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「……なんだ、その顔は」
「……地顔です」
数日ぶりにご尊顔を拝見した第二王子カイウス殿下は相も変わらず麗しくきらきらしく、モードウェンは目を眇めたうえに顔を歪めるという無礼をはたらいてしまったが、不可抗力だ。
無駄にきらびやかで爽やかで胡散臭いことこの上ない笑顔で、部屋を訪ねてきた王子はモードウェンに尋ねた。
「双樹宮での暮らしはどうだ?」
「……悪くありません」
「そうか? 素直だな」
「……こんなところで本音を隠したりしません」
実際、この宮での暮らしは想像以上に快適だった。偉い人が多数行き交って気の休まらない暮らしになると思っていたのだが、そんなことはなかった。むしろ逆で、人に会わないようにしようと思えばいくらでもそのようにできた。モードウェンには想像のつかないことだったが、立場が高くてお金が有り余っている人というのは、プライベートな空間を大事にするものだったのだ。部屋だけではなく外の空間もゆったりと取られているし、廊下や階段も専用のもので、使用人用とすら分けられている。庭さえも専用のスペースがあった。
それこそ表玄関を使いさえしなければ、他の住人と会う機会などない。モードウェンは未だに、他の誰がこの宮に住んでいるのかを把握していなかった。
快適なのはゆったりとした空間ばかりが理由ではない。調度品は最高級のものが手配されていたし、使用人は完璧に環境を整えてくれるし、食事さえ王族のものと遜色ないのではと思うようなものが運ばれてくる。至れり尽くせりで、これで不満があるなんて口が裂けても言えない。
(……言えない、のだけど……)
モードウェンは用心深く目の前の青年を見つめた。これほどのものを与えておいて、ありていに言えば貸しを作っておいて、さてどんなふうに取り立てられるのかと身構えてしまう。
王子の危機を報せた褒美だと考えられなくもなかったが、そこまでうまい話ではないだろう。そう思いつつも受け取っているのは、他にしようがないからだ。粗末な環境を望んでも警備がどうたらという理由で却下されるし、豪華なあれこれを不要だと突き返そうとしても王子からの命令ということで押し通される。諦めて開き直るしかなかった。かかった費用を考えたくもないが、ゼランド家に支払い能力がないことはカイウスも最初から分かっているはずだ。請求されて土地や屋敷や身分を没収されたところで、父は親戚を頼って隣国に行けばいいし、別の隣国の首都に暮らす兄のところに身を寄せてもいいだろう。
失うものは何もないからモードウェンも開き直っていられる。そうした覚悟があることを察しているのかいないのか、カイウスは興味深そうにモードウェンをしげしげと見返した。
「暮らしに不満はないようだが、贅沢に染まっているわけでもなさそうだな。数日間とはいえ、それまでとは別格の暮らしになったはずだが」
「私に贅沢を覚えさせたかったのですか? 殿下の出費がますます増えるのでは?」
「このくらい痛くも痒くもない」
「さようで……」
「それよりも、贅沢を覚えさせた世間知らずの娘を手駒にしたかったのだがな」
「!?」
最悪だ。何かしらの意図があっての厚遇だとは分かっていたが、改めて言葉にされると最悪以外の感想が出てこない。
「すみませんね、根っからの庶民で」
「まったくだ。仮にも貴族だろう? 庶民よりも庶民らしいってどういうことだ?」
いい笑顔でそんなことを言い放つ。数日で何が変わるわけでもないだろうが、彼の性格も相変わらずのようだ。無駄に顔がいい分、無駄に性格が悪い。
それでも殴りたくなる衝動がそれほど強くならないのは、この生活を強制的にとはいえ受け取っている引け目があるからだろうか。
カイウスは部屋主の許可も得ず、当然のような顔で部屋に入ってきた。椅子に腰かけ、自分の部屋とでも思っていそうなくつろぎっぷりで使用人にお茶の支度を言いつける。使用人も当然のような顔で従い、香り高いお茶にカットフルーツを添えて持ってきた。
