
そうしてモードウェンが現場で働き、父が領内のあちこちを巡って自らあれこれ差配し、それと同時期、兄は王宮との折衝を行っていた。
子供の頃から王宮に出入りし、法律を専門に学んでいた兄は、王宮内でも顔が利く。そのうえ、法律を知っていればどういった行為や援助が可能なのか自分で判断がつき、提案も要請もしやすい。兄はゼランド領を助けるために全力で交渉を行っていた。
だが、それは失敗した。なまじ兄が優秀だった分、王宮の選択が違法すれすれだったことが分かってしまったのだが――王宮は、ゼランド領を見捨てた。
医師の派遣要請を却下し、街道を遮断し、申し訳程度に食料品や衣料品などを一方的に渡す程度でお茶を濁し、病が国内の他の場所に広がらないように封じ込めることに全力を注いだ。他のすべてのために――ゼランド領を切り捨てた。
為政者に対して、その判断が間違いだったと言うつもりはモードウェンにはない。だが、恨まずにいられるかというのは別のことだ。せめてもう少し、もう少し何かをしてくれたってよかったのではないか。そう思ってしまうのは止められない。
病は結局収束したが、ゼランド領の人口は数割も減り、貧しかった領地はますます貧しくなった。国は援助をしてくれたが、失った人がそれで帰ってくるわけでもない。領地を富ませるどころか、家族を失った人への援助金などですべて消えてなお足らず、ゼランド家からの持ち出しもかなりの額が必要だったほどだ。
兄は国に失望し、国外へと去った。父も領地に対する複雑な思いから、引退後は国外へ越すことを考えている。兄がこのまま戻らなければ男爵領はモードウェンが継ぐが、この領地をこのままに維持していくのが本当に可能なのか、そうすべきなのか、モードウェンには確信が持てない。王家に対してゼランド家からの嘆願に応じるようカイウスの言質を取ったが、それがどこまで安心材料になるか。
そういうことを、淡々と語った。




