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 モードウェンにしか見えないそれは、誰かの思念だ。しかもたちの悪いものだ。舞台照明のようなカイウスがいるせいで消えたようだが、見間違いではない。

(ポットに……いえ、お茶に……何か仕込まれている……?)

 モードウェンが警戒心を高ぶらせているのに気付かず、ボネア公弟はお茶請けとして菓子を勧めた。

「生姜とシナモン入りのクッキーはいかがかな? ああ、殿下は生姜のお菓子をあまり好まれないことは存じているとも。殿下には別のものを用意しよう。お嬢さんはどうかな?」

「いえ、ええと……」

 生姜入りのクッキーは嫌いではない。ぴりっとするので人によって好き嫌いが分かれがちだが、モードウェンは平気だ。体を温めてくれるし、シナモンと合わせるのもおいしそうだと思う。

(でも……食べて大丈夫……?)

 お茶に警戒心が膨れ上がっている今、クッキーにも手を出しにくい。

 公弟はモードウェンの反応が鈍いのを見て取り、皿に載ったクッキーに手を伸ばして食べてみせた。さくっとした音がいかにも美味しそうだし、規則性なく皿に盛られているため毒を仕込むのは難しそうだ。公弟はそのまま二枚、三枚と食べ進めていく。

「……では、頂きます」

 どうやら大丈夫そうなので、あまり遠慮しすぎるのも空気を悪くするだろう。モードウェンはばくばくと暴れる心臓を宥めつつ、表面上は何食わぬ顔をして皿に手を伸ばした。

 意を決してクッキーを一枚取り、おそるおそる齧ってみる。何か仕込まれているのかはもちろん分からない。生姜の香りが強いからなおさら分からない。味を楽しむ気持ちの余裕がなく、美味しいのかどうかも分からないが、美味しいと言っておく。

「それはよかった。もっとどうぞ。殿下にはこちらを。生姜は抜きで、代わりに林檎が入っています。こちらも時期にふさわしい」

 別の皿に盛られたクッキーをカイウスに勧め、公弟はそちらも自ら毒見役を買って出るかのように手を伸ばした。カイウスも軽く礼を述べて一枚取り、口に運ぶ。

 そこでようやく、お茶が出された。タイミングが遅い気がするが、何枚もクッキーを食べた後なのでちょうどよく喉が渇いている。

 それぞれの前にカップが出されたタイミングで、カイウスが給仕に声をかけた。

「すまないが、カップを入れ替えてもらえないか? そうだな、時計回りに一つずつ」

 第二王子、公弟、モードウェンと並ぶ形なので、いまカイウスの前にあるカップが公弟の前に行く形だ。

「疑っているわけではないのだが、毒見の代わりだ。悪く思わないでほしい」

「滅相もありません。殿下のおっしゃる通りに変えてくれ」

 各人に用意されたカップを入れ替えることで、特定の者に毒を仕込めないようにするということだ。それはそれで理に適っているのだが……

(……ぜんぶ怪しいのだけれど、大丈夫……?)

 毒が仕込まれていると決まったわけではない。だが、ポットに纏わりついていた悪い思念が気にかかって仕方ない。

 今の命令の出し方から察するに、給仕は公弟の手の者だ。会場にカイウスが用意した使用人ではなくて、公弟が用意した者だ。そのこと自体はまったく問題なく、疑わしいこともない。

 疑わしいのは、モードウェンがあの靄を見てしまったからだ。見間違いではない。何らかの悪意がポットなりお茶なりに纏わりついている。

(……もしかして、問題なのはお茶ではなくポットの方……? いわくつきの物だとか……?)

 神経を尖らせつつ悶々と考えていると、公弟が自分の前にあるカップを取り上げ、躊躇なく飲み始めた。

「待っ……!」

「ん? どうかしたかね?」

 首をかしげる公弟に変わった様子はない。

(毒が仕込まれているかもというのは私の考えすぎ……? それとも、ここにいるのではない第三者が仕込んだのだとか……?)

「いえ、あの……このお茶も閣下がお選びくださったものなのでしょうか?」

「ああ、そうだ。肉厚の葉が特徴的な品種でな、味が濃く出る。ミルクやスパイスを入れる冬場のお茶に適しておる。私の領地でも栽培しているところがあってな……」

 お茶を運んで喉を湿しつつ、話好きな公弟は上機嫌にいろいろと語る。お茶をお代わりしても公弟の様子に何も変化はない。自分が用意したものなのだから当然ではあるのだが。

 それを見て、カイウスも自分のカップに手を伸ばした。

 その時だった。公弟の体から、黒い靄が噴き出した。一瞬で掻き消えたが、それは明らかに悪いもので、身震いするほど不吉で攻撃的な意思が感じられた。

「…………!」

 これは殺意だ。こうして目の前で発生するのを見るのは初めてだが、同種の思念や幽霊に遭遇したことならある。お茶に何かが仕掛けられているのは明白だ。 

(でも、どうして……!? 同じものを公弟も飲んでいる。カップも取り替えた。それなのに、第二王子のカップにだけ何か仕掛けるなんて出来る!?)

 しかし、考えている時間はない。伝える猶予も方法もない。

「あっ……!」

 モードウェンは眩暈を起こしたふりをして、カイウスの方に倒れかかった。

「っ、どうした? 大丈夫か?」

 カイウスはとっさにモードウェンを支え、心配そうに顔を覗き込んだ。当然カップから手を放している。飲む前に止められたことにほっとしたが、問題はここからだ。

「ごめんなさい、少し眩暈がして……」

 口調がはっきりしているモードウェンに、カイウスは少し安堵した表情を見せた。公弟も案じるように声をかける。

「具合が悪いのかな? 殿下、どこか休めるところは……」

「いえ、大丈夫です。ちょっとお茶から変な匂いがしたみたいで、体調が悪いわけではありません」

「なっ……!」

 公弟が憤慨したように立ち上がった。

「失礼な言いがかりだ! 私がお茶に何かを入れたとでも言いたいのか!? カップを取り替えたし、私自身が飲んだのだから問題ないはずだ! 違うか!?」

「いえ、その……」

 身分が高い、しかもかなり年上の男性に凄まれると、さすがのモードウェンでも委縮する。

 だが、カイウスがモードウェンを庇うように公弟を手で制した。

「そこまでは言っていない。だが、もしかすると茶葉が少し傷んだりしていたのかもしれない。あなたの身の安全にも関わることだから、少し調べさせてみよう」

「えっ……、いや、その……大丈夫だ! 私は飲んで問題なかったし……そうだ、残ったお茶が勿体ないしな。私が飲んで片付ければそれでいいだろう」

 しどろもどろに公弟は言った。言いつつ、残りのお茶を自分の手元に引き寄せようとした。明らかに証拠を隠滅しようとする動きに、カイウスが眉を寄せて公弟を制した。同時に使用人を――目立たない服装をして場に溶け込んでいた警備の者を――呼び、テーブルの上をそのままに保全するようにと命じる。

「もしお茶が傷んでいたのなら、あなたもお腹を壊すかもしれない。医者を手配するから見てもらった方がいい」

「いや、大丈夫だ!」

「私は心配して言っているのだ。無下にはしてほしくないな」

 あくまで心配するスタンスを崩さず、しかし実質上は命令として、カイウスは公弟の抵抗を封じた。

「君もだ。眩暈がしたのだろう? 大切な恋人に何かあっては困るから、君も診てもらった方がいい」

(……その設定、やっぱり止めない……?)

 そう思いつつ、モードウェンは大人しく口をつぐんだ。

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