モードウェンには侍女としてナフィが、小間使いとしてリーザがいるが、この新しい部屋のことはすべてカイウスの遣わした使用人に任せている。下手なことをして物を破損させたりしてはまずいので、責任を回避する意味でもそのようにしている。ナフィはモードウェンと行動をともにすることが多く、リーザには外への使いなどを任せているので、他の人手があるならありがたく使わせてもらう。
気を利かせた使用人がモードウェンにもお茶と果物を運んできたので、モードウェンはしぶしぶカイウスの向かいに座った。応接間のようなこの部屋には、硝子の長卓をはさんで天鵞絨張りの長椅子が据えられている。その一方の真ん中にカイウスがゆったりと座っているので、モードウェンは向かい側の椅子の隅に腰かけた。本当なら座る際にも作法があるのだろうが、そもそも部屋主を無視して自分だけ座り、女性をエスコートさえしない王子が相手なのだから考えるだけ無駄だろう。
カイウスはお茶を飲み、口を開いた。
「さて。この数日間、君のところに侍女を遣わしていたのだが……」
「ありがとうございます?」
どう答えるべきか分からず、疑問形になってしまう。お茶会のマナーを確認しつつ世間話として王宮のあれこれを教えてくれたのがカイウスの侍女なのだが、これはモードウェンのためだけを思ってのことではないだろうと分かっている。
案の定、カイウスは続けた。
「君に霊感があるにしろ無いにしろ、協力者としてしばらく私と一緒に動いてもらう。君にはそれだけの貸しを作ったと思っているからな。それに先立って、君のマナーを確認させてもらった」
まあ、そういうことだろうと思った。モードウェンは頷いた。
「結論から言うと、なってない。付け焼刃で教えるにしても限度がある」
ばっさりと切り捨てるカイウスの所作は優雅だ。のびのびとくつろいでいるように見えるのに、だらしない感じがしない。ティーカップの取っ手に指を入れることもなく、まるで羽でも持っているかのように軽やかに支えているのを見て、モードウェンは口元を曲げた。
「それでもまあ、おいおい覚えていけばいい」
「……? それでよろしいのですか?」
意外と優しい言葉をかけられて、驚いて思わず聞き返した。カイウスは頷いた。
「実のところ、見ていたのはマナーだけじゃない。君の性格などについてもだ。多少失敗したり笑われたり嘲られたりしたところで、気に病んだり凹んだりするような繊細さとは無縁のようだから、大丈夫だ」
「…………」
失敗しても気にするなという話ではなかった。失敗しても気に病む性格では(モードウェンが)ないから(カイウスも)気にしないということだった。大違いだ。
失敗ありきで話されている。それに加えて、モードウェンがどこぞのお茶会に出ることも決定事項のように語られている。
疑似的なお茶会を開かれたときから、その展開は予想していた。マナーの欠如や経験不足を理由に辞退できるだろうと思っていたが、甘かった。失敗さえ折り込み済みだった。
(でも、私はそんな場に出られない……って、ちょっと待って?)
モードウェンははたと気付いた。人に憑いた悪い思念に中てられるモードウェンは、そうした人が集まりそうな場に出られないのだが……もしも、カイウスが一緒だったらどうか。
悪いものも善いものも幽霊も寄せ付けない彼がいれば、モードウェンも気分を悪くすることなく社交ができるかもしれない。
(…………「光輝の君」ね……)
カイウスの別名を思い浮かべる。その名の通り、強烈な輝きを纏った第二王子がモードウェンのすぐ目の前にいる。
この青年をパートナーとして、お茶会に出なければならないのか。
可能ではある。可能性の話でしかない。
(…………出たくない…………)
彼はそんなことを許しはしないと、カイウスの光り輝くような笑顔を見るまでもなく分かった。




