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「…………」
さすがにモードウェンも察した。彼が何を仄めかしているのかを。
あまり広いとは言えない密室で、やたらと顔のいい王子様に迫られているという状況に、頭が真っ白になりかけた。
(いやいやいやいや……どういうこと? どうすればいいの?)
逃げようとしたら逆上されるだろうか。もしかして、モードウェンの方が彼を無理やり連れ込んだのだと主張されて不利な立場に立たされるのだろうか。
「………分かりました」
「……何がだ?」
「自分の迂闊さ加減が。こうした状況に陥らないようにしなければならなかったのに」
硬い表情で悔やみながら言うモードウェンに、カイウスが大きく瞬いた。どこか甘く誘うような眼差しの色が消え、疑わしげな声で聞く。
「…………参考までに、君が何を危惧しているのか聞かせてもらってもいいか?」
「私が殿下を手籠めにしようとしていると殿下に主張されたり、誰かにこの場を押さえられたりしたら、力のない男爵家の娘としては抗いようがないということです」
言わずもがなの懸念だったが、教師に回答を提出するような気持でモードウェンは答えた。もしかして、まだ何か見落としがあるのだろうか。この答えは及第点だろうか。
「………………」
カイウスは頭に手をやり、くしゃりと金髪を掻き乱した。頭が痛そうな表情で沈黙する。
「……何か間違っていましたか?」
「…………いや、間違っていないが……そもそも最初から間違っている。答え自体は間違っていないが、その答えを出すことが間違っている」
「……? 謎かけですか?」
「謎なのは君の頭の構造だ」
「直球で失礼ですね!?」
憤慨すると、カイウスは堪え切れないように吹き出した。作り物ではない笑顔は、その顔立ちの華やかさもあって破壊力がすごい。先ほどの色めいた距離の詰め方よりもよほどモードウェンの心を揺らした。実際の距離ではなく、心の距離が縮まったと思ってしまうからだろうか。
(もうやだ……王子こわい……)
モードウェンは動揺が収まらないが、カイウスの方は笑いが収まらないらしい。目じりに涙が滲みそうな勢いだ。どういう表情であっても「光輝の君」は光り輝くように美しいのだろうが。
まだ笑いながらカイウスが指摘した。
「『力のない男爵家の娘』と君は言ったが……『力のない』が『男爵家』にかかることからしてまずおかしい。こういう場面では『力のない』『娘』の方がまず意識されるものだろう。権力ではなく腕力の問題が先立つのが普通のはずだ。男に迫られておきながらその思考回路が謎すぎる」
「…………男?」
「男だが? 私は王子であって、王女ではない」
王女としても通用しそうな美貌でそんなことを言う。
「……王子殿下は王子殿下です。男とか、そういうものでは……」
「なるほど、そこからか。まずは男として意識されなければならないと」
またもや不穏になってきた成り行きに、モードウェンは椅子の上でじりっと後ずさった。
「私に色仕掛けをなさっても得るものはありませんよ? そんなことをなさらずともお約束があるので協力しますし……」
「協力については疑っていない。だが、君は自分をもっと客観的に見るべきだ。私に迫られて動じないのは流石だが、その理由がいただけない。そうした話には裏があると決めつけているだろう? 君自身を目的にして言い寄る者には簡単に転びそうな気がする」
「そんなこと……」
「そんなことはあり得ない? そんな人はいるわけない? ここにいるかもしれないぞ?」
「…………!?」
「自覚していないようだが、君は魅力的だ。内面も、外見も。まともな格好をすれば充分以上に人目を惹く。そのことはきちんと分かっておいた方がいい」
「…………」
その忠告は心からのもののようだった。はいそうですかとは呑み込めないが、否定するわけにもいかず、頷く。
消化しきれていない様子のモードウェンに、カイウスは苦笑して身を引いた。
「納得できなくても、とりあえず頭でだけ分かっていてくれればいい。王宮は誘惑が多いところだから」
「はい……」
いくら何でも大袈裟だろう。内面や外見がどうとか、そんなものはモードウェンの警戒を促すためだけに言っていることだろう。
言われなくても警戒心は忘れないから大丈夫だ。カイウスが危惧するような状況なんてそうそう起こらない。
そう思っていた。
「君、デビューがまだなんだろう? お披露目のダンスのお相手は俺にしておかない?」
「何、貴族ではあるが位の低い男爵家? 何も問題ない。遊び相手としても、愛人としても、都合がいいくらいだ」
「若いのに落ち着いた雰囲気で、なんか新鮮だなあ。よかったら僕と遊ぼうよ」
(ひえええ……)
カイウスに連れられて来たのは遊戯室が連なる一角だった。ビリヤード台があり、ダーツの的があり、カードゲームに興じる人もいる。総じて男性が多く、年齢層も若い者が多いようだ。そうした中に放り込まれたモードウェンは、新顔ゆえか無駄に注目を集めて声をかけられている。
「君たち、ちょっと下がってくれ。彼女は私の恋人だ」
「えー? ちょっとくらいいいじゃないですか。どうせ殿下、その子とも一時だけの関係でしょう?」
(それは、そうなるわよね……)
恋人だと言い張ったところでどこまで本気にされるか。カイウスは恋人をとっかえひっかえした過去があるし、モードウェンは身分ゆえ王子妃がどうこうという話にはならないのだから、恋人というのはモードウェンを伴うための便宜上の名目だ。そもそも実際の恋人関係がないのだから、そうした雰囲気は伝わってしまうものだろう。
「この子とどうなるかはまた別の話だろう? ともかく今は、彼女は私のパートナーだ。ほら、散った散った」
寄ってきた男性たちを適当に追いやり、カイウスはモードウェンを先導して歩き始めた。
モードウェンはほっと息をついた。カイウスがいるから思念のたぐいは払われているが、それを差し引いても人が大勢いるところは苦手だ。
「……そもそも、ここってどういうところなんです?」
行けば分かると連れてこられたが、さっぱり分からない。なんだか人がたくさんいて遊んだり騒いだりしているということしか分からない。
「ただの遊び場、溜まり場だ。どこにだってあるだろう? 若者たちがたむろするような場所が」
「酒場とか、仲間うちで集まれるような大きい家とかですか……?」
「そのようなものだ。王宮にもこういった場所がある。王宮は建物とはいえ一つの街のようなものだからな。行儀のいい場所ばかりではないし、発散できる場所がないと色々と淀んで碌なことにならない。君には教えないが、悪所もある」
「……まあ確かに、お行儀よくするばかりでは息が詰まりますものね……」
連日のように夜会などが開かれているが、村のお祭りとは違い、そこは社交の場で、仕事の場だ。自分を解放して飲んで騒ぐようなお祭りとはおのずから異なってくるだろう。
「明文化された決まりがあるわけではないが、ここでは身分の上下をあまり気にしないことになっている」
なるほど、だから先ほどの男性たちもモードウェンに気軽に声をかけたのか。舞踏会などでは王子のパートナーに気軽に声をかけるようなことはないだろうが。
「だから、身分を気にせず腹を割って話したい相手がいる場合、こういう場所で話すこともあるんだ」




