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(聞きたくない……)
直感はそう拒否反応を示している。しかし、聞いておくべきだと理性は述べている。しばし逡巡し、モードウェンはそのまま無言で続きを促した。
カイウスは言った。
「信用することにしたんだ。君を」
「……能力については信じるかどうか保留すると仰いましたが、他の何を信じると?」
まさか人柄を買われたというわけでもあるまい。こんな陰気で取っつきにくい娘にそんなことを思うわけがないだろう。
「だから、君自身を、だ。君に協力を求め、情報を共有しても、裏切られないだろうと信用した」
「…………!?」
カイウスのまっすぐな言葉と眼差しに、モードウェンは赤くなってぱくぱくと口を動かした。熱烈な口説き文句のようだ。
「…………第二王子殿下ともあろう方が、そんなに簡単に人を信用していいんですか?」
憎まれ口を叩くが、まだ心臓がばくばく言っている。
いまさら意識したくはないのだが、モードウェンは交友関係が狭く、友人と呼べる存在がほぼいない。ナフィはそれに近いが、それでも立場が異なるから対等な関係とは言いづらい。リーザとも距離が遠い。貴族同士のつきあいも父や兄に投げてきたからわざわざ交友関係を結ぶ令嬢もおらず、令息に至っては言わずもがなだ。ほかに同年代どうしで親しく言葉を交わす相手など、幽霊くらいのものだった。
(……思い返してみるまでもなく、私、対人関係の経験が少なすぎる……)
幽霊相手の経験は多いはずだが、だから何だ。この場で役に立つわけでもない。
カイウスはきらきらした笑顔のまま言った。
「君が信用できることは、ちゃんと確かめた。君と会ってから、君のことをずっと見てきた」
(…………! やめてええ…………)
とびきりの美貌に笑顔を乗せて、そんなことを言うのは切実にやめてほしい。取り扱い要注意の劇物として遠ざけておきたい。モードウェンの苦手をいくつ重ねれば気が済むのか。こちらはもういっぱいいっぱいだ。
「君自身のことも観察したし、背景や交友関係についても調べさせてもらった」
(……ん? えっと……?)
なにやら話の行き先が怪しい。
「交友関係については、ほとんど手間がかからなかった。普通の貴族であればあちこちと付き合いがあるものなのに、ゼランド家は弱小も弱小だな。有力な家との繋がりなんてないし、そもそも付き合い自体が極端に少ない。こんな家もあるのかと正直驚いた」
(そりゃあ、そんな有力な伝手があったら、キースの警告を第二王子にどう伝えようかと頭を悩ませたりしなかったわよ……。偶然に王女殿下の指輪を拾ったからきっかけを作れたものの、それがなければどうなっていたことか。……じゃなくて、なんか貶されていない……?)
頬に感じていた熱がおさまってくる。表情がだんだん真顔に戻ってくる。
「背景についても全く心配なさそうだ。領地から連れてきた使用人の身元を直接確かめる時間はさすがに無いが、平民であることは確実なようだし、怪しい動きもない。他家と繋がっている素振りは一切見えなかった」
モードウェンだけでなく、周りの人も調べたという話に、眉間に皺が寄っていく。
「こちらが把握した範囲でのお金の流れから見ても、不自然なところもなければ不透明なところもない。いや、お金を使わなすぎるところが不自然だと言おうと思えば言えるが。よくその金額で暮らしていたものだと感心さえした。普通の貴族であれば、あんな部屋には住めないし、住もうとも思わない。体面というものがある」
あからさまにモードウェンを、ゼランド家を貶しにかかっている。それなのにカイウスは笑顔のままだ。こちらも対抗して笑顔を浮かべるが、顔が強張っているのが分かる。
「……私はいったい、何を聞かされているのでしょうか? ゼランド家を貶めたいのなら、こちらにも考えがありますが」
「貶めるなんてとんでもない。認めているとも。それどころか、おおいに買っている。ゼランド家にも君にも、私に害をなそうとする意志も能力もない。だからこそ信用できる」
「………………」
人柄を認めたとか、こちらの厚意に絆されたとか、そんな情緒的な理由ではなかった。カイウスがモードウェンを信用することにしたのは、モードウェンに彼を裏切る意志も能力も無いからだったのだ。言うまでもなく、その意志がないことよりも能力がないことの方を重く見ている。
「……裏切ろうにも手段がない、可能性がない、お金がない。だから信用するということですか」
「その通りだ。もちろん、私を裏切る意志がないことも確かめたかった。この短期間ですべてを判断できたとは言い難いが、君はすがすがしいほど私を避けようとしていたからな。何か裏を抱えているなら、これ幸いと私に取り入ろうとするはずだ」
「裏も表もなく、殿下には近づきたくありません」
モードウェンの即答に、カイウスは苦笑した。
「君の態度は一貫しているな。積み上げてきた自信がなくなりそうだ。ここまで私に靡かない女性はそうそういない」
知ったことか、と声に出すのを堪えたことを誰か褒めてほしい。
「それに、君は分かっているはずだが。君やゼランド家に、私、いや、王家への叛意があるのではと、私が懸念せざるを得なかったことに」
「…………」
カイウスのさんざんな言い草と性格の悪さに思わず手が出そうだったが、その言葉に頭が冷えた。カイウスの懸念は合理的なものだ。やり方や言い方に性格の悪さが見えるが、懸念を潰そうとしたこと自体を非難する筋合いはない。
「…………懸念があっても、それを否定する要素を探してでも、私に協力を求めたいと?」
「そうだ」
「ですが、お調べになった通り、私は弱小貴族の娘に過ぎません。霊感の他には特別な能力もなく、王宮の常識やマナーも知りません。そんな私に何ができると?」
「君が考えるような難しいことは求めない。私と行動を共にして情報を集めてくれればいい、それだけだ。それだけと言いつつ、不慣れな環境で場の空気に流されずしっかりと見聞きすることは難しい。だが、君にはできるはずだ。君は図太いし、確たる意志を持っている。お披露目の舞踏会に喪服で参加したのも、君の姿勢の表れだろう」
プレシダだけでなく、カイウスもあの格好を見ていたのか。それならモードウェンがなんとかしてカイウスに近づこうと足掻いていたことも知っていたはずだが、まあ、あの場では応じる理由もなかったか。
図太いだの何だのとさんざんな言われようだが、納得はした。女性パートナーとして行動を共にすれば、男性側からは集めることのできない情報も得られるかもしれない。第二王子という立場では行動も制限されるだろうから、物知らずな新参者としてモードウェンが動ける機会もあるかもしれない。
「私にできることがあるなら、頑張ります。嘆願についての確約も頂きましたし」
「……そうだな。その権利が君やゼランド家にとって重要だということは理解している。それも君を信用できる理由に付け加えられるな」
打算と計算ずくの信用だが、それならそれでいい。モードウェンは頷いた。
カイウスも頷き、獲物を逃がすまいとするかのようにモードウェンに目を据えた。
「さて、協力体制が整ったところで。さっそく君に動いてもらおうと思う」
――早まったかもしれない。
前途多難な予感に、モードウェンは冷や汗を流した。
先ほど感じた嫌な予感が、この不快な話だけのことでありますように。この先には何もありませんように。
そう願ったが、叶えられる保証はどこにもなかった。




