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(何が「嬉しいお知らせ」よ……。誰に会わせたいのか知らないけれど、絶対偉い人でしょう……。お近づきになりたくないし、関わり合いになりたくないのに……)
お近づきにも関わり合いにもなりたくない偉い人の最上位層におわす第二王子カイウスの横に並んで王宮の廊下を歩きながら、モードウェンは心の中で何度目になるか分からない溜息をついた。
気が進まないが、カイウスに協力することになった以上は仕方ない。彼の行動範囲のなかで偉くない人に会う方が稀だろう。下手をすると王宮の使用人よりもモードウェンの立場の方が低いかもしれない。上位貴族に仕える者ならなおさらだ。
「……っと、そうだ」
カイウスが思い出したように足を止めた。
「少し行き先を変更していいか? 時間があるから案内がてらと思ったんだが、先に行っておきたいところがある」
「分かりました」
モードウェンは頷いた。特に異存はない。カイウスも軽く頷いて促した。
「こっちだ」
王宮の中心部にある建物はたいてい廊下で繋がっており、外に出なくても行き来ができるようになっている。カイウスはそうした廊下をいくつか渡り、それから外に出て地面に下りた。
外は木枯らしが吹いており、北部ほどではないが寒い。いま着ているドレスは重いわりに暖かくなく、羽織るものを持ってくればよかったとモードウェンは思った。スカート部分に生地をたっぷりと使うわりに上半身が十分に覆われていないせいだ。防寒を考えていないのだから当然だが、どうにも納得いかない。
「これを使え」
カイウスがいきなり振り返ったと思ったら、自分が着ている上着を脱いでモードウェンに渡した。
「……? これをどう使うんですか?」
思わず受け取ったものの、困惑してモードウェンは尋ねた。カイウスも困惑したように瞬く。
「どうって……上着は着るものだろう」
「それは分かります。ですが、着るためには殿下がお持ちでなければならないでしょう? いろいろ頂きましたし、荷物持ちくらいはしますが……」
「…………」
モードウェンの答えにカイウスが沈黙した。王子の上着は王子が着るためのものなのだから、何も間違ったことは言っていないと思うのだが。
カイウスは無言で上着を取り上げ、広げ、ばさりとモードウェンの肩にかけた。呆れとも感心ともつかない口調で言う。
「女性に上着を貸して、荷物を持たせたのだと誤解されたのは初めてなんだが」
「えっ……!? 貸すって、使うって、こういうことですか!?」
「むしろどういうことだと思っていたんだ? 恋人を寒空の下に連れ出すのだからこのくらいは当然だろう」
「恋人、って……」
その設定はまだ生きていたのか。まだも何もこれからそういう立場として連れ回されるのだろうから今更だが、二人きりのときにまで持ち出されるとは思わなかった。
カイウスがかけてくれた上着は暖かかった。上質でかっちりした作りのものだからという以前に、直前まで使われていたものだから当然、体熱で温められている。ほのかに爽やかな香りが漂うのは香水か何かだろうか。
「…………」
「おい、何を固まっているんだ?」
当然のことながら、こんな風に気遣われるのは初めてだ。いくらふりだとはいえ、恋人のように振舞われるのは精神的に負荷が大きい。
「……あの、もう、寒くないですから! ありがとうございました!」
モードウェンは上着を突き返した。嘘ではない。顔がのぼせたように熱い。
(自分の対人経験のなさが恨めしい……)
身近な男性といえば父と兄だけ、その兄も隣国に行ってしまい、男爵邸の男性使用人も上の年代の者ばかり。女性に話を広げたところで上着の貸し借りをする人などいるはずもなく、こうした人と人との触れ合いが当たり前のようになされる状況についていけない。モードウェンが触れ合ってきたのは幽霊ばかりだ。
「……王宮こわい……」
「これは王宮とか全く関係ないと思うが」
呆れたように言って少し笑い、カイウスは上着を引き取って脇に抱えて歩き出した。モードウェンに無理強いすることなく、さりとて自分だけ着ることもせず、スマートに場を収めてしまっている。モードウェンは、お気遣いなく、着てください、と言いかけた口をつぐんだ。ここはさすがに空気を読むべきところだ。
気を紛らわせるように辺りを見ながら歩くと、なんだか既視感があるような気がする。
すがれた木々の葉が風に舞い、常緑樹の生垣に小さな赤い実が生っている。整えられた道は建物と建物を繋ぐものというよりも散策路のようで、いつしか庭園の中に入っていたようだった。
茂みの向こうに白っぽい石像が立っているのを見て、モードウェンはようやく思い出した。ここは金樫宮の庭だ。舞踏会のときに人込みから逃げてそぞろ歩いた場所だ。夜とは雰囲気が違ってすぐにそうと分からなかった。
等間隔に並ぶ石像を辿るようにカイウスは歩いていく。そうしてモードウェンに向かって何かを言おうと口を開きかけたところで、誰かの気配を感じたらしく前方を見た。
そこにいたのは、キース……ではなかった。一瞬そのように見えたものの、年齢が違う。何よりも、生きている人だという点で違った。
枯れた噴水の傍に立っていた男性は、モードウェンたちの足音が聞こえたらしく振り返った。
壮年の男性だ。白いものの混ざった金髪に、緑の瞳。キースと同じ色合いだ。面差しも似ている。
(そういえばカイウス殿下も同じ色合いでいらっしゃるのね)
背丈も同じくらいで、遠目では見間違えるかもしれない。カイウスには王族特有の気配、というか思念や幽霊を寄せ付けない性質があるのでモードウェンにとってははっきり区別がつくが、そうでない人にとっては兄弟のように見えるかもしれない。
「ご無沙汰しております。カイウス殿下」
「久しいな、ネアーン伯爵」
(この人が、キースの父親……)
……そして、国王陛下毒殺未遂の犯人候補の一人か。モードウェンは無意識に少し身構えた。
「少し痩せたか?」
「……日が短くなると、どうにも。気鬱になりがちで」
「それはいけない。体を大事にしてくれ」
「ありがとう存じます」
距離感を測るような、探るようなやり取りが交わされる。
意を決したように、カイウスが踏み込んだ。
「……キースのことなのだが」
「愚息のことを未だに気にかけてくださり、かたじけのう存じます。ですが、いつまでもお心を煩わせるわけにはまいりませんので……」
「……分かった。だが、彼のことはいつまでも忘れない。貴方のことも気にかけていることだけは分かっておいてくれ」
「……勿体のうございます」
伯爵は頭を垂れた。恭順の意を示したのか、表情を隠したかったのか、おそらくは両方だろう。彼は夏に息子を亡くしたばかりなのだ。
カイウスは目線でモードウェンを促し、その場を離れた。
金樫宮の大広間では何も催し事が行われていないらしく、解放されていた扉から中に入り、広間の近くにある休憩室の一つに入ってカイウスは深く息をついた。
「あの人が、ネアーン伯爵だ。キースの父で、私の……側近と言うには遠いが、父と懇意にしている。例の件の候補者の一人だ」
モードウェンは頷いた。暖かい室内に入ってほっと息をついたが、話の内容は重い。
「私を引き合わせたかった方ではなさそうでしたが」
待ち合わせたわけではなく、偶然行き会ったように見えた。
「そうだ。会ったのは偶然だ。しかし予期してしかるべきではあったな。……あの噴水で、キースは亡くなったのだから」